竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

遠くまで行く秋風とすこし行く 矢島渚男

2019-10-31 | 今日の季語


遠くまで行く秋風とすこし行く 矢島渚男

自然のなかに溶け込んでいる人間の姿。吹く風に同道するという発見がユニークだ。「すこし行く」という小味なペーソスも利いている。同じ風でも、都会のビル風ではこうはいかない。逃げたい風と一緒に歩きたい風と……。作者は小諸の人。秋風とともに歩く至福は、しかし束の間で、風ははや秘かながらも厳しい冬の到来を予告しているのである。同じ作者に「渡り鳥人住み荒らす平野見え」がある。出来栄えはともかくとして、都会から距離を置いて生きることにこだわりつづける意志は、ここに明確だ。『船のやうに』所収。(清水哲男)



【行く秋】 ゆくあき
◇「秋の果」 ◇「残る秋」 ◇「去る秋」 ◇「秋の別れ」 ◇「秋の行方」 ◇「秋去る」 ◇「秋過ぐ」
秋の季節が終わること。秋を惜しむ感慨もおのずからこもっている。後ろ髪をひかれる気持ちが込められている語。

例句 作者

行秋や抱けば身に添ふ膝頭 太祇
行く秋の虹の半分奈良にあり 廣瀬直人
行く秋の萬年橋を塗り替へる 棚山波朗
行く秋や夢二の墓に一升瓶 寺島ただし
行秋や案山子の袖の草虱 飯田蛇笏
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ 芭蕉
ただ海の蒼さに秋の逝く日かな 武田鶯塘
逝く秋のからくれなゐの心意気 桂 信子
逝く秋の風景に一本の太い煙 鈴木石夫
ゆく秋の不二に雲なき日なりけり 久保田万太郎
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秋高やキリンは餌を横に噛む たけし

2019-10-30 | 入選句


秋高やキリンは餌を横に噛む たけし

10月30日
朝日新聞 栃木俳壇、石倉夏生先生の選をいただいた
先週は掲載が休みだったので今月は3句を採っていただいた
そのうち2句を第1席として講評も頂くことが出来た

俳句になにかしか関係することを日常にしている
五欲がどんどん薄れてゆく実感がなんとも心地よい

掲句はなんでもない景なのだが長い首、モグモグではない
キリンの横噛みに気付いた
見上げる空はあくまでも高い秋だった
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方丈庵遠く冷ゆる都の灯 たけし

2019-10-25 | 


方丈庵遠く冷ゆる都の灯 たけし

方丈記を残した鴨長明ゆかりの方丈石へ行って来た
俳句結社の吟行へ参加して
予定を一日伸ばしての京都行だった

案内書には説明があるのだが近くと思われるところで尋ねても要領を得ず
辿り着くには苦労した

おりからの雨のせいもあって昇りの山道は荒れていて歩きずらい
杖に身をあずけながら30分ほどで巨石を目にする

都を眼下に鴨長明の隠遁生活を偲ぶ

友人が下記の方丈記を朗読してくれた



行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。
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木の実落ち幽かに沼の笑ひけり  大串 章

2019-10-17 | 今日の季語


木の実落ち幽かに沼の笑ひけり  大串 章

地味だが、良質なメルヘンの一場面を思わせる。静寂な山中で木の実がひとつ沼に落下した。音にもならない幽かな音と極小の水輪。その様子が、日頃は気難しい沼がちらりと笑ったように見えたというのである。作者はここで完全に光景に溶け込んでいるのであり、沼の笑いはすなわち作者のかすかなる微笑でもある。大きな自然界の小さな出来事を、大きく人間に引き寄せてみせた佳句と言えよう。大串章流リリシズムのひとつの頂点を示す。大野林火門。『百鳥』(1991)所収。(清水哲男)

沼に落ちた木の実
そこに生まれる水輪、水紋の広がる
静かな早朝であろうか
作者はめざめた沼を笑ったように捉えたのだろう
作者の小さな笑顔も感じられる
(小林たけし)

【木の実】 このみ
◇「木の実」(きのみ) ◇「木の実落つ」 ◇「木の実降る」 ◇「木の実雨」 ◇「木の実拾ふ」 ◇「木の実独楽」
果樹を除く、秋に熟する木の実の総称。主に団栗、樫、椎、銀杏のような堅い実を言う。これらの実は熟して自然に地上に落ちる。

例句 作者

ひゆうひゆうと父の息して木の実降る 國分水府郎
かくれん坊隠れて淋し木の実落つ 嶋田摩耶子
木の実降る道漸くに細きかな 島田青峰
吹き降りの淵ながれ出る木の実かな 飯田蛇笏
木の実ふみ地のさびしさを蹠にす 那須乙郎
磔像や虚空に朴の実が焦げて 堀口星眠
強き日のあたる木の実を拾ひけり 小堀裕子
神宮の沓に木の実のはずみけり 唯野嘉代子
袂より木の実かなしきときも出づ 中村汀女
木の実降る道ゆつくりと晩年へ 小川匠太郎
坂それて六波羅密寺木の実降る 澁谷道
木の実降り裏戸にひびく金盥 桂信子
木の実降る家に蒟蒻くろく煮え 桂信子
百年は童話の寸時木の実降る 山田諒子

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蓑虫のバンジージャンプ遠筑波 たけし

2019-10-16 | 入選句





蓑虫のバンジージャンプ遠筑波 たけし

10月16日 朝日新聞 栃木俳壇の一席を石倉夏生先生からいただいた

先週も一席をいただいて家人から

「やっらね。ジイジ」とのLINEがあった

連続しての一席入選は初めてだ



選外に挫けず毎日精進の継続をこれからも続けようと

大いに励みになったのは言うまでもない
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「風ですか」「光ですね」とえのころ草 宮崎斗士

2019-10-15 | 今日の季語



「風ですか」「光ですね」とえのころ草 宮崎斗士



狗尾草は猫じゃらしのこと
作者は「えのころ草」と表意している
狗尾草とも猫じゃらしとも
表意しないところにも作者の工夫がありそうだ
見事な擬人化である
(小林たけし)

【狗尾草】 えのころぐさ(ヱノ・・)
◇「猫じゃらし」
イネ科の一年草。「えのころぐさ」と読む。粟に似て小さい緑色の穂をつける。その穂を子犬の尾に擬した名。子猫をじゃらせるので、「猫じゃらし」とも。

例句 作者

「風ですか」「光ですね」とえのころ草 宮崎斗士
えのころやまつわる犬はもういない 小林緑
ねこじゃらしの考える首霧の中 板垣好樹
ねこじゃらし誰か遊んでくれないか 鈴木砂紅
ねこじゃらし騙しだまされ 耳順かな 金田めぐみ
ねこじやらしひと生きること匂うこと 松田ひろむ
はだか馬と一緒になつてねこじゃらし 増田豊子
みづうみのやうにゑのころ草が透け 市川薹子
ゑのころに印南野は山遠きかな 榎本享
エノコロ草拔いて話の間を持たす 足立雅泉
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秋の暮水のやうなる酒二合 村上鬼城

2019-10-14 | 今日の季語


strong>秋の暮水のやうなる酒二合 村上鬼城


晩秋、時に冬の近づきを感じる季節である
しみじみと来し方をふりかえる
たくさん出会いと別離
歓喜も挫折も、悔恨もあったが
振り返ればみな平らにも感じる
長いようで短い人生
晩秋、私の人生も秋の暮れに
確実に入り込んでいる
今宵の酒は妙に薄く感じるのは何故なのだろう
(小林たけし)

秋の暮】 あきのくれ
◇「秋の夕暮」 ◇「秋の夕」
かつては、秋の日の暮れ方、或いは、秋の終りと受け取ったり、また両義を内包しながら曖昧に用いられたりした。今は大方、「秋の夕暮」の意で用いられ、秋の終りをいう「暮の秋」と区別している。『枕草子』でも「秋は夕暮れ」としているように、日本人は秋の夕暮や夜には特別な趣を感じ取り、実に多くの句や歌が詠まれている。

例句 作者

此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
乗り替へるだけの米原秋の暮 北川英子
山見ても海見ても秋の夕かな 一茶
一人湯に行けば一人や秋の暮 岡本松濱
オルガンの踏板に似る秋の暮 土肥幸弘
夢さめておどろく闇や秋の暮 水原秋櫻子
秋の暮業火となりて秬は燃ゆ 石田波郷
秋の暮灯してくらきもやひ舟 熊木斗志郎
膝抱いて顔もてあます秋の暮 岡本 眸
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翁忌やおきなにまなぶ俳諧苦 久保田万太郎

2019-10-13 | 今日の季語
翁忌やおきなにまなぶ俳諧苦 久保田万太郎


万太郎の尾芭蕉への敬愛が滲み出た一句というべきか
芭蕉も作句には自分と同様に苦悶しただろうとの親愛の表現か
いずれにしても万太郎が芭蕉に神髄していたことは明らかだ
(小林たけし)




しほからき日輪とありはせをの忌 浪山克彦
はせを忌の蝶の出てくる日和かな 後藤章
みちのくは光棲む国桃青忌 佐藤成之
ガンジスの舟に明けたり翁の日 成田淑美
人並みの波瀾にすぎず翁の忌 中村ふじ子
何処へと向かう旅塵や翁の忌 渡辺誠一郎
古池や寓意たまはるはせをの忌 荒川邦衛
呟きをときにあなたへ芭蕉の忌 佐藤斗志子
明日知らぬ小春日和や翁の忌 井上井月
時雨忌や林に入れば旅ごころ 石田波郷
時雨忌を山にあそべば鷹の翳 上田五千石
翁忌といへば近江のかいつぶり 上田五千石
芭蕉忌や夏炉冬扇といふ風雅 河野薫


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静かなる自在の揺れや十三夜 松本たかし

2019-10-11 | 今日の季語


静かなる自在の揺れや十三夜 松本たかし
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今日も見事な秋晴れと20度を超える暖かさが続いている。まだ昨日辞めたばかりだが、38年前の最初の俳句入門以来、常に結社誌への投句を最優先して来た。学生の頃から現代詩に親しんで来たので、当然のこととして俳句も書店に並ぶ総合誌の投稿欄にも応募し続けた。この総合誌応募も、結社によっては歓迎されないところもある。両天秤かけていると見做されるのだろう。しかし、俳句形式という創作技術面の特殊性から見ても、結社の選句指導の親近性の方を優先してしまう。総合誌の末尾の雑詠欄にいくら投稿しても、たまにしか上位には入選しないし、ましてや選者(概ね結社主宰)の選評を得るとなると赤飯ものである。まれに毎号のように上位に入選する人もいるが、それは有名結社の実力同人であることが多い。入門者が両天秤にかけるとロクなことはないのだ。結社の幹部などの目に触れ、主宰に告げ口されるのがオチだろう。複数結社に同時投句するのと同じ扱いになり、急に結社内の序列がダウンする。要は、そんなことにはおかまいなしに好きな句を作り、好きな媒体に投句・投稿するのがよい。句作レベルが上がれば、発表の場も自ずと増えて来る。句集を出すという、俳句作家の最大目的も10年刻みで控えてもいる。原則、句会には出ないことにしている私にとって、結社であれ総合誌や大会であれ、ただ作品を投稿することだけが残った目的となった。これは自他にとって最もわかりやすく、歓迎すべきことだと思う。(くもけぶり)俳句界 2017年11月号)

【十三夜】 じゅうさんや
◇「後の月」(のちのつき) ◇「豆名月」(まめめいげつ) ◇「栗名月」(くりめいげつ) ◇「名残の月」(なごりのつき) ◇「女名月」(おんなめいげつ)
陰暦九月十三日の月。陰暦八月十五日の仲秋の名月に対して「後の月」ともいい、月見の行事が行われる。枝豆、栗などを月に供えて祭るので、「豆名月」「栗名月」の名がある。また、最後の名月なので「名残の月」ともいう。醍醐天皇の月の宴からとも、宇多法皇がこの夜の月を無双と賞したことからとも言われる。


母が煮る栗あまかりし十三夜 能村登四郎
静かなる自在の揺れや十三夜 松本たかし
山の湯の借り衣薄し十三夜 小林寂無
後の月雨に終るや足まくら 角川源義
灯を消せば炉に火色あり後の月 小杉余子
回廊をめぐる足音も十三夜 黛 まどか
交番に出前のとどく十三夜 三井静女
長々と湯にあることも十三夜 森田たみ
大仏殿小窓開きて十三夜 斎藤夏風
川音の町へ出づるや後の月 千代女



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水底を水の流るる寒露かな 草間時彦

2019-10-10 | 今日の季語


水底を水の流るる寒露かな 草間時彦



里山の小川か用水路か
いずれにしても身近な水の流れがある
澄み切った空気の中
水底を眺めていると
澄んだ水に現れる小石や小動物が見える
それらは間違いなく流れる水に抗らったり身を委ねたりする
作者は水底の水流を見逃さば買った
(小林らけし)




【寒露】 かんろ
二十四節気の一つ。10月8日、9日頃に当たる。露が寒冷に会って凝結する意。露は結び始めは涼しげ、やがて冷たく、終には肌寒さを感じさせるようになる。

例句 作者

切口の白き粗朶積み寒露の日 橋本春燈花
茶の木咲きいしぶみ古ぶ寒露かな 飯田蛇笏
暦はや寒露の蘭の花の濃し 三田青里

汲み置きの水平らかに寒露の日 角川照子
道傍の竹伐られたる寒露かな 星野麦丘人
暁闇の寒露へ向かふ父系かな 佐藤晴峰
老猫の眼あけて座る寒露かな 北原志満子
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雨の参道秋の歩幅の前のめり たけし

2019-10-09 | 入選句







10月9日㈬ 朝日新聞 栃木俳壇

石倉夏生先生の選 第一席をいただきました



雨の参道秋の歩幅の前のめり たけし



過分な選評も頂きました。



過日の吟行会での一句でした

上七が気になっていましたが活字になると妙に収まっている感じです
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大花野お尋ね者の潜むなり  三沢浩二

2019-10-07 | 今日の季語


大花野お尋ね者の潜むなり  三沢浩二

秋の草花が咲き乱れている広大な野である。いちめんの草花に埋もれるようにしてお尋ね者が潜んでいるという、ただそれだけのことだが、この「お尋ね者」を潜ませたところに作者の手柄がある。今はあまり聞かない言葉だけれど、読者はその言葉に否応なくとらえられてしまう。昔も今も世を憚るお尋ね者はいるのだ。さて、いかなるお尋ね者なのかと想像力をかきたてられる。そのへんの暗がりや物陰に潜む徒輩とちがって、大花野が舞台なのだから大物で、もしかして風流を解する徒輩なのかもしれない。そう妄想するとちょっと愉快になるけれど、なあに小物が切羽詰って逃げこんだとする解釈も成り立つ。草花が咲き乱れている花野はただ美しいだけでなく、どこかしら怪しさも秘めているようでもある。浩二は岡山県を代表する詩人の一人だった。「お尋ね者」に「詩人」という“徒輩”をダブらせる気持ちも、どこかしらあったのかもしれない――と妄想するのは失礼だろうか。年譜によると、浩二は昨年七十五歳で亡くなるまでの晩年十年間ほど俳句も作り、俳誌で選者もつとめた。追悼誌には自選238句が収録されている。掲出句の次に「悪人来菊人形よ逃げなさい」という自在な句もならぶ。橋本美代子には「神隠るごとく花野に母がゐる」の句がある。この「母」は多佳子であろう。花野には「お尋ね者」も「母」も潜む。「追悼 詩人三沢浩二」(2007)所載。(八木忠栄)

咲き乱れる百花、なにが潜んでいてもおかしくない
華やかながらのうら哀しい空気も澱んでいて
冬に向かう晩秋の切なさもある
作者はそこにお尋ね者が潜んでいるという
そのお尋ね者への作者の優しい情けを感じる
(小林たけし)


あの世ってどんなとこかな花野行く 河黄人
あの雲に乗れば補陀落花野発 宇田篤子
うしろ手に花野夕山旅を閉じ 澁谷道
えんとつに雌雄のありし花野末 澁谷道
おでん啖べゐて花野へ逃げ戻る 文挾夫佐恵
おのずから岐れ道あり大花野 竪阿彌放心
ここまでと踵返せり大花野 鈴木俊子
つらなれば花野に疼く尾てい骨 福本弘明
ふところに入日のひゆる花野かな 金尾梅の門
ふるさとの隧道の先花野かな 山中佐津喜
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虫の土手電池片手に駆けおりる 酒井弘司

2019-10-05 | 今日の季語



虫の土手電池片手に駆けおりる 酒井弘司

このとき、作者は高校生。何のために必要な電池だったのか。とにかくすぐに必要だったので、そう近くはない電器店まで買いに行き、近道をしながら戻ってくる光景。川の土手ではいまを盛りと秋の虫が鳴いているのだが、そんなことよりも、はやくこの電池を使って何かを動かしたいという気持ちのほうがはやっている。作者と同世代の私には、この興奮ぶりがよくわかる。文字通りに豊かだった「自然」よりも、反自然的「人工」に憧れていた少年の心。この電池は、間違いなく単一型乾電池だ。いまでも懐中電灯に入れて使う大型だから、手に握っていれば、土手を駆けおりるスピードも早い、早い。『蝶の森』(1961)所収。(清水哲男)


【虫】 むし
◇「虫の声」 ◇「虫の音」 ◇「虫時雨」 ◇「虫の秋」 ◇「虫の闇」 ◇「昼の虫」 ◇「すがれ虫」 ◇「残る虫」
秋鳴くコオロギやキリギリスなどの虫の総称。ただし鳴くのは雄のみ。虫の音色にはそれぞれ風情があり、秋の夜の寂寥を深める。また、盛りの時期を過ぎ、衰えた声で鳴いている虫を「残る虫」という。

例句  作者

あかつきや歩く音して籠の虫 岸本尚毅
ある闇は蟲の形をして哭けり 河原枇杷男
いさみ足で今日が終りて虫しぐれ 井川春泉
きのうのように出土の甕棺昼の虫 松本昌平
けふはけふの山川をゆく虫時雨 飴山實
どっこい生きて蟲の挽歌を聞いている 平川義光
みないるぞ南洲墓地の虫しぐれ 中尾和夫
アンコール曲ハミングはみんぐ 虫すだく 山本和子
コンビニの外は深海虫時雨 尾崎竹詩
チリリリコとうっとりさせる秋の虫 末広鞠子
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わが息のわが身に通ひ渡り鳥 飯田龍太

2019-10-04 | 今日の季語


わが息のわが身に通ひ渡り鳥 飯田龍太



季語は「渡り鳥」。
歳時記では三秋。
本作の季感は仲秋がふさわしいか。
季節を違えずに去来する渡り鳥と、自らの絶え間ない呼吸とを照応させた。
自然の大きな推移のうちに自らの生命を据えた、とも言えるだろう。
ただし、「わが」が繰り返されている点、自然との融合というより、融合しきれない対立が自ずと表れている。
本句を読んで感じる孤寂は、そこに由来しているようだ。
(https://ameblo.jp/brmedit/theme-10040675880.htmlより転載)

飯田龍太は私の最も畏敬する俳人だ
掲句は龍太の句としては異色といえよう
取り合わせの渡り鳥の底通に
秋の孤愁を感じるが
少し物足りないと思うのは私の非力なのだろうか
(小林たけし)

俳句   作者名

ごちゃごちゃのクレヨンの色小鳥来る 望月哲土
てのひらに柱の丸み鳥渡る 川﨑奈美
どこまでも日高見の晴れ鳥渡る 八島岳洋
はらわたの熱きを恃み鳥渡る 宮坂静生
ふるさとの火種をもらい渡り鳥 舘岡誠二
ふわふわと父母訪えば小鳥来る 小川佑華
みずうみは青いキャンバス小鳥来る 飯田愛
もろ肌をつつみ臥す夜の渡鳥 原コウ子
よく切れる庖丁置かれ鳥渡る 平山道子
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稔り田に雨や濡れ身の青年佇つ 寺井谷子

2019-10-03 | 今日の季語



稔り田に雨や濡れ身の青年佇つ 寺井谷子


豊かに実った田の辺である
おりからの雨はいよいよ強く稲穂を洗う
ふと見やれば人影
雨に全身を差し出している青年
じっと動かず佇っている

失意か咆哮か
知る由もないが
都会から故郷に戻った青年に遭遇した作者
自身の過去の姿を重ね合わせたのかもしれない


(小林たけし)

例句    作者

たくましき稔り田や空従へて 櫂未知子
どこまでも稔り田どこも刈られずに 草間時彦 櫻山
となりあふ荒田稔り田過疎進む 相澤乙代
バス停は稔り田の中三河晴 関野敦子
演歌まみれわが一身も稔り田も 野田信章
刈らるべき稔田や黄に透きとほり 相馬遷子 山河
逆光の稔り田に密着の頬かむり 大胡寿衛
父よ黄泉はこの稔田の明るさか 田所節子
稔り田に雨や濡れ身の青年佇つ 寺井谷子
稔り田に裾ゆるく曳き津軽富士 高井北杜
稔り田に二つの神輿光り合ふ 冨田みのる
稔り田に風神尻をつきし痕 本井英
稔り田に無頼の草が混り立つ 山口誓子
稔り田の白や俄に鷺となる 中山婦美子
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