楠の根を静かにぬらす時雨かな
大木となった楠の木。
その根元を時雨が静かに濡らしている。
と森閑とした風景だよ。〔季語〕時雨
空かきくらし、さっと来る走り雨を、時雨という。江戸版画、広重の世界の味である。
時雨はかすかな通り雨であるから、その雨脚は地面に近く、ちらちらとして降るのである。
この時雨の楠は、決して陰暗な感じを与えるものではない。時雨には日の照り添うこともあって、寂しい中に一種、華やかな「におい」を伴っているものである。その点、香木の楠を持ってきたことが利いている。
そのうえ、楠は、外側から眺めれば「樹塊(じゅかい)」とでも形容したいほどであって、葉は隙間なく茂っているので、まっすぐに降る時雨では、根元の土はなかなか濡れない。ただ「磐根(いわね)」とでもいうべき太根が、地面に半ば姿を現しながら、幹の地点から八方へ走っている。これの褐色の鱗(うろこ)状の肌が、しだいに濡れ色にかわってゆくだけである。
このような楠の特性が、降るともなく降り、濡らすともなく濡らす、時雨の特性をあらわすにはふさわしいのである。
この句は、楠そのものを的確に描きながら、おのずから時雨の広い気分へ展がっていっている。伝統的な時雨の観念にとらわれることなく、写実を押し進めていながら、「叙情の潤い」もゆたかである。
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