竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

おとろへや榾折りかねる膝頭   蕪村

2016-11-30 | 蕪村鑑賞
おとろへや榾折りかねる膝頭




自分も年を取ったものだ。
若いときには膝頭(ひざがしら)で薪(まき)を折っていたものだが、
もうできない

〔季語〕榾

囲炉裏や竈(かまど)でたく薪(たきぎ)。掘り起こした木の根や樹木の切れはし。ほたぐい。ほたぎ。 [季] 冬。 《 -煙顔をそむけて手で払ふ /池内友次郎 》
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水鳥や提灯遠き西の京   蕪村

2016-11-29 | 蕪村鑑賞
水鳥や提灯遠き西の京




暗い池のほとりにたたずむと、
水鳥の音がかすかに聞こえてくる。
はるか西の京あたりに目を向けると、
提灯の明かりが動いており、
れも遠くかすかである。〔季語〕水鳥


寒い冬の夜、きっと宵の口だろうが、
すでにあたりは真っ暗である。
池では鴛鴦が夫婦で休みはじめているのだろう!
はるか西の京では人がまだ提灯を持って動いているようだ。
暗と明・・・なんとも幻想的な風景が浮かぶ。
http://blogs.yahoo.co.jp/mtada33/13355709.html
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自虐癖くすぶりつづく七竈

2016-11-28 | 入選句
自虐癖くすぶりつづく七竈



七竈は七たび竈にいれても燃え尽きないという
いつまでもくすぶりつづけて収まらない
私の自虐の癖のようだ


入選2016/11/28  下野新聞 速水峰邨選
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宿かせと刀投げ出す吹雪かな

2016-11-27 | 蕪村鑑賞
宿かせと刀投げ出す吹雪かな






外は吹雪。
旅人が家にころがりこんできて、
宿を貸してくれというより早く
、刀を投げ出して腰を下ろしたことだよ。〔季語〕吹雪
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いつまでも消えぬ風紋浜の秋

2016-11-25 | 
いつまでも消えぬ風紋浜の秋




今は秋 だれもいない海
あのにぎわいの夏の海がすっかり表情をかえている
寂しい砂浜に「風紋」が残っている
若い時代の甘酢っぱい記憶は
消えかかってはまた蘇る


訪問ありがとうございます
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これからもよろしくお願いいたします

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楠の根を静かにぬらす時雨かな  蕪村

2016-11-24 | 蕪村鑑賞
楠の根を静かにぬらす時雨かな







大木となった楠の木。
その根元を時雨が静かに濡らしている。
と森閑とした風景だよ。〔季語〕時雨

空かきくらし、さっと来る走り雨を、時雨という。江戸版画、広重の世界の味である。
 時雨はかすかな通り雨であるから、その雨脚は地面に近く、ちらちらとして降るのである。
 この時雨の楠は、決して陰暗な感じを与えるものではない。時雨には日の照り添うこともあって、寂しい中に一種、華やかな「におい」を伴っているものである。その点、香木の楠を持ってきたことが利いている。
 そのうえ、楠は、外側から眺めれば「樹塊(じゅかい)」とでも形容したいほどであって、葉は隙間なく茂っているので、まっすぐに降る時雨では、根元の土はなかなか濡れない。ただ「磐根(いわね)」とでもいうべき太根が、地面に半ば姿を現しながら、幹の地点から八方へ走っている。これの褐色の鱗(うろこ)状の肌が、しだいに濡れ色にかわってゆくだけである。
 このような楠の特性が、降るともなく降り、濡らすともなく濡らす、時雨の特性をあらわすにはふさわしいのである。
 この句は、楠そのものを的確に描きながら、おのずから時雨の広い気分へ展がっていっている。伝統的な時雨の観念にとらわれることなく、写実を押し進めていながら、「叙情の潤い」もゆたかである。
http://blog.goo.ne.jp/t-hideki2/e/1412f17e15288319326f759bf09f6467
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画数の合わぬ虫へん秋灯下

2016-11-23 | 入選句
画数の合わぬ虫へん秋灯下



俳句をするようになって丁度5年になる
季語にたくさんの虫の名前が出てくる
どれもがなんとも複雑で難字が多い
画数も多くて正確に描くのも辞書をひくのも容易ではない



入選 2016/11/23 朝日新聞 栃木俳壇 石倉夏生選
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うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの   蕪村

2016-11-22 | 蕪村鑑賞
うづみ火や終には煮ゆる鍋のもの




火鉢の炭は灰にうずまっている。
その上にかけてある小さな鍋はいつ煮えるとも分からないが、
まあそのうち煮えるだろう。〔季語〕うづみ火

実景を詠みながら、
何かを暗示しているように感じられる句だ
。奥に浮かび上がるものがある。
「鍋のもの」と大づかみに言ったところが眼目。
大根か。芋か。悠々と「煮ゆる」のである。(村松二本)
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葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村

2016-11-21 | 蕪村鑑賞
葱買うて枯木の中を帰りけり





町で買ったねぎをぶら下げて、葉の落ち尽くした冬木立の中を一人で帰ってきたことだよ。〔季語〕葱・枯木


枯木の中を通りながら、郊外の家へ帰って行く人。

そこには葱の煮える生活がある。

貧苦、借金、女房、子供、小さな借家。

冬空に凍える壁、洋燈、寂しい人生。

しかしまた何という沁々とした人生だろう。

古く、懐かしく、物の臭いの染みこんだ家。

赤い火の燃える炉辺。台所に働く妻。父の帰りを待つ子供。

そして葱の煮える生活!

この句の語る一つの詩情は、こうした人間生活の「侘び」を高調している。

それは人生を悲しく寂しみながら、同時にまた懐かしく愛しているのである。

芭蕉の俳句にも「侘び」がある。

だが蕪村のポエジイするものは、一層人間生活の中に直接実感した侘びであり、

特にこの句の如きはその代表的な名句である。

(萩原朔太郎「郷愁の詩人与謝蕪村」より)

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斧入れて香におどろくや冬木立   蕪村

2016-11-20 | 蕪村鑑賞
斧入れて香におどろくや冬木立




冬木立の中にやって来て、
枯木と思って斧を打ち込んだ。
ところが、新鮮な木の香りが匂ってきて驚いた。〔季語〕冬木立

外見からは枯れてしまったように見える冬樹
斧を打ち込むと
あまりにも生々しい木肌があらわれて
木の香が漂ってくる
その驚きを素直に表現して明解だ
斧の音、周囲の雪までが浮かんでくる
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易水にねぶか流るる寒さかな   蕪村

2016-11-19 | 蕪村鑑賞
易水にねぶか流るる寒さかな




戦国時代の中国、
荘士が悲壮な決意で旅立ったという易水に、
真っ白な葱(ねぎ)が流れている。
そのさまは何とも寒さが身に沁みる。〔季語〕寒さ

注・・易水=中国河北省易県付近に発し大清流に合流する川。
秦の始皇帝を刺すために雇われた剣客荊軻(けいか)が旅立つにあたり、
易水のほとりで壮行の宴が張らた。
そのおりに吟じた詩に
「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し。
壮士 一たび去って復た還(かえ)らず」
があります。
ねぶか=根深。葱(ねぎ)の別称。
壮士=人に頼まれて暴力で事件の始末をする人。
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うつくしや年暮れきりし夜の空 一茶

2016-11-18 | 一茶鑑賞
うつくしや年暮れきりし夜の空



今年もいよいよ暮れていく。
なんと美しい夜空であるよ。〔季語〕年の暮

63歳のときの、(一茶調ではない)この句を辞世とみたい。
同じ年、「ばせを(芭蕉)忌と申すも只(たった)一人哉」。
江戸後期、芭蕉への敬愛を忘れていない。

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おとろへや榾折りかねる膝頭   一茶

2016-11-17 | 一茶鑑賞
おとろへや榾折りかねる膝頭



自分も年を取ったものだ。
若いときには膝頭(ひざがしら)で薪(まき)を折っていたものだが、
もうできない。〔季語〕榾

風呂を沸かす榾が膝頭で折れない
一茶はまたここで老いと貧しさ
孤独を感じている
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鰐口の露を弾いて小さき音

2016-11-16 | 入選句
鰐口の露を弾いて小さき音



明けきらない道を1kmほど先の小さな神社まで
早起きの鳥の声もまだわずかだ
露葎をふみながら合掌する
鰐口にも露がしっとり
音はくぐもって響かない


入選 2016/11/16 朝日新聞 栃木俳壇 石倉夏生選
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椋鳥と人に呼ばるる寒さかな   一茶

2016-11-15 | 一茶鑑賞
椋鳥と人に呼ばるる寒さかな



故郷の柏原を出てきたものの、
あいつはこの寒い冬に、のこのこと出稼ぎにいく、
まるで椋鳥だなどと人が陰口をたたく。
寒さがますます身にしみる。〔季語〕寒さ

江戸者は田舎から江戸へ出た出稼者や旅人を、
“椋鳥/むくどり”とさげすみ、わらいました。
花のお江戸で、気が利かなくて、
薄ボンヤリとしていて、品のない方言を話し、
まるっきり垢ぬけしていなかったからでしょう。
一茶も、そうした中で、荒奉公をして来たわけです。
やがて、江戸俳壇で存在感を示すようになった
一茶ですが、相変わらずの極貧生活者/
行脚・俳諧師であり、自分を椋鳥に例え、
強い疎外感を感じていたようです。
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