竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

樫の木の真顔と冬の光かな  兜太

2018-06-30 | 金子兜太鑑賞
樫の木の真顔と冬の光かな  兜太




平成13年、「東国抄」より。

樫の木は高い、
どんぐりでも落ちていなければ、
ふつう見上げることも無い、
古風な地味な木である。
樫の木に冬日が当っている、
その前に作者は立っている。
樫木は冬の厳しさに耐えているんだろう、真顔をしているなあ、
と作者は思っている、
その樫木に暖かな冬日が降り注いでいる。
その冬日の有難さよと、
樫の木と作者と冬日の交感、
そしてこの句を読む私もそこに加わって、
すこし厳かな気分を享受する。



参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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夏の山国母老いてわれを与太と言う 兜太

2018-06-29 | 金子兜太鑑賞
夏の山国母老いてわれを与太と言う 兜太




昭和61年、「皆之(みなの)」より

与太というのは愚か者と言う意味。
兜太さんの父君は医者でありながら
伊昔紅という俳人でもあった。
碧梧桐系に属していたと聞く。
幼少の頃に家で村人を集めて、よく句会が開かれたらしい。
そして、句会のあとはきまって酒を飲み、
句をだしに喧嘩になったと聞く。
幼少のその頃から、
お母さんに「俳句だけはやってはダメだ、
あれは与太のやることだからね」と言われていたと言う。

(「二度生きる」より)
兜太さんの母君はいまもご健在と聞いている。
兜太さんが82歳でいらっしゃるから、
母君では、すでに100歳を越えられていることであろう。
この句を作られた時でも、
80歳は越えていられたと思う。
そのお母さんが兜太さんへ「与太、与太」と呼ぶと言うのだから
まったく愉快、豪快な話である。
それをまた、こうして一句にする、作者も豪快である。
「われを与太と言う」には
母君の、歳をとっても子どもに負けていない、自尊がある。
その元気のいい母君が
与太」と呼ぶのを、
兜太さんはとても爽快に思っているのである。
それが「夏の山国」によく出てい

参照 
http://www.shuu.org/newpage24.htm
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鮎食うて旅の終わりの日向ある  兜太

2018-06-28 | 金子兜太鑑賞
鮎食うて旅の終わりの日向ある  兜太





昭和57年、「猪羊集」より。

鮎は清流に住む魚なので、
ここの旅というのは、山に深く入っていたのであろう。
その旅の終わりの一句なのである。
鮎は、その旅先を暗示するものであるだけでなくて
その旅の心象すらもうまく託してあるように思う。
鮎はマグロなどと違って白身の魚であり
淡白で、
そして香りのある魚である。
とてもいい旅だったのではないだろうか。
鮎は夏の魚であるから、その日向はくっきりと濃い日差しである。
兜太さんは、心地よいいい旅をした果てに鮎を食べながら、
日向のくっきとした自分の影を見ながら、憮然としているのである。
ただ、ふつう、こうした場合「
鮎食うて旅の終わりの日向かな」となるのではないだろうか。
「日向ある」とはちょっと奇妙な締めようである。
「る」の発音は内にこもり、外に発散しない。
そこに、私は、旅の終わりの「ああ、
終わってしまったなあ」という作者の鬱を読む。
俳句は一句屹立、
自分から切り離して句にするのが従来の
作法であるかも知れないけれど、
兜太さんの場合は個のありようをそのまま、
ありのまま句に放下して、
それを読んでくれる人と共有するのである。
「旅の終わりはそんなもんだ、
同情するよ」と言ってもらいたいのである。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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廃墟という空き地に出ればみな和らぐ 兜太

2018-06-27 | 金子兜太鑑賞
廃墟という空き地に出ればみな和らぐ 兜太



昭和52年、「旅次抄録」より。

ニューヨークのテロ、9.11で起きた廃墟を思って、
この句を取り上げてみた。
その一区画は大きな空き地になっているようだ。
さて、掲句では、「みな和らぐ」とある、
これはどういうことであろうか???

ニューヨークの廃墟はまだ生々しい空き地のようだが、
そうした、廃墟の跡に立った時、
人間は何を考えるのであろうか。
ニューヨークの崩壊はテロのよってなされたので、
許すまじテロの声が湧き上がったようだけれど、
それだけだろうか?

ちょっと冷静になった時に、
この廃墟へ突っ走ったその衝動というか時代の流れから、
少し身を逸らして原点と言うか、
古き良きものを思うのではないだろうか。
いま、アメリカでもそんな動きがあると「新日曜美術館」で、
古きよき時代のアメリカの日常生活を絵にした、
ノーマン・ロックウェル展がとても人気だと、
静かなブームになっている、と報じていた。
ブッシュ大統領のアフガン報復戦争は
多くのアメリカ人の声ではないのではないだろうか。
多くのアメリカ人はちょっと古い、
素朴な生活を思い出して、
ある一面は和らいでいるのではないだろうか。
第二次世界大戦のあと、
日本でも、国中、廃墟の空き地になったわけだけれど、
みんなある面、和らいだのではないか。
軍事社会の抑圧から放たれてやっと自由になったと、
ほっとしたのではないだろうか。
「みな和らぐ」に一瞬戸惑ってしまったが、
こうして考えてみると、なるほ
どと納得します。

参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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死火山に煙なく不思議なき入浴 兜太

2018-06-24 | 金子兜太鑑賞
 
死火山に煙なく不思議なき入浴 兜太




昭和47年、「暗緑地誌」より

これは無季の句ですね。
どこで詠まれたのか分らないが、
「死火山に煙なく」というのだからどこか
温泉に来ているのではないか。
露天風呂に入っての感慨のように思う。
無季だが、死火山という荒涼とした言葉の景から、
木々は落葉し裸木を想像します。
冬季ではないか、荒涼とした露天風呂に入りながら、
ふと、戦地の露天風呂を思い出しているのではないだろうか。
「煙なく」は、戦場の合図の「狼煙」をふと思い出しているのだと思う。
「不思議なき入浴」が意味が深い。
「不思議な入浴」であれば、戦時中をまだ引きずっていることになる。
「不思議なき」では、すでにその記憶は生々しいせん痛ではないが、
疼痛のようにじわじわ想い出すのであろう。
「不思議なき」に戦後27年間が込められているように思う。
温泉に来て、露天風呂に入ってもそれにどこか酔いきれない、
兜太さんの悲しみが伝わってくる句である。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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れんぎょうに巨鯨の影の月日かな 兜太

2018-06-23 | 金子兜太鑑賞
れんぎょうに巨鯨の影の月日かな 兜太





昭和61年、「皆野」から。

京都旅行の最後に京都現代美術館の山口薫の絵を見てきた。
その中に「廃船と菜の花畑」という絵があった。
大きなキャンバスはほとんど黒に塗りつぶされていた。
その絵の脇に山口薫の言葉かな?詩かな?があった。

  なぜか泣きたいような日がある
  私は生きているということがかなしくなる
  それにもかかわらず
  私は生きている中は
  生きなければならない
  何故

兜太さんの掲句を読んで、
山口薫の絵と言葉をなぜか思い出した。
山口は菜の花にあのむせかえる薫りからだろうか、
生きていくことの息苦しさを感じたのであろう。

一方、兜太さんはれんぎょうに何を感じるのであろうか。
連翹も菜の花と変わらぬ鮮烈な黄色の花だ。
「れんぎょう」と「巨鯨の影」の配合からは
山口の絵とは反対に、ひどく生々しい揺らぎをわたしは感じる。
れんぎょうの燃える黄色に巨鯨の影とは鮮やかである。

れんぎょうは大地性、
巨鯨は理想を求めるというとこのメタファーなのではないか。
兜太さんは大正8年生まれだから、この歳、67歳である。

この句は兜太さんの半生の境涯句なのかもしれない。
生きて戦後を迎え、日銀で労組に燃え、
潜心し、前衛俳句の旗頭となり、
それに挫折し、そしてみごとに再生した。
れんぎょうの眩しみのなかに
その歳月を生々しく思いだしているのではないか。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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大頭の黒蟻西行の野糞 兜太

2018-06-22 | 金子兜太鑑賞
 
大頭の黒蟻西行の野糞 兜太




昭和52年、「旅次抄録」より

前書きに「河内弘川寺」とある。
弘川寺のある葛城山は西行の領地であり、
弘川寺は西行ゆかりの寺として有名である。
そこに吟行にでも行かれたのでしょうか。
黒蟻が大きな塊になって、
真っ黒くて、まるで大きな頭のようになって群れているのを
作者は見たのでしょう。
その黒蟻が群れているのは、
西行が垂れた野糞に群れているのだ言っている。
野糞は必然的な排泄物であり、どこかユーモラスで温かい。
そこには兜太さん流の西行への親しみ、
蟻への温かくてユーモラスな眼差しがあると思うのです。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 兜太

2018-06-21 | 金子兜太鑑賞
麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 兜太





昭和60年発刊「詩経国風」より。

動物園で見かける麒麟である。
ほんとうに高い、我々が見上げる樹木より高く、
その上に頭を出してゆったりと流れゆく雲に
麒麟の目は遠くさすらっている風に見える。
背高の大きな体を支える麒麟の脚はいかにもしなやかである。
そんな麒麟であるが中国では
「 聖人の出る前に現れると称する想像上の動物。」であるらしい。
「ごとき恵みよ」とあるのだから、
麒麟は夏の人を指し聖人に繋げているのかもしれない。
しかし、私は、麒麟そのものの脚を連想する、
そうすると、はっきり夏の人のイメージが立ってくる。
兜太さんは男性なので、この夏の人は女性ではないか。
「恵み」という言葉が、相応しい、夏なのに暑苦しさのない、
爽やかな、そして、脚の長い人を想像する。
この句には、兜太さんの健康的な肉体感覚がある、
そしてまたそこに「光輝」をわたしは感じてしまう。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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濃霧だから額に光輝を覚えるのだ  兜太

2018-06-20 | 金子兜太鑑賞
濃霧だから額(ぬか)に光輝を覚えるのだ  兜太




昭和61年発刊「皆野」より。

私は年に1,2回、2000メートルを越える山に出かけていますが、
山で一番怖いのが「霧」です。
木曽駒が岳で霧にまかれて、道を逸れてしまい、
とうとう道なき道になり、
真っ暗な夜、川の音を頼りに下山したことがあります。
登山口に着いた時は夜10時で、
疲労困憊よく無事で帰れたとぞっとしたことがありました。 
それ以来、山に霧が湧き出すと神経がさっと集中して警戒します。
迷うような分岐点はないか、
大丈夫か、ここはちょっとまずいとか
思わず警戒しています。
わたくしが集中して警戒することを兜太さんは
「額(ぬか)に光輝を覚える」と表現をしています。
「光輝」はいかにも清々しい、生命の輝きがありますね。
いい言葉だなあって思いました。
「覚えるのだ」は乱暴な男言葉の、
兜太さん独特の雰囲気のある口調ですが、
こう言われてしまうと、
思わずあの山の警戒も、うむ、「光輝」だって返したくなります。
虚子が「去年今年貫く棒のごときもの」と詠む、
「貫かれた棒」にある力強さを感じ取りますが、
兜太さんは逆境の中生きぬく姿勢の、力強さ、明るさを詠まれ、
「光輝」に、わたしは励まされる思いがするのです。 

参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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霧に白鳥白鳥に霧というべきか 兜太

2018-06-19 | 金子兜太鑑賞
 
霧に白鳥白鳥に霧というべきか 兜太





昭和52年、「旅次抄録」より

白鳥は冬の季語。
一昨年前「流氷ツアー」に出かけてサロマ湖の白鳥を見た。
そのとき、群れる白鳥を間近に見て、
意外と大きく皮膚感覚が伝わってくる、
穏やかでいて、生々しく、
結構賑やかな、鳥だなあって思ったのを思い出す。
句の景はひじょうに簡明、
霧と白鳥の白い世界に作者がいる。
霧の中に白鳥がいるというべきか、
白鳥のいるところに霧が立ち込めてきたというべきか、
と考えている兜太さん。
そこに、私には詩的叙景だけでなく、
しっとりとした抒情に酔っているというか、
とてもいい気分なのだろう、
白鳥が生々しさに、すこしテレもあるのかもしれないと思ったりもする。
兜太さんの50代前半の句なのだが、
兜太さんは枯れた静的なものに感応するのではない。
どこまでも、生きているものに感応する。そこが兜太さんらしい。


参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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男女のことはすべて屈伸虫の宿    兜太

2018-06-18 | 金子兜太鑑賞
男女のことはすべて屈伸虫の宿    兜太





昭和50年、句集「狡童」より。兜太さん57歳の作。

私は男女の間を「屈伸」という捉え方が、
伸びたり縮んだりという、
いかにも兜太さんらしい、肉体感覚だと思います。
「すべて」と言い切ったところが面白い。
そこには心を通わせた男女の縁や、
それに反発する業や、嫉妬、
倦怠、喧嘩すべてを抱え込む。
抱え込んで、そして、大いに振幅したら良いのよっと言っている
そう読めて温かい「
虫の宿」は兜太さんにしては芸がないというか
普通の季語を付けられたというか、
すこし演歌ぽい感じがして「虫の宿」は頂けないように思う。


http://www.shuu.org/newpage24.htm  参照
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青年鹿を愛せり嵐の斜面にて    兜太

2018-06-17 | 金子兜太鑑賞
 
青年鹿を愛せり嵐の斜面にて    兜太




昭和36年 「金子兜太句集」神戸 より。

4,5年前に吉野の桜を見たいと思い出かけたことがありました。
奈良市内に宿を取ったので若草山など、市内をぶらぶらしましたが
奈良はほんとうに鹿が多い。
どこを歩いていても、鹿に会う。
鹿って静かでやさしいですね。
獣と言う感じがしません。
とても植物的な動物だと思います。
そんな鹿のことを思い出しながら、この句を読んで、
「青年鹿を愛せり」に、
青年の香気さがみごとに詠まれているように思います。
下句に、「嵐の斜面にて」ときますが、
青年のおかれている場が嵐の斜面だ
という比喩で詠まれています。
嵐の斜面はまず、
私の浅い知識では「嵐が丘」を連想します
映画で見た暗いヒースの荒野をふと描きましたが、
「嵐の斜面」というのは響きが明るいので、
「嵐が丘」と違ってもっと明るい荒野ではないかなあ。暗いイメージはしない。
青年に相応しい、爽やかな場の響きがあります。
青年は嵐に揉まれながら、
斜面という変化を象徴するところで、
鹿と対峙しているのだ。そして、その鹿を愛するという、
青春性がみごとに詠まれている。
兜太さんも若かったんだと、改めて、その瑞々しさに惹かれる。

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頭痛の心痛の腰痛のコスモス     金子兜太

2018-06-17 | 金子兜太鑑賞
頭痛の心痛の腰痛のコスモス     金子兜太




昭和61年 「皆野」より

「きょうは頭痛なんだ、こころも病んでいるんだ、
寂しいし、悲しい。
腰痛の具合も悪いなあ。
あれ、コスモス。
コスモスは強いなあ、倒れても起き上がって花を咲かせる。
うむ、コスモスの元気、貰ったよ。」
という兜太さんのつぶやきがそのまま句になったのではにでしょうか。

頭痛の/心痛の/腰痛の/と畳みかけて、
実はどこか悲嘆さから苦笑に意識が変わってきているように思う
読む側の苦笑を誘う。

「頭痛の心痛の腰痛の」と「コスモス」の間の距離が良い。
「の」は軽い切れですが、前節との距離があるので、しっかり切って読むことができる。
この切れが苦笑を引き出しているように思う。
この句はコスモスがとてもよく効いている。



http://www.shuu.org/newpage24.htm 参照
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海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ   金子兜太

2018-06-16 | 金子兜太鑑賞
海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ   金子兜太




昭和50年 「金子兜太全句集」生長より。

「青雲」は「青雲の交じり」を重ねているのでしょう。
兵士として同じ運命共同体、
トラック島兵士の食料調達が兜太さんのお役目だと聞いている。

限られた食料、次々に出る餓死者
幾人死ねば、何日生きられる、
と密かに計算もしたという。

やっと終戦になり、生き延びて、
圧倒的な大海原を前に、
青雲、青雲の交じり」の「せいうん」でなく「あおぐも」と読ませているところに
複雑なやりきれない無念の思いが伝わってきます。

「あおぐも」は混濁の思いが顕わで、
それを胸に生・き・て・終戦になった、
生かされていることの
青さ、「生き死に言わず生きんとのみ」は兜太さんらしい重い口調です。

この口調、近年の海程誌に、
アメリカ9.11を詠まれただろうと思われる句がありました。
   
危し秋天報復論に自省乏し
   
背高泡立草は自滅する花驕るなよ

「驕るなよ」という言葉が出てくるのも、
多くの戦友を死なせてしまった無念さが言わせる言葉でしょう。


http://www.shuu.org/newpage24.htm より転載
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腕組んで動かぬ庭師雲の峰 たけし

2018-06-15 | 
腕組んで動かぬ庭師雲の峰




植木職人が腕を組んで庭木の枝ぶりを眺めている
じっとりと額から汗
しばらく動かない
やおら脚立に上っていくつかの鋏を使い分けての作業

脚立から降りてまた腕を組む
空には大きな積乱雲

日盛りの中の仕事は他にも多いのだ



発表 2015/7/15
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