馬といて炭馬のこと語るもよし 兜太
平成13年、「東国抄」より。
蛇笏賞の「東国抄」より。
あとがきに、じぶんのいのちの原点である秩父の山河、
その産土の時空を、
心身込めて受け止めようと努めるようになった・・・とある。
みやびより大地にどっしり根ざしたものをと言うのが
兜太さんの作句姿勢なのである。
季語は「炭馬」の炭から、冬であろう。
それにしても、「馬といて炭馬のこと語るもよし」とは、
読んで、なんと力みのない、
大かさであろうか。味わい深い。
「馬といて」の馬とは、今日では競走馬とか、観光馬なのかもしれない。
馬の傍で、昔の炭馬の話をしようというもの。
炭馬とは炭を運ぶ馬のこと、
人がその馬の手綱を引き、馬と共に歩くのである。
人間と馬の、素朴な心通わせる関係があり、
それを思い出して「語るもよし」という、
そこには穏やかな産土の時空がある。しみじみとする句である。
「炭馬」という澄んだ響きも良いなあって思う。
平成13年、「東国抄」より。
蛇笏賞の「東国抄」より。
あとがきに、じぶんのいのちの原点である秩父の山河、
その産土の時空を、
心身込めて受け止めようと努めるようになった・・・とある。
みやびより大地にどっしり根ざしたものをと言うのが
兜太さんの作句姿勢なのである。
季語は「炭馬」の炭から、冬であろう。
それにしても、「馬といて炭馬のこと語るもよし」とは、
読んで、なんと力みのない、
大かさであろうか。味わい深い。
「馬といて」の馬とは、今日では競走馬とか、観光馬なのかもしれない。
馬の傍で、昔の炭馬の話をしようというもの。
炭馬とは炭を運ぶ馬のこと、
人がその馬の手綱を引き、馬と共に歩くのである。
人間と馬の、素朴な心通わせる関係があり、
それを思い出して「語るもよし」という、
そこには穏やかな産土の時空がある。しみじみとする句である。
「炭馬」という澄んだ響きも良いなあって思う。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm
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