竹とんぼ

先達の秀句を味わいながら
自得の一句を求めて多作多捨です
古希すぎの晩学で楽しみながらの遅々緩歩です

温め酒はなしの棘に先手打つ たけし

2019-01-30 | 


温め酒はなしの棘に先手打つ たけし

本日の朝日新聞栃木俳壇に入選した

ちょっと面倒なな来局
つくり笑顔で招き入れる
相手が話を始めないうちに先ずは一献
話の棘も丸くなる

熱燗ではこうはいかない
「温め酒」は秋の季語だが、この句意は冬なのだが



【温め酒】 あたためざけ
◇「ぬくめ酒」
陰暦9月9日は寒暖の境目とされ、この日から酒を温めて飲むと病気にかからないと言われた。この日が寒温の境にあたるという考えからでた語である。
例句 作者
美しき蟹あり酒を温むる 高野素十
ねころぶは杜甫か李白か温め酒 有馬朗人
温め酒弔辞褒められゐたりけり 小笠原和男
いつの世も流離は暗し温め酒 福田甲子雄
火美し酒美しやあたためむ 山口青邨
銀河系のはづれにをりてぬくめ酒 加藤正尚

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爽籟や祖父満願の奉献旗  たけし

2019-01-27 | 


爽籟や祖父満願の奉献旗  たけし

角川の「俳句2月号」に朝妻力先生の選を得た
神社にあげられた「奉献旗」を句材にした俳句を
いくつか作ったがなかなか評価を得ることは無かったので
こよの他うれしい

掲句は秋の爽やかなおりからの風に
祖父がむかし満願を祝し、奉献した旗が揺らめいている

俳友の実話をもとにしたものだ
初風や遠祖ゆかりの奉献旗 たけし
は本ねん年頭の句だ
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草紅葉縁側のすぐざらざらに 波多野爽波

2018-11-06 | 


草紅葉縁側のすぐざらざらに 波多野爽波

縁側は、こまめに掃除せず放っておくと、
頻繁に上がってくる人のこぼした砂や土埃で、すぐ、汚れてしまう。
そのさまを、
「ざらざらに」という触覚性リアルな言葉で表現した。
日常の光景から、実存の深みまで
感じさせてしまうのが、爽波俳句の特色である。
荒涼とした手触りの世界の外界には、
色づいた秋の草が生々しいまでに、その色彩を訴えかけてくる。
『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)

草紅葉ふいに現る滝見台 たけし

草紅葉媼の電動車椅子 たけし

伊達もんの考のステッキ草紅葉 たけし
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父母の天長節の明治節 原岡昌女

2018-11-03 | 



父母の天長節の明治節 原岡昌女

文化の日は時代の背景によって呼称が変化してきた
掲句はそれらを諷刺しているわけでもないが
立ち止まって考えさせられる


今日は文化の日という祝日だが
第二次大戦前における、天皇の誕生日の称。四大節の一。

昭和23年7月20日に祝日法が公布され、
11月3日は「自由と平和を愛し、文化を すすめる」の趣旨によって祝日「文化の日」となりました。
実はこの日は明治天皇のお 誕生日にあたり、
戦前は明治節と呼ばれていたのです。

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サーファーのスローモーション秋落暉 たけし

2018-10-31 | 



サーファーのスローモーション秋落暉 たけし

サーファーは夏の主役だが
波の高くなる秋の海に挑んでいる

大きな落日を背に
黒いシルエットがゆっくりと
波とともに沈む

孤独に見えるサーファーは海の王子だ

3018年10月31日 朝日新聞 栃木俳壇 石倉夏生選入選
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鰯雲町の名いまもニュータウン たけし

2018-10-28 | 


鰯雲町の名いまもニュータウン たけし

空一杯に鰯雲
その下にひろがるたくさんの山、川
そして森羅万象

町は起こり広がる
そしてその役目は移ろい変化する

かって若い家族が子を産み育てたニュータウン
いまや老々介護の高齢者ばかり
それでも町の名は
〇〇ニュータウン
空には何も変わらず鰯雲

角川平成俳壇30-11入選 山田佳乃選
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どの顔も般若阿修羅や稲びかり たけし

2018-10-27 | 


どの顔も般若阿修羅や稲びかり  たけし


季節が少々遅れたが季語に「稲光」
稲妻の傍題とされる

山宿の夜の露天風呂に仲間とほろよいの気分で談笑していると
突然の今光
湯の中の仲間の顔が一瞬またたいて
おそろしい形相になった
みな般若になったり阿修羅になったりで息を呑む
ひょっとしたら平常こそが仮面で
こちらが本当の顔なのかともおもえる

2018.10.24 朝日新聞 栃木俳壇入選 石倉夏生選

【稲妻】 いなずま(・・ヅマ)◇「稲光」 ◇「いなつるび」
晴れた夜空に、雷鳴はなくただ電光だけが走る現象。これは遠方に起こった雷で、秋に多いく、稲をよく実らせるという俗説から稲妻という言葉が生まれたといわれる。
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一足の石の高きに登りけり  高浜虚子

2018-10-23 | 


一足の石の高きに登りけり  高浜虚子

陰暦九月九日(今年の陽暦では10月22日にあたる)は、陽数の「九」が重なるので「重陽」「重九」と呼び、めでたい日とする。その行事の一つが「高きに登る(登高)」ことで、秋の季語。グミを詰めた袋を下げて高いところに登り、菊の酒を飲むと齢が延びるなどとされた。したがって、「菊の節供」「菊の日」とも。元来は中国の古俗であり、今ではすっかり廃れてしまったが、この言い伝えを知っていた人は登山とまではいかずとも、この日には意識してちょっとした丘などの高いところに登っていたようだ。一種のおまじないである。「行く道のままに高きに登りけり」(富安風生)。掲句はその無精版(笑)とでも言おうか。用もないのにわざわざどこかに登りに行くのはおっくうだし、さりとて「登高」の日と知りながら登らないのも気持ちがすっきりしない。だったら、とりあえず一足で登れるこの石にでも登っておこうか。どこにも登らないよりはマシなはずである。というわけで、茶目っ気たっぷり、空とぼけた句になった。ただ、古来の習俗が形骸化していく過程には必ずこうした段階もあるのであって、その意味では虚子ひとりの無精とは言えないかもしれない。それが証拠に、たとえば草間時彦に「砂利山を高きに登るこころかな」の一句もある。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)

【高きに登る】 たかきにのぼる
◇「登高」(とうこう)
重陽に茱萸(ぐみ)を詰めた赤い袋を下げて高い所に登り、菊酒を飲むと齢が延びるという中国の古い言い伝えがあり、これを「登高」という。現在では近くの山、丘陵にハイキングに行くことも表す。

例句 作者

けふの日の高きに登り虚子思ふ 山口青邨
登高のこころの鐘をつきにけり 鈴木五鈴
登高の二年二組にまた会へり 羽根嘉津
一足の石の高きに登りけり 高浜虚子
わが町の見ゆる高きに登りけり 塚月凡太
亡びたる城の高きに登りけり 有馬朗人
地酒醒め高きに登る女たち 赤尾兜子
行く道のままに高きに登りけり 富安風生

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冷やかに海を薄めるまで降るか 櫂未知子

2018-10-22 | 


冷やかに海を薄めるまで降るか 櫂未知子

季語は「冷やか」。秋です。秋も終わりのほうの、冬へ、その傾斜を深めてゆく頃と考えてよいでしょう。春から夏へ向かう緩やかな階段を上るような動きとは違って、秋は滝のように、その身を次の季節へ落とし込んでゆきます。「冷やか」とは、じつに的確にその傾斜の鋭さを表した、清冽な季語です。夏の盛りの驟雨、暑さを閉じる雷雨、さらには秋口の暴風雨と、この時期の季節の移ろいに、空はあわただしく種類の異なる雨を提示してゆきます。その提示の最後に来るのが、秋の冷たい雨です。晩秋の雨の冷たさは、染み込むようにして、あたたかさに慣れきった身体を濡らしてゆきます。この句で際立っているのは、「海を薄めるまで」のところです。このような大げさな表現は、ひそやかに物を形容する日本語という言語には、適していないのかもしれません。しかし、この句にあっては、それほどの違和感をもつことなく、わたしたちに入ってくることができます。降る雨は、海の表面に触れる部分では、たしかにその瞬間に海を薄めているのです。それはまるで、海が人のように季節の冷たさを感じているようでもあります。そしてまた、海が濡れてゆくようでも。『角川俳句大歳時記 秋』(2006・角川書店)所載。(松下育男)

【冷やか】 ひややか
◇「冷ゆ」 ◇「ひやひや」 ◇「秋冷」 ◇「下冷え」 ◇「朝冷え」 ◇「夕冷え」

秋になって覚える冷気。秋も深まり、壁に触れたり、畳に座ったりすると思わずひやりと感じることをいう。

例句  作者
暁のひやゝかな雲流れけり 正岡子規
暁闇や洗ひしごとき髪の冷え  野澤節子
冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな  相馬遷子
冷やかや咲いて久しき畑の菊  増田龍雨
ひつそりと冷えの到りし父の下駄  角川春樹
紫陽花に秋冷いたる信濃かな  杉田久女
誰が耳と思ふわが耳冷えきつて  林 翔
火の山にたましひ冷ゆるまで遊ぶ  野見山朱鳥
考えていて手は秋冷のテーブルに  高橋信之
秋冷や山のこほろぎ日を歩き  藤田あけ烏

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をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

2018-10-21 | 


をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏

季語は「すすき(芒・薄)」で秋。秋の七草の一つ。さて、今日は三連休の中日ですね。お勤めの方々には、三日間の中でもいちばんリラックスした気分で過ごせる日ではないかと思います。やっぱり日頃の土日二連休とは違って、いつもと同じ日曜日の感じではありませんよね。なんてったって、明日も「また」休めるのですから。非常に得をしたようなご気分の方が多いでしょう。そこで、ひとつどうでしょうか。近所の河原にでも出かけてみて、すすきを手折るなどして句のような風流を味わってみては……。でも、てな誘いにうかうかと乗せられて、すすきを手折ろうなんてことはしないほうが良いですよ。あの茎はとても強くてしぶといですから、普通の人には手折るなんて上品な行為では、まず「をりと」るのは無理でしょう。力任せに左右に何度もねじって、引き千切るくらいの野蛮さが必要です。学生時代にはじめて掲句に出会ったとき、私は蛇笏を人並外れた怪力の持ち主かと思いましたね。どう考えても、この句は丈の高い丈夫なすすきを「をりとりて」いるとしか読めません。なにしろ、手にして「はらりとおもき」なのですからね。そんなすすきを、句はたやすく手折ったように印象づけていますが、またそれでなくては句の美しさが失われてしまいますが、本当にさらりと「をりと」ったのだとすれば凄いことです。私だったら、「ねじきって」とか「ねじおって」、あるいは刃物で「きりとって」とでもやるところでしょうか。しかし、これでは「はらりとおもき」とはいきませんから駄目でしょう。名句の誉れ高いこの句は、ま、あらまほしき世界を描いたフィクションとしての名作なんでしょうね。世の中には「はらりとおもき」に目を奪われた解釈が圧倒的ですが、「をりとりて」にもう少し注目する必要があろうかと思います。むろん、私は俳句のフィクションを否定しません。否定しませんが、これはいささかやり過ぎじゃないのかと。いかにも実際めかした衣裳が、どうにもいただけませんので。(清水哲男)

【芒】 すすき
◇「薄」(すすき) ◇「花芒」 ◇「芒野」 ◇「糸芒」 ◇「尾花」 ◇「芒散る」 ◇「尾花散る」
イネ科の多年草。日当たりの良い山野のいたるところに自生する。秋、桿頭に中軸から多数の枝を広げ、黄褐色か紫褐色の花穂を出す。風が吹くと一斉になびく姿は風情がある。花穂が獣の尾に似ていることから「尾花」ともいう。冬近くになると花穂は開ききって光沢を失い、散りこぼれる。

例句 作者

山越ゆるいつかひとりの芒原 水原秋櫻子
なにもかも失せて薄の中の路 中村草田男
磐梯の火口せまれる尾花刈 望月たかし
芒の穂ばかりに夕日のこりけり 久保田万太郎
芒かき分けて夕日の前に出る 橋本美代子
落暉炎えて男ばかりや尾花照る 渡辺水巴
萩芒活けて湯屋の隠し部屋 吉岡鳴石
山越せば海荒れて居る芒かな 阪井二星
折りとりてはらりとおもき芒かな 飯田蛇笏
散る芒寒くなるのが目に見ゆる 一茶

切っ先はまだ尖らせず青芒   たけし
青芒付和雷同の生きる知恵   たけし
この街を終と確かむ芒晴    たけし
強面の漢の急ぐ芒原      たけし
せいせいと人との隙間芒晴れ  たけし

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いちじくに唇似て逃げる新妻よ 大屋達治

2018-10-20 | 


いちじくに唇似て逃げる新妻よ 大屋達治

無花果に似ているというのだから、思わずも吸いつきたくなるような新妻の唇(くち)である。しかし、突然の夫の要求に、はじらって身をかわす新妻の姿。仲の良い男女のじゃれあい、完璧にのろけの句だ。実景だとしたら、読者としては「いいかげんにしてくれよ」と思うところだが、一度読んだらなかなか忘れられない句でもある。新婚夫婦の日常を描いた俳句は、とても珍しいからだろう。ただし、この句は何かの暗諭かもしれない。それが何なのかは私にはわからないが、とかく俳句の世界を私たちは実際に起きたことと読んでしまいがちだ。「写生句常識」の罪である。もとより、俳句もまた「創作」であることを忘れないようにしたい。(清水哲男)

【無花果】 いちじく
◇「白無花果」
晩秋、外皮が暗紫色になり裂けてうす桃色の果肉を見せる。生食したりジャムや缶詰等に加工する。形は卵に似た円形。枝についている端は細く、反対側は扁形。5センチほどの大きさ。

例句 作者

無花果や永久に貧しき使徒の裔 景山筍吉
無花果の乳噴き出すはさびしけれ 大島雄作
無花果にゐて蛇の舌みえがたし 飯田蛇笏
無花果を煮つめ琥珀の夕ごころ 菅野明子
無花果や目の端に母老いたまふ 加藤楸邨
あるきつつ無花果たべぬなほ焦土 山田麗眺子
無花果食ふ月に供へしものの中 石田波郷

無花果や我が生命線を確かむる  たけし
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無月かな佐助のごときひとが欲し 津森延世

2018-10-19 | 


無月かな佐助のごときひとが欲し 津森延世

さまざまな「佐助」がいると思うけど、僕など佐助といえば猿飛佐助しか浮かばない。無月の夜に甲賀忍者佐助を思うのはよくわかる。なんとなく巻物を咥えて出てきそうな雰囲気があるから。しかし、作者がどうして佐助のようなひとが欲しいと思うのかが謎であり、この句の魅力なのだ。作者は女性だから、女として佐助のような男がいたらいいなと思っている。友人としてなんてつまらないから、恋人として。神出鬼没で身がかろやかで、手品どころか忍術を使える男。今でいうとおもしろくて飽きない男を作者はお望みなのだ。佐助より佐助が仕えた真田幸村の方が男としては上ではないかなどと思うが幸村の恋人だといざというとき自刃せねばならない。やっぱり佐助くらいでいい。美人の超人気女優が漫才タレントとくっつくのもその伝かもしれない。『新日本大歳時記』(1999)所収。(今井 聖)

【無月】 むげつ
十五夜に、雲のために名月を見ることができないこと。雨月を含めていうこともある。見えないとはいえ、
心にはくっきりと月が浮んでいる。

例句 作者

無月の浜白浪ありてさびしからず 大野林火
豆選れば波の音して無月なり 猪口節子
雨の月どこともなしの薄あかり 越人
欄干によりて無月の隅田川 高浜虚子
舟底を無月の波のたたく音 木村蕉城
べうべうと汐引く川の無月かな 飯田龍太
めいめいに菓子とりまはす無月かな 龍岡 普
湖のどこか明るき無月かな 倉田紘文
笛の音の美しかりし無月かな 高野素十
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秋の日が終る抽斗をしめるように  有馬朗人

2018-10-18 | 


秋の日が終る抽斗をしめるように  有馬朗人

引き出しがなめらかに入るその感触は、気持のよいものです。扉がぴたりとはまったときや、螺子が寸分の狂いもなく締められたときと同じ感覚です。そのような感触は、あたまの奥の方がすっと感じられ、それはたしかに秋の、乾いた空気の手触りにつながるものがあります。抽斗は「ひきだし」と読みます。「引き出し」と書くと、これは単に動作を表しますが、「抽斗」のほうは、「斗」がいれものを意味しますから、入れ物をひきだすというところまでを意味し、より深い語になっています。「秋の日」、「終る」、「抽斗」と同じ乾き方の語が続いたあとは、やはり「閉じる」よりもさわやかな、「しめる」が選ばれてよいと思います。抽斗をしめることによって、中に閉じ込められたものは、おそらくその日一日のできごとであるのでしょう。しめるときの振る舞いによって、その日がどのようなものであったのかが想像できます。怒りのちからで押し込むようにしめられたのか、涙とともに倒れこむようにしめられたのか。箱の中で、逃れようもなく過ごしてきた一日は、どのようなものであれ、時が来れば空はふさがれ、外からかたく鍵がかけられます。掲句の抽斗は、激することなく、静かにしめられたようです。とくに大きな喜びがあったわけではないけれども、いつものなんでもない、それだけに大切な、小箱のような一日であったのでしょう。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)

【秋の日】 あきのひ
◇「秋日」 ◇「秋日影」 ◇「秋日向」
秋の一日にも、秋の日差しにもいう。秋の日は暮れやすく、どこかあわただしい感じがある。初秋の頃は夏を引きずったような強い日射しも、次第に和らいで行き、空気も澄んできらきらと輝くようである。立秋から晩秋までひろく示すが「秋の日輪」のみを示すこともある。

例句 作者

水底の草にも秋の日ざしかな 高橋淡路女
白壁のかくも淋しき秋日かな 前田普羅
デモの中の一つの真顔秋日濃し 丸山哲郎
水の面に秋白日の穂高嶽 石原八束
削られし伊吹の地肌秋日濃し 栗田やすし
鶏頭に秋の日のいろきまりけり 久保田万太郎
売れ残るラムネに秋の夕日哉 寺田寅彦
秋の日のかりそめながらみだれけり 去来
谿ふかく秋日のあたる家ひとつ 石橋辰之助
ころがつてゆきし玩具の秋の翳 行方克己

秋日差し鑿あと深き石の蔵    たけし
大仏の胎のなかにて秋日差    たけし
秋日和音たてて跳び足の爪    たけし
秋日差し水面にゆれるフラスコ画 たけし
よそいきの言葉ありけり秋日和  たけし
外人墓地ひとつひとつの秋日影  たけし
  
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鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽  金子兜太

2018-10-16 | 



鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽  金子兜太

大きな景を自身の旅への期待感で纏めた作品だ。加藤楸邨は隠岐への旅の直前に「さえざえと雪後の天の怒濤かな」と詠んだ。楸邨の句はまだ東京にあってこれから行く隠岐への期待感に満ちている。兜太の句も北海道に鮭を食いに行く旅への期待と欲望に満ちている。雪後の天に怒濤を感じるダイナミズムと夕焼け空の色と形に肛門を感じる兜太のそれにはやはり師弟の共通点を感じる。言うまでもなく肛門はシモネタとしての笑いや俳諧の味ではない。食うがあって肛門が出てくる。体全体で旅への憧れを詠った句だ。こういうのをほんとうの挨拶句というのではないか。『蜿蜿』(1968)所収。(今井 聖)

【鮭】 さけ
◇「初鮭」 ◇「秋味」 ◇「鮭の秋」 ◇「鼻曲り鮭」
サケ科。体長約1メートル。9月ころから産卵のため群れをなして故郷の川を遡ってくる。上流で産卵し、孵化した稚魚は海に下って成長する。北日本、特に北海道西海岸に多い。肉は鮮紅色で、東京ではしゃけ、北海道では秋味(あきあじ)と呼ばれる。

例句 作者

一番鮭溯るや早瀬又荒瀬 水原秋櫻子
石狩の怒りのにごり鮭の秋 加藤蛙水子
阿武隈に雲満ちきたり鮭のぼる 加倉井秋を
垂直に鮭が顔出す酒溜 千葉 仁
橋上を婚の荷過ぎる鮭の川 石川文子
月高く産卵の鮭寝静まり 藤田右丞子

尖る歯を剥き出しの鮭下り簗  たけし
月光に尖る鮭の歯下り簗    たけし
泪目の大鮭一尾簗終い     たけし
鮭遡る龍門の滝冬に入る    たけし
   
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流星やいのちはいのち生みつづけ 矢島渚男

2018-10-15 | 



流星やいのちはいのち生みつづけ 矢島渚男

季語は「流星(りゅうせい)」で秋。流れ星のこと。流星は宇宙の塵だ。それが何十年何百年、それ以上もの長い間、暗い宇宙を漂ってきて地球の大気圏に入ったときに、燃えて発光する。そして、たちまち燃え尽きてしまう。この最期に発光するという現象をとらまえて、古来から数えきれないほどの詩歌の題材になってきたわけだが、その多くは、最後の光りを感傷することでポエジーを成立させてきた。たとえば俳句では「死がちかし星をくぐりて星流る」(山口誓子)だとか「流れ星悲しと言ひし女かな」(高浜虚子)だとかと……。しかし、この句は逆だ。写生句だとするならば、作者が仰いでいる空には、次から次へと流星が現れていたのかもしれない。最期に光りを放ってあえなく消えてゆく姿よりも、すぐさま出現してくる次の星屑のほうに心が向いている。流星という天体現象は、生きとし生けるもののいわば生死のありようの可視化ともいえ、それを見て生者必滅と感じるか、あるいは生けるものの逞しさと取るのか。どちらでももとより自由ではあるが、あえて後者の立場で作句した矢島渚男の姿勢に、私などは救われる。みずからの遠くない消滅を越えて、類としての人間は「いのち」を生みつづけてゆくであろう。このときに、卑小な私に拘泥することはほとんど無意味なのではないか。そんなふうに、私には感じられた。うっかりすると見逃してしまいそうな句だが、掲句はとても大きいことを言っている。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)

【流星】 りゅうせい(リウ・・)
◇「流れ星」 ◇「星飛ぶ」

宇宙に漂う塵が大気中に入って燃焼・発光する現象。夜半に多く現れ、8月中頃の空に最も多い。流星というが、実体は宇宙の塵または砂粒とよぶべきもので、これが群となって夜空に現れ一瞬にして消えると星が飛ぶあるいは流れるように見えるのである。
 
例句 作者

夜遊びの記憶に星の流れけり 神田綾美
流星のつづけさまなる終列車 清水昇子
星流れ土偶の眼より波の音 菅野茂甚
星一つ命燃えつつ流れけり 高浜虚子
流れ星何か掟を破りしや 有吉桜雲
星飛ぶやどこまで行くも早寝村 いのうえかつこ
流星や旅の一夜を海の上 下村ひろし
みごもりて流星さとく拾ひをり 菅原鬨也
星流れ落葉松林すぐ目の前 服部多々穂
流星の尾の長かりし湖の空 富安風生


星流る懺悔のあとの天主堂   たけし
星飛ぶや一軒宿に吾ひとり   たけし
家数に灯りのまばら星流る   たけし

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