乳房四房がいかにも不思議乳牛諸姉 兜太
昭和61年、「皆之」より。
これは搾乳の様子を見て作られたのであろう。
兜太さんの山小屋のある近くにはたしか牧場があったと思う。
一頭の乳牛にいくらぐらい乳が摂れるのであろうか?
本当に勢いよく乳が搾られているのを見たことがある。
その搾乳を「いかにも不思議」とは、まったくその通りで、
ここには詩的操作が施されていない。
「乳房四房がいかにも不思議」というフレーズからは、
乳牛に対するそこはかとした哀切感がある。
下五に、「乳牛諸姉」という、
私はここに惹かれた。
作者は乳牛に諸姉といかにも親しく人間の尊称で、
呼びかけているのである。
そこには乳牛に対する作者の温かい眼差しがある。
その温かさは「いかにも不思議」という
生な言葉からも醸し出されてくる。
この句には季語が無い。
しかし、一句から私は、早春のつんと立ち上がってくる感じ、
乳房感があるように思う。
産土の乳牛の豊かな温みと早春の感傷を感じさせてくれる。
昭和61年、「皆之」より。
これは搾乳の様子を見て作られたのであろう。
兜太さんの山小屋のある近くにはたしか牧場があったと思う。
一頭の乳牛にいくらぐらい乳が摂れるのであろうか?
本当に勢いよく乳が搾られているのを見たことがある。
その搾乳を「いかにも不思議」とは、まったくその通りで、
ここには詩的操作が施されていない。
「乳房四房がいかにも不思議」というフレーズからは、
乳牛に対するそこはかとした哀切感がある。
下五に、「乳牛諸姉」という、
私はここに惹かれた。
作者は乳牛に諸姉といかにも親しく人間の尊称で、
呼びかけているのである。
そこには乳牛に対する作者の温かい眼差しがある。
その温かさは「いかにも不思議」という
生な言葉からも醸し出されてくる。
この句には季語が無い。
しかし、一句から私は、早春のつんと立ち上がってくる感じ、
乳房感があるように思う。
産土の乳牛の豊かな温みと早春の感傷を感じさせてくれる。
参照 http://www.shuu.org/newpage24.htm