竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

温め酒はなしの棘に先手打つ たけし

2019-01-30 | 


温め酒はなしの棘に先手打つ たけし

本日の朝日新聞栃木俳壇に入選した

ちょっと面倒なな来局
つくり笑顔で招き入れる
相手が話を始めないうちに先ずは一献
話の棘も丸くなる

熱燗ではこうはいかない
「温め酒」は秋の季語だが、この句意は冬なのだが



【温め酒】 あたためざけ
◇「ぬくめ酒」
陰暦9月9日は寒暖の境目とされ、この日から酒を温めて飲むと病気にかからないと言われた。この日が寒温の境にあたるという考えからでた語である。
例句 作者
美しき蟹あり酒を温むる 高野素十
ねころぶは杜甫か李白か温め酒 有馬朗人
温め酒弔辞褒められゐたりけり 小笠原和男
いつの世も流離は暗し温め酒 福田甲子雄
火美し酒美しやあたためむ 山口青邨
銀河系のはづれにをりてぬくめ酒 加藤正尚

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雪晴の額にもうひとつのまなこ しなだしん

2019-01-28 | 今日の季語


雪晴の額にもうひとつのまなこ しなだしん

昔読んだ手塚治虫のマンガ『三つ目がとおる』を思い出した。普段はぼんやりして泣き虫、額に大きなばんそうこうを貼った主人公がばりっとばんそうこうをはがしてもう一つの目が出現するや、不思議な魔力を発揮する話だった。どんよりと雲が垂れこめて降り続いた雪がやむと青く晴れ渡った天気になる。真っ白な雪に覆われた景色のただ中にいると普段は見えないものが遠くまで見通せるような気持ちになる。目はもともと脳の一部が変質したものという説があるが、視覚的な景色をとらえる目とは異質なものを感知する目が額にあるのかもしれない。「もうひとつのまなこ」は雪晴の冷たく透き通った空気を額に感知しての比喩的表現だろうが、そんな日には前髪でかくされた眼が現れる非現実も違和感なく受け取れる。『隼の胸』(2011)所収。(三宅やよい)

【雪晴】 ゆきばれ
◇「深雪晴」(みゆきばれ) ◇「雪後の天」(せつごのてん)
雪の降り止んだ翌朝は、雲ひとつない晴天に恵まれることが多い。しかも、心なしか暖かに感ずる。青天に雪一色の世界は清々しく心の洗われる心地がする。

   例句          作者

雪晴の日ざしまともに机かな 五百木瓢亭
きつつきの来て雪晴の直ぐなる樹 大野林火
深雪晴わが影あをき虚空より 深谷雄大
雪晴れの松の雫に射られけり 児玉喜代
雪の晴舟屋の屋根に人のゐて 関戸靖子
雪晴や山押し分けて川流る 相馬遷子
雪はれの朝餉の酸茎噛みにけり 日野草城

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爽籟や祖父満願の奉献旗  たけし

2019-01-27 | 


爽籟や祖父満願の奉献旗  たけし

角川の「俳句2月号」に朝妻力先生の選を得た
神社にあげられた「奉献旗」を句材にした俳句を
いくつか作ったがなかなか評価を得ることは無かったので
こよの他うれしい

掲句は秋の爽やかなおりからの風に
祖父がむかし満願を祝し、奉献した旗が揺らめいている

俳友の実話をもとにしたものだ
初風や遠祖ゆかりの奉献旗 たけし
は本ねん年頭の句だ
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斧一丁寒暮のひかりあてて買ふ 福田甲子雄

2019-01-24 | 今日の季語


斧一丁寒暮のひかりあてて買ふ 福田甲子雄


【冬の暮】 ふゆのくれ
◇「冬の宵」 ◇「冬の夕」 ◇「寒暮」
短い冬の日の夕方。暮れやすいとの本意がベースであろうが、寒々とした冬の情感がより心細さを誘う。
例句 作者
黒き帆のまぢかに帰る冬の暮 山口誓子
鉄筆をしびれて放す冬の暮 能村登四郎
縄とびの寒暮いたみし馬車通る 佐藤鬼房
冬の暮灯もさねば世に無きごとし 野見山朱鳥
黒豆の煮ゆるくろさや冬の暮 小林羅衣
冬の暮高円山はあの辺り 藤田あけ烏
火遊びの子らがまだゐて冬の暮 上田五千石
商ひて戻る寒暮の子のもとに 田中菅子
冬の暮遠き白さの鶏生きて 宮津昭彦


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経行の蹠冷たくて冬紅葉  瀬戸内寂聴

2019-01-20 | 今日の季語


経行の蹠冷たくて冬紅葉  瀬戸内寂聴

経行(きんひん)は仏教語。座禅中、足の疲労をとるためや眠気をとるために、一定の場所を巡回・往復運動すること。(「日本語大辞典」より)。蹠(あうら)は皮膚のかたい足の裏。枕草子「冬はつとめて」を想起させる、凛とした情景です。たしかに、現在、冬でも温々した環境に身を置いている者にとって、冷え冷えする情景は、修行の場以外にはそうそうありません。「経行」(kinhin)が、かすかに音を立ててくり返されている様子を音標化していて、「蹠」(あうら)という語感には、冷たい床板にじかに接着する質感が伴っており、しかも字余りだから冷たさも余計に伝わってきます。ここまでの情景には、玄冬という語がふさわしい厳しさ寒さがありますが、それゆえに、冬紅葉の赤が鮮やかに目にしみます。かつて禁色だった赤も、冬紅葉であるならば修行の場で許され、むしろ、このうえない目の楽しみとしてあがめられているのではないでしょうか。古刹の冬の情景を、調べとともに映像的に、しかも、冷たさまでをも伝えています。『寂聴詩歌伝』(2013)所収。(小笠原高志)

【冬紅葉】 ふゆもみじ(・・モミヂ)
◇「残り紅葉」 ◇「残る紅葉」

気候温暖な地方では、立冬を過ぎてから紅葉する場合があるが、本意は、なお冬に入っても枝に残っている紅葉にあり、その風景は周囲の枯れ色に対し、なまじ色があるだけに哀れで寂しいものがある。

    例句        作者

夕映に何の水輪や冬紅葉 渡辺水巴
冬紅葉冬のひかりをあつめけり 水原秋櫻子
冬紅葉日陰日陰へ水はしり 能村登四郎
鎌倉のこの谷戸知らず冬紅葉 星野立子
朱よりもはげしき黄あり冬紅葉 井沢正江
冬紅葉冬のひかりをあつめけり 久保田万太郎
風ありて散りなくて散る冬紅葉 今井風狂子
余生とはかく美しき冬紅葉 高木晴子
冬紅葉しづかに人を歩ましむ 富安風生
冬紅葉擁かれつ蹤きつ女の身 石田波郷
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雪雲を海に移して町ねむる  八木忠栄

2019-01-16 | 今日の季語


雪雲を海に移して町ねむる  八木忠栄

雪国育ちの現代詩人の句。同じ作者に「ふるさとは降る雪の底母の声そ」という望郷の一句があり、豪雪の地であることが知れる。昼間いやというほどに雪を降らせた雲も、ようやく海上に抜けていった。いまは雪に埋もれた静寂のなかで、愛すべき小さなわが町は眠りについている……。「海に移して」というスケールの大きな表現が利いている。人が抗うことなどとても不可能な大自然への畏敬の念が、「町ねむる」にさりげなく象徴されているのだと思う。今夜も日本のどこかで、このようにねむる町があるだろう。海は出てこないけれど、にわかに『北越雪譜』(鈴木牧之)が読みたくなった。江戸期の雪国のすさまじい雪の話がいくつも出てくる。八木忠栄個人誌「いちばん寒い場所」(1997・24号)所載。(清水哲男)


U  俳句            作者名

雪雲がどたりと盆地粘土質 藤野武
雪雲の中に日が浮き雪の降る 加藤瑠璃子
雪雲の蘆の高さにおり来る 金山桜子
雪雲をまだ遊ばせて春立てり 角倉洋子
雪雲混沌不思議に心輕くなる 光宗柚木子
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東西南北より吹雪哉 夏目漱石

2019-01-15 | 今日の季語


東西南北より吹雪哉 夏目漱石

エンタツ・アチャコの漫才コンビで有名だった花菱アチャコのせりふではないが、「もう、むちゃくちゃでござりまするワ」という物凄い吹雪。「東西南北」は「ひがし・にし・みなみ・きた」と読むと、五七五音におさまる。ただ、物凄い吹雪ではあるけれども、アチャコのせりふと同じように、悲愴感はない。巧みな句でもない。作者は、この言葉遊びめいた、ちょっとした思いつきを楽しんでいるのであって、漱石にとっての俳句とは、ついにこのような世界で自適することにあったのかもしれぬと思う。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)

視界ゼロ吹雪く山頂無一物 平田青雲
地吹雪に道閉ざされてしまひけり 加藤栄女
吹雪く中葬列に手を合はせけり 加藤栄女
地吹雪へ列車引く子を送りけり 加藤栄女
地吹雪や石像のごと尻屋馬 飯田知克
地吹雪に連れ去られさう下校の子 高瀬博子
五戸の谷吹雪く一戸の通夜あかり 境江富美江
地吹雪や背中で進む通学路 坂一草 吹雪
冬空に舞ふ進水の紙吹雪 亀井朝子 冬の空
地吹雪や二の橋までは見えてをり 藤野尚之
鈍行を鈍行が待つ吹雪かな 杉田とみ子
ホスピス棟吹雪にかすむ窓の夫 竹内静子
吹雪を来し子の瞳けものの光持つ 小原賢哉
地吹雪を踏みつぶし行く五能線 森岡正作
地吹雪や蝦夷はからくれなゐの島 櫂未知子
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居酒屋の灯に佇める雪だるま  阿波野青畝

2019-01-14 | 青畝鑑賞


居酒屋の灯に佇める雪だるま  阿波野青畝

繁華街に近い裏小路の光景だろうか。とある居酒屋の前で、雪だるまが人待ち顔にたたずんでいる。昼間の雪かきのついでに、この店の主人がつくったのだろう。一度ものぞいたことのない店ではあるが、なんとなく主人の人柄が感じられて、微笑がこぼれてくる。雪だるまをこしらえた人はもちろんだけれど、その雪だるまを見て、こういう句をつくる俳人も、きっといい人にちがいないと思う。読後、ちょっとハッピーな気分になった。『春の鳶』所収。(清水哲男)



【雪達磨】 ゆきだるま

◇「雪兎」 ◇「雪仏」
雪でつくった大小ふたつのかたまりを重ねて、達磨のかたちにしたもの。木炭などで目鼻をつける。

例句           作者

雪兎つくる夫婦に二人の子 木村蕪城
朱の盆に載せて丹波の雪うさぎ 草間時彦
朱の盆に載せて丹波の雪うさぎ 草間時彦
雪達磨眼を喪ひて夜となる 角川源義
かく生きてかく忘れられ雪だるま 有馬朗人
家々の灯るあはれや雪達磨 渡辺水巴
雪だるま笑福亭の門前に 高野素十
もう誰もゐぬ校庭の雪だるま 立花文江
狂ひ寝や雪達磨に雪降りつもる 中村草田男
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電線の弛むもゆたか初景色 髙勢祥子

2019-01-11 | 新年



電線の弛むもゆたか初景色 髙勢祥子

初景色は、元日の四方の景色。昨日までと何ら変わらない風景ではあるけれど、年があらたまることで淑気が満ちて見えるのだ。何にそれを感じるか、何を見てどの景を切り取って初景色と言うか。この句の作者は頭上に横たわり揺れる電線に目を留めている。見なれたそのゆるやかな曲線を、ゆたか、と表現することで、作者の晴々とした心持ちと共に清々しい初御空がどこまでも青く続くだろう。(硬く青く一月一日の呼吸〉〈初鳩の考へてゐるふうで暇〉など、他にも個性的な正月の句が並んでいる。『昨日触れたる』(2013)所収。(今井肖
子)

【初景色】 はつげしき
◇「初山河」(はつさんが) ◇「初風景」
元日のめでたく神々しい雰囲気の満ちた景色をいう。元日には、日頃見馴れた景色さえも清々しく美しく思われる為、特にめでたくこういう。

例句              作者

眺めゐる老人もまた初景色 黛 執
葛飾は霜に芦伏す初景色 能村登四郎
灯台の一徹の白初景色 片山由美子
山国の長き停車の初景色 木内彰志
影として犬が横切る初景色 上田五千石
たちまちに日の海となり初景色 鷹羽狩行
野ざらしの黒酢の甕を初景色 藤田あけ烏
美しくもろもろ枯れし初景色 富安風生
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龍の玉独りよがりは生き生きと  瀧澤宏司

2019-01-05 | 今日の季語


龍の玉独りよがりは生き生きと  瀧澤宏司

龍の玉のあの小さな美しい紫の玉に独りよがりの生き方を喩えている。或いは龍の玉で深い切れを想定するなら、龍の玉の前で、そこにいる「私」や人間の独りよがりの生き方を思っている。どちらにしてもここには独りよがりということに対する肯定がある。俳句に自分にしか感じ得ない、自分にしか見えない何事かを表現するという態度こそ表現者の態度だというと、時に、私はそこまで俳句に期待しませんという反応が返ってくる。俳句は誰のものでもないのだからいろいろな考え方があっていい。みんなが感じたのと同じことを感じるという安堵感を表現したいひとには類型感など取るに足らぬ問題だろう。自分だけのものを得ようとする創作は荒野に独り踏み出すようなものでそこに歓喜も絶望も存する。この句の作者はその両者を知ってしまった人だ。『諠(よしみ)』(2010)所収。(今井 聖)

【竜の玉】 りゅうのたま
◇「蛇の髯の実」(じゃのひげのみ) ◇「竜の髯の実」

ジャノヒゲ(別称リュウノヒゲ)の実を指す。公園の花壇や歩道の縁などによく植えられているが、冬になると艶やかなコバルト色の種子が目に付く。直径7mmほどの種子は、床に落すとよく弾むので「はずみ玉」の名もある。

例句             作者

故郷はいつも夕暮れ竜の玉 今城知子
少年の夢老年の夢竜の玉 森 澄雄
わが胸のうちにもあるぞ竜の玉 青柳志解樹
人の手に惜しみ返しぬ竜の玉 皆吉爽雨
竜の玉深く蔵すといふことを 高浜虚子
深々と沈みて碧し竜の玉 野村喜舟
人ごゑの坂下りて来る龍の玉 小笠原和男
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冬草にふかくも入るる腕かな きちせあや

2019-01-04 | 今日の季語


冬草にふかくも入るる腕かな きちせあや

季語は「冬草」。こういうことを詠めるのが、俳句という文芸ジャンルに許された特権だろう。あやまって何か落したのだろうか。枯れてはいるが丈の高い冬草のなかを、作者は手探りで探している。なかなか見つからないので、もっと奥の方かなと「腕(かいな)」をなお「ふかく」伸ばしてゆく。手を動かすたびに、脆そうに見えていた枯草が、しぶとく腕にからみついてくる。このときに作者が感じたのは、草の意外な強さに反発している自身の「腕」の存在だった。ああ、私には腕があるのだ……、と。日常生活では、怪我をするとか余程のことでもないかぎり、私たちは腕の存在など忘れて暮らしている。腕に限らず、五体の全てをとくに意識することはない。その必要もない。けれども、何かの拍子にこのように、ふっとその存在を知らされることはある。たいていの人はすぐに忘れてしまうが、作者はそのことをきちんと書き留めた。特別な感動を受けたり感興を催したというわけでもないのに、しかし、このことに気づいたのは確かだし、その様子を含めて書いておくことにしたのだった。普通にはまず書き留めようという気にもらない些事を、作者には慣れ親しんだ俳句という表現様式があったがゆえに、このように定着できたのだ。このことに、私は静かな興奮を覚える。俳句があって良かったと思うのである。『消息』(2003)所収。(清水哲男)

【冬の草】 ふゆのくさ
◇「冬草」 ◇「冬青草」 ◇「冬草青し」
元々冬草は「枯る」の枕詞であり、さらには恋人の心離れを表すための導入語として用いられたとされるが、現代俳句では枯草は含めない。枯れ色の中で、青々としている冬草のみを指すのである。霜や雪に覆われながらも、精一杯生きる姿が、緑色に象徴され心に沁みる。

例句           作者

冬草や黙々たりし父の愛 富安風生
冬草に黒きステッキ挿し憩ふ 西東三鬼
冬草やはしご掛けおく岡の家 乙二
冬草は絹の手ざはり久女の墓 加藤知世子
母長寿たれ家裾に冬の草 大野林火
荷車を曳く冬の草見つづけて 斎藤夏風
日のあたる冬草父も兄も亡く 大川真智子
冬草に日のよく当たる売地かな 渋沢渋亭
胸あつく冬青草が目にありき 加藤楸邨



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