竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

亡きものはなし冬の星鎖をなせど  飯田龍太

2019-11-29 | 今日の季語


亡きものはなし冬の星鎖をなせど  飯田龍太

鎖は「さ」と読ませる。若き日の龍太の悲愴感あふれる一句。「亡きもの」とは、戦争や病気で逝った三人の兄たちのことであろうが、その他の死者を追慕していると考えてもよい。天上に凍りついている星たちには、いつまでも連鎖があるけれど、人間世界にはそのような形での鎖はないと言うのである。「あってほしい」と願っても、しょせんそんな願いは無駄なことなのだ。と、作者はいわば激しく諦観している。よくわかる。ただ一方で、この句は二十代の作品だけに、いささか理に落ち過ぎているとも思う。大きく張った悲愴の心はわかるが、それだけ力み返っているところが、私などにはひっかかる。どこかで、俳句的自慢の鼻がぴくりと動いている。意地悪な読み方かもしれないが、感じてしまうものは仕方がない。厳密に技法的に考えていくと、かなり粗雑な構成の句ということにもなる。そして、表現者にとって哀しいのは、若き日のこうした粗雑な己のスタイルからは、おそらく生涯抜け出られないだろうということだ。このことは、私の詩作者としての限界認識と重なっている。俳壇で言われるほどに、私は龍太を名人だとは思わない。名人でないところにこそ、逆にこの人のよさがあると思っているし、作者自身も己の才質はもとより熟知しているはずだ。『百戸の谿』(1954)所収。(清水哲男)

【冬の星】 ふゆのほし
◇「寒星」 ◇「凍星」(いてぼし) ◇「荒星」(あらぼし) ◇「寒昴」(かんすばる) ◇「冬北斗」 ◇「寒北斗」(かんほくと) ◇「オリオン」 ◇「天狼」(てんろう) ◇「星冴ゆる」 ◇「枯木星」

凍てついた夜空の星々は冴えて、鋭く輝く。満天に広がる様々な星座が鮮やかに覇を競い合う様は壮観である。冬ならではの眺めとして是非詠みたいものだ。「寒昴」:寒の頃の夕方、南天中央に高く見える牡牛座の中のプレヤデス星団の和名が昴。「オリオン」と共に冬を代表する星の一つ。しいて「寒」を冠することで、張りつめた気息を付加する。希望や前向きの意志を託した作句例が目立つ。「天狼」は大犬座シリウスの中国名。

例句  作者

天狼や青春に悔なかれども 渕上千津
霜除や月を率てゆくオリオン座 渡辺水巴
ひと言がこころの火種寒昴 市村敏江
枯木星またゝきいでし又ひとつ 水原秋櫻子
寒北斗闇より海の始まれり 藤田弥生
寒星のまなこつむれば増ゆるなり 河西みつる
寒昴鉛書きの妹の遺書 角川春樹
荒星の吹きちぎらるることはなし 宇咲冬男
少年のやうな凍星身籠りたし 郡山やゑ子
耳遠き妻へ声張り寒昴 林 翔
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梟を眺め梟から眺め 原田 暹

2019-11-28 | 今日の季語


梟を眺め梟から眺め 原田 暹

梟は鋭いカギ状の短い嘴と強力な爪のある脚を持った夜行性の肉食鳥である。だから普段は動物園くらいでしか見られないが、一度利根川河畔で見たことがある。その時は目の前でカラスと組んず解れずの大格闘をしていた。何を間違ってか、昼間その姿を見せてしまったのである。カラスは夜間は動けなく、夜行性の梟に度々襲われるらしい。特に子育て中の子ガラスは標的である。それやこれやで昼間は立場が逆転、勝負は圧倒的にカラスが優勢となる。揚句は梟が2回、眺めが2回でこれを「を」と「から」で結んで出来上がった。確かに梟を見ているとあのまん丸い梟の目からも見られているのかも知れないと思う。この作者と梟の間合いがどこか可笑しい。『天下』(1998)所収。(藤嶋 務)

【梟】 ふくろう(・・ロフ)
◇「ふくろ」
人の顔に似た顔面を持つ。ミミズクより大型で耳羽はない。森林に棲息するが神社の大木などにも営巣する。夜行性で、ネズミなどの小型哺乳類を中心に、鳥類、昆虫なども捕食する。その声などから、冬の夜にふさわしいとされた。

例句 作者

梟のその真下にて星座狩り 市川英一
禽嚥んでふくろふのまた瞑想す 鈴木貞雄
月雲に入れば梟鳴きにけり 岡田夏生
梟に夢をあづけし旅寝かな 摂津よしこ
さびしさの絶対量を問ふふくろふ 夏井いつき
百夜来し梟に遣るものの無し 大石悦子
梟のねむたき貌の吹かれける 軽部烏頭子
梟の声に応へてをりしかな 上田 操
これ着ると梟が啼くめくら縞 飯島晴子
鉄皿に葉巻のけむり梟の夜 飯田蛇笏
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とつくりセーター白き成人映画かな 近 恵

2019-11-26 | 今日の季語


とつくりセーター白き成人映画かな 近 恵

以前、襟が高く立ったセーターを「とっくり」と呼んだらタートルネックとかハイネックって言うんだよと、娘にやり込められた。むかし祖母が女学校と言うと遥か昔を感じさせたように、「とっくり」もある年代以上でないとこの言葉が醸し出す雰囲気は通じないかもしれぬ。掲句は映画のワンシーンだろうか、きっちりと襟元の詰まったとっくりセーターの白が女性の初々しさを強調している。日活ロマンポルノなどが一世を風靡していた時代、青年達はちらちら回りの様子を伺いながら背をかがめて暗い劇場に入ったことだろう。今や「成人映画」はアダルトサイトやレンタルビデオにとって代わられたのか、街でもあまり看板を見かけない。そう思えば「とっくりセーター」同様「成人映画」も過ぎ去った言葉なのだろう。そんな二つの言葉を効果的に用いてある時代の雰囲気をまざまざと再現している。『きざし』(炎環新鋭叢書シリーズ5)(2010)所載。(三宅やよい)

【セーター】
◇「カーディガン」
毛糸で編んだ防寒用衣服。カーディガンも含む。

例句 作者

セーターの上に口あり笑ひあり 林 翔
セーターに枯葉一片旅さむし 加藤楸邨
父われにセーターの子の体当り 島谷征良
ふりかぶり着てセーターの胸となる 不破 博
セーターの色とりどりに八岳仰ぐ 村山古郷
石庭とセータの胸と対峙せり 加藤三七子
自転車のセーター赤し林透き 谷 迪子
セーターを着るとき垂れ目はつきりと 小島 健
セーターの男タラップ駈け下り来 深見けん二
セーター着て素顔の日日の流れ行く 佐藤芙美子

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小雪の箸ひとひらの千枚漬 長谷川かな女

2019-11-22 | 今日の季語


小雪の箸ひとひらの千枚漬 長谷川かな女

長谷川かな女(1887~1969)
小雪(しょうせつ)が冬の季語。
小雪は、24節気のひとつ、太陽の黄経度が240度に達するときで、
立冬から15日後、もちろん、北海道や東北地方、山沿いでは雪が積もり始めていますが、平地ではちょっぴり寒くなりはじめています。
千枚漬(せんまいづけ)は、京都の名産。かぶらの根を薄く切って、塩で下づけしたあとに昆布・赤唐辛子を加えて、塩・みりん・麹などで漬けて、発酵させたものです。おいしい
箸ひとひらの」この中七の季節感が絶妙に感じられます
(小林たけし)

【小雪】 しょうせつ(セウ・・)


二十四節気の一つ。立冬の15日後で、陽暦では11月22、23日頃に当たる。格別寒くもなく、雪もまださほどではない。

例句 作者
小雪の朱を極めたる実南天 富安風生

小雪やいよいよ白き竹の節 安部紀与子 
小雪や実の紅の葉におよび 鷹羽狩行
小雪のいただき以下を略す富士 細川洋子
海の音一日遠き小春かな 暁台
小雪や月の夜干しの白野菜 細木芒角星
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水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介

2019-11-21 | 今日の季語



水洟や鼻の先だけ暮れ残る 芥川龍之介

水洟や仏観るたび銭奪られ 草間時彦

季語は「水洟(みずばな)」で冬。「奈良玄冬」連作のうち。せっかく奈良まで来たのだからと、寒さをおしての仏閣巡り。あまりの寒さに鼻水は出るわ、先々で銭は奪(と)られるわで、散々である。作者の心持ちは、さしずめメールなどでよく使われる「(泣)」といったところか(笑)。「銭奪られ」で思い出したが、十年ほど前の京都は某有名寺院でのこと。拝観受付窓口のおっさんに「いくらですか」と尋ねたら、ムッとした顔でこう言った。「ここは映画館やないんやから、そういうシツレーな質問には答えられまへんな」。「は?」と、おっさんに聞き直した。すると、ますます不機嫌な声で「『いくら』も何もありまへん。ここは、訪ねてくださる方々のお気持ちを受け取るところですから」と言う。さすがに私もムッとしかけたが、なるほど、おっさんの言うことにはスジが通っている。「ああ、そうでしたね。失礼しました。では、どうやって気持ちを表せばよいのでしょうか」と聞くと、おっさんはプイと横を向いてしまった。とりつくしまもない態度。で、ふっと窓口の上のほうを見たら「拝観料○○○円」と墨書してあった。「ナニ体裁の良いこと言ってやがるんだ、このヤロー。これじゃあ映画館と同じじゃねえか」。そう怒鳴りつけたかったが、そこはそれ、ぐっとこらえて○○○円を差し出すと、おっさんはソッポを向きながらもしっかりと「銭」を受け取り、なにやらぺなぺなのパンフレットを放り投げるように寄越したことでした。ありがたいことです(泣)。『中年』(1965)所収。(清水哲男)

【水洟】 みずばな(ミヅ・・)
◇「洟水」(はなみず) ◇「みづっぱな」
寒気または急激な温度変化に刺激されて鼻から出る水のこと。風邪の症状のひとつでもある。

例句 作者

水洟も郷里艶めく橋の上 飯田龍太
水洟をすすり一茶の墓に来し 青柳志解樹
水洟に暮るるも北の金木駅 藤田あけ烏
水洟にかくれて何を企めるや 稲葉直
水洟や喜劇の灯影頬をそむ 飯田蛇笏
水洟や仏具をみがくたなごころ 室生犀星
水洟や我孫子の駅のたそがれて 石田波郷
澄江堂以後水洟は鼻忘じをり 長谷川鉄夫
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南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ 菊田一夫

2019-11-20 | 今日の季語


南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ 菊田一夫

4、5月頃から吹きはじめる湿った暖かい風が南風。北風とちがって大方は待たれている風であるゆえに、日本の各地でさまざまな呼び方がされている。正南風(まみなみ、まはえ)、南風(みなみかぜ、なんぷう、はえ)、南東風(はえごち)、南西風(はえにし)……。気候と密接な関係にある農/漁業者の労働にとって,特に無視できない南から吹く風である。夏の到来を告げる風。小猿が着ている「ちゃんちゃんこ」は冬の季語だが、小猿が季節はずれのちゃんちゃんこをまだ着ているうちに,夏がやってきたよ、というやさしい気持ちが句にはこめられている。動物園などに飼われている猿ではなく、動物好きの個人に飼われて愛嬌を振りまいているのを、通りがかりに目にしたのだろう。赤いちゃんちゃんこをまだ着せたままになっていることに対する気持ちと、「もう夏だというのに……」という気持ちの両方をこめながら、作者は微笑んでいるようだ。芭蕉は「猿も小蓑をほしげなり」と詠んだが、ここはすでに「蓑」の時代ではない。加藤楸邨に「遺書封ず南風の雲のしかかり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)

ちゃんちゃんこ 三冬
【子季語】
袖無羽織、猿子、でんち、袖無
【解説】
袖無し羽織に綿を入れたもので、主に子供や老人が着る。表布には縮緬や綸子、紬、木綿などが用いられる。袖がないので動きやすく、背中があたたか。手が自由になり、脱ぎ着が楽で重ね着もできることから働くときの防寒着としても重宝された。

例句 作者

あらくれを舟ごと叱るちゃんちゃんこ 岸本長一郎
この頭巾このちゃんちゃんこ象堂忌 森 かほる
しぐるゝやまさるめでたきちやんちやんこ 久保田万太郎 流寓抄
そっと手を通す形見のちゃんちゃんこ 川口咲子
その子の家の藁屋根厚しちやんちやんこ 中村草田男
ちゃんちゃんこ一日畦にぬぎ置きて 三栖 ひさゑ
ちゃんちゃんこ着ても家長の位かな 富安風生
ちゃんちゃんこ着て坊守の鐘を撞く 阪田 ひで
ちゃんちゃんこ着て存念にかげりなし 高木喬一
ちやんちやんこには猫の爪かかり易 波多野爽波 『一筆』以後
ちやんちやんこの皆雛めきてお雛粥 宮津昭彦
ちやんちやんこ死なねばならぬ一大事 木田千女
ちやんちやんこ猫脊に坐り打とけて 吉屋信子
ちやんちやんこ着せ父大事母大事 宮下翠舟
ちやんちやんこ着ても家長の位かな 富安風生
ちやんちやんこ着て島を出るこ
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水鳥のしづかに己が身を流す 柴田白葉女

2019-11-19 | 今日の季語


水鳥のしづかに己が身を流す 柴田白葉女

白鳥、鴨、雁、百合鴎、鳰(かいつぶり)、鴛鴦(おしどり)など、水鳥たちはこの時期、雄はとくに美しい生殖羽になる。そんな水鳥がゆったりと水に浮かんで、我が身を流れのままにまかせている様子だ。つまり、見たままそのままの情景を詠んだ句であるが、ここには作者の、水鳥のそんな自然体での生活ぶりへの憧憬がこめられている。ごく普通の水鳥の生態を、あくせくした人間社会から眺めてみると、句のように、つい羨望の念にとらわれてしまうということだ。もちろんこのような羨望は筋違いなのだけれど、作者とてそれは承知なのだが、自然界の悠々自適を肌で感じると、このように無理な願いの心がわいてきてしまうのは「人情」というものなのだろう。暮の忙しい時期になると、決まってこの句を思い出す。(清水哲男)

【水鳥】 みずどり(ミヅ・・)
◇「浮寝鳥」(うきねどり)

水辺に住む鳥の総称。秋に渡ってきて冬を日本で過ごす鳥も、日本で繁殖する留鳥も含む。冬の湖沼や川などには色々な水鳥が集まって、水の上で寝ている鳥や、逆立ちしたり潜ったりして餌を取る鳥、求愛のディスプレーをしている鳥など、様々な生態が見られる。

例句  作者

水鳥を吹きあつめたり山おろし 蕪村
水鳥翔つ十三湖の上に日本海 神蔵 器
想あたためてゐるやも知れず浮寝鳥 西嶋あさ子
水鳥の夜半の羽音やあまたたび 高浜虚子
燦然と波荒るゝなり浮寝鳥 芝 不器男
山かげや水鳥もなき淵の色 原 石鼎
翔たざれば翳の重しよ浮寝鳥 角川照子
水鳥のしづかに己が身を流す 柴田白葉女
水鳥に西吹く風となりにけり 水原秋櫻子
鳥共も寝入つてゐるか余吾の海 路通
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しやがむとき女やさしき冬菫 上田五千石

2019-11-18 | 今日の季語


しやがむとき女やさしき冬菫 上田五千石

季語ではあるが、冬菫というスミレの品種はない。春に咲くスミレが、どうかすると晩冬に咲くこともあり、それを優雅に呼称したものである。もとより珍しいので、見つけた女性はしゃがみこんで見ている。そのしゃがむ仕草を、作者の五千石は女性「一般」のやさしさの顕れと見て、好もしく思っている。ところが、この句の存在を知ってか知らずか、池田澄子に「冬菫しゃがむつもりはないけれど」の一句がある。昨年だったか、両句の存在を知ったときに、思わず吹き出してしまった。こいつは、まるで意地の張り合いじゃないか……などと。五千石は他界されているので、わずかな知己の間柄(たった一度、テレビの俳句番組でご一緒しただけ)ではある池田さんに電話をかけて聞いてみようかなと思ったりしたのだが、やめた。これは両句とも、このままで置いておいたほうが面白かろうと、なんだかそんな気がしたからであった。人、それぞれでよい。詮索無用。人の「やさしさ」を感じる心にしても、しょせんは人それぞれの感じ方にしか依拠できないのだから。(清水哲男)

なかなか見ることの少ない冬の菫
これを見つけた女性がしゃがみこんで眺めている景なのだろう
その姿がやさしく見える
めったに見ない冬の菫にまったに見えなくなったやさしい女性への恋情のようだ
(小林たけし)

【冬菫】 ふゆすみれ
◇「寒菫」
スミレは春のシンボル的な草花であるが、暖かい野山の日だまりでは、春を待たずに芽を伸ばし咲いているスミレに出逢うことが出来る。小さな春の発見であるが、同時に健気さに対する感動もある。

例句 作者

冬すみれ本流は押す力充ち 齊藤美規
仮の世のほかに世のなし冬菫 倉橋羊村
わが齢わが愛しくて冬菫 富安風生
ふるきよきころのいろして冬すみれ 飯田龍太
天網は冬の菫の匂かな 飯島晴子
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冬帽子かむりて勝負つきにけり 大串 章

2019-11-17 | 今日の季語


冬帽子かむりて勝負つきにけり 大串 章

何の「勝負」かは、わからない。将棋や囲碁の類かもしれないが、いわゆる勝負事とは別の次元で読んでみる。精神的な勝負。口角泡を飛ばしての言い争いというのでもなく、もっと静かで深い心理的な勝負だ。ひょっとすると、相手は勝負とも感じていないかもしれぬ微妙な神経戦……。とにかく、作者は表に出るべく帽子をかむった。独りになりたかった。負けたのだ。それも、勝負がついたから帽子をかむったのではない。帽子をかむったことで、おのずから勝負がついたことになった。「もう帰るのか」「うん、ちょっと……」。そんな案配である。そしてこのとき「冬帽子」の「冬」には、必然性がある。作者の心情の冷えを表現しているわけで、かむると暖かい帽子ゆえに、かえって冷えが身にしみるのだ。この後で、寒い表に出た作者はどうしたろうか。揚句には、そんなことまでを思わせる力がある。見かけは何の変哲もないような句だが、なかなかどうして鋭いものだ。ところで、俗に「シャッポを脱ぐ」と言う。完敗を認める比喩として使われるが、こちらは素直で明るい敗北だ。相手の能力に対する驚愕と敬意とが込められている。どう取り組んでみても、とてもかなわない相手なのである。逆に、揚句の敗北は暗く淋しくみじめだ。帽子を脱ぐとかむるの違いで、このようにくっきりと明暗のわかれるところも面白いと思ったと、これはもちろん蛇足なり。『天風』(1999)所収。(清水哲男)

【冬帽子】 ふゆぼうし
◇「冬帽」 ◇「綿帽子」 ◇「防寒帽」
冬用の帽子全般をいう。西欧文化の影響で明治期に男性の帽子着用が流行した。

例句 作者

同門のよしみも古りぬ冬帽子 細見綾子
冬帽を脱ぐや蒼茫たる夜空 加藤楸邨
北山の雪や相似て綿帽子 松瀬青々
トルストイを訪ねし蘆花の冬帽子 千田百里
火酒の頬の赤くやけたり冬帽子 高浜虚子
生涯を学びて老の冬帽子 石田玄祥
冬帽に手をやる影も手をやりぬ 千葉栄子
毛糸帽わが行く影ぞおもしろき 水原秋櫻子
脱ぎし後も日溜に置く冬帽子 岡本 眸
労咳の頬美しや冬帽子 芥川龍之介
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冬ざれ自画像水族館の水鏡 鷹羽狩行

2019-11-16 | 今日の季語


冬ざれ自画像水族館の水鏡 鷹羽狩行

どこかに映っている自分の顔を見出すことはよくある。電車やバスの窓に、川や池や沼の水面に。さらにそこに空や雲や雪や雨を重ねてドラマの一シーンを演出するのも、映像的な手法の一典型である。自画像というから、顔だけというよりもう少し広い範囲の自分の像であろう。水族館の水槽の大きなガラスに作者は自分の姿を見た。映っている自分の姿の中を縦横に泳ぐ魚たち。自分の姿に気づくのは自分を認識することの入口。作者はそこに「冬ざれ」の自分を見出しているのである。俳句に触発されて起こった二十世紀初頭のアメリカ詩の運動、イマジズムは、短い詩を多く作り、俳句の特性を取り込んで、「良い詩の三原則」というマニフェストを発表した。その中の二つが、「形容詞や副詞など修飾語を使用しないこと」「硬質なイメージをもちいること」。彼等が俳句から得た新鮮な特徴の原型がこの句にも実践されている。独自のリズムの文体の中に、かつんと響き合うように置かれた二つのイメージの衝突がある。『誕生』(1965)所収。(今井 聖)

冬ざれ】 ふゆざれ
◇「冬ざるる」
冬の万象の荒れさびれたるさまを言うが、本来の「冬されば(冬になれば)」の誤用。しかし、「ざれ」とした濁音の響きは、冬の蕭条としたさびしさを思わせることから、俗用ながらも定着。

例句 作者

冬ざれや子供がとんで来るひかり 細川加賀
冬ざれや小鳥のあさる韮畠 蕪村
冬ざれや両手につつむ旅の顔 草間時彦
冬ざれて如来の耳のうつくしき 佐野青陽人
冬ざれや雨にぬれたる枯葉竹 永井荷風
冬ざれや翼小さき燭天使 永方裕子
冬ざれや卵の中の薄あかり 秋山卓三
冬ざれや目を閉ぢてゐる烏骨鶏 角田悦子
冬ざれやころゝと鳴ける檻の鶴 水原秋櫻子
冬ざれのくちびるを吸ふ別れかな 日野草城

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冬薔薇を揺らしてゐたり未婚の指 日下野由季

2019-11-15 | 今日の季語


冬薔薇を揺らしてゐたり未婚の指 日下野由季

この薔薇が真紅の大輪の薔薇だとすれば、未婚の指、には凛とした意志の強さが感じられる。やや紅を帯びた淡く静かな一輪だとすれば、その花にふれるともなくふれた自らの左手に視線を向けた作者の、仄かな心のゆらめきや迷いのようなものが感じられる。二十代後半の同年の作に〈降る雪のほのかに青し逢はざる日〉とある。雪を見つめ続けている作者の中に、逢いたい気持ちと共にひたすらほの青い雪が降り積もってゆくようだ。そう考えると、雪のように清らかな白薔薇なのかもしれない、と思ったりもするが、いずれにしても掲出句の、未婚の指、にはっとさせられ、冬の澄んだ気配がその余韻を深めている。『祈りの天』(2007)所収。(今井肖子)


冬薔薇】 ふゆばら
◇「冬薔薇」(ふゆそうび) ◇「寒薔薇」(かんばら) ◇「寒薔薇」 ◇「冬の薔薇」
冬に咲くバラであり、固有名詞ではない。秋の終わりに蕾をつけたバラが、気温の低下などで発育が遅れ、ようやく開いたもの。小春日和が続くと色彩も鮮やかになる。また、寒さに耐える健気な風姿も魅力的である。

例句 作者

冬薔薇おや指姫のひそみゐる 角川照子
冬薔薇や賞与劣りし一詩人 草間時彦
大寒の薔薇に異端の香気あり 飯田龍太
一輪の冬ばら投げてフィギュア終ふ 小川濤美子
冬薔薇色のあけぼの焼跡に 石田波郷
尼僧剪る冬のさうびをただ一輪 山口青邨
冬薔薇日の金色を分ちくるる 細見綾子
冬薔薇石の天使に石の羽根 中村草田男
冬薔薇墓碑に刻みし齢若く 京極杜藻
逢うてまた別れを思ふ冬薔薇 木村敏男
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百磴のさきに観音雁渡し  たけし

2019-11-14 | 入選句




百磴のさきに観音雁渡し  たけし



11月13日㈬ 朝日新聞 栃木俳壇

石倉夏生先生の選をおただいた

ここのところ連続の入選なので家人も不思議顔だ



いずれスランプも来るので喜んでばかりはいられない



掲句は大船観音での嘱目句だ

毎月一度、鎌倉の句会に参加するので

途中下車でぃて大船の白衣観音に参詣する



長い階段を上るとあの大きな観音様が迎えてくれ裡

もう一息と見上げると秋空に海からの風がここと良い
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文化の日宝さがしに文具店 たけし

2019-11-13 | 入選句


文化の日宝さがしに文具店 たけし

11月12日㈫読売俳壇、正木ゆう子先生の選で2席を頂きました

次の選評を併せて頂きました
文房具の進化がめざましい。
カラフルで便利で、
小さいし、それほどそれほど値の張るものでもないので、
ついつい買ってしまう。まさに宝探し。

毎週月曜日の読売俳壇が新聞休刊日と重なり、
今週は火曜日だった。鎌倉句会への電車の中での確認だった。
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玉葱の皮むき女ざかりかな 清水基吉

2019-11-09 | 今日の季語


玉葱の皮むき女ざかりかな 清水基吉


女が玉葱をむいている。いまが旬の玉葱は、つややかにして豊満である。その充実ぶりは台所に立つ女にも共通していて、作者は一瞬、まぶしいような気圧されるような気分になった。女と玉葱。言われてみると、なるほどと思う。色っぽい。まさに取り合わせの妙というべきだろう。ただし一方では、悲しいことに、人はおのれの「さかり」を自覚できないということがある。玉葱をむいているこの女性も、そんなことは露ほども感じていないだろう。さすれば句のように、いつも「さかり」は他人が感じて、その上で規定し定義する現象である。そういう目で見ると、この句は色っぽさなどを越えて、人が人として存在する切なさまでをも指さしているようだ。以下は蛇足。規定し定義するといえば、辞書や歳時記はそのためにあるようなものだけれど、こうした本で調べて、何かがわかるということは意外にも少ない。手元の歳時記で「玉葱」とは何かを調べてみよう。「直径九センチ、厚さ六センチぐらいの偏平な球形。多く夏に採取する。たべるのは鱗形で、内部は多肉で、特異の刺激性の臭気がある。初秋のころ、白色もしくは淡緑色の小花を球形につづる。わが国へは明治初年の渡来」(角川版『俳句歳時記新版』・1974)。玉葱を知らない人が読んだら、かえって何がなんだかわからない。で、知っている人が読んでも、玉葱の実物とはかなり違う感じを受けるだろう。もちろん、事は玉葱だけに関わる問題じゃない。どうして、こんなことになっちまうのか。(清水哲男)


葱】 ねぎ
◇「ひともじ」 ◇「深葱」(ふかねぎ) ◇「根深」(ねぶか) ◇「葉葱」 ◇「葱畑」 ◇「根深引く」 ◇「葱洗ふ」 ◇「冬葱」 ◇「青葱」
ネギの原産地は不明だが、中央アジア北部の野生種が中国西部で栽培化されたとされる。日本では古くから栽培されるが、香りに癖があるところからその好悪が分かれる。しかし、朝の味噌汁や葱ぬた、薬味などに欠かすことの出来ない冬の野菜の定番である。

例句 作者

くにぶりの曲り具合の曲り葱 高井武子
葱買うて枯木の中を帰りけり 蕪村
葱買ふや枯木のうらの風からび 小林康治
子を負ひて日の沈むまで葱洗ふ ながさく清江
夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
下仁田の土をこぼして葱届く 鈴木真砂女
葱白く洗ひたてたるさむさかな 芭蕉
伐折羅見て葱あをあをと茂るかな 大野林火
根深掘る風に隠れ処なかりけり 鳴瀬芳子
白葱のひかりの棒をいま刻む 黒田杏子
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草紅葉縁側のすぐざらざらに   波多野爽波

2019-11-07 | 今日の季語



草紅葉縁側のすぐざらざらに   波多野爽波

縁側は、こまめに掃除せず放っておくと、頻繁に上がってくる人のこぼした砂や土埃で、すぐ、汚れてしまう。そのさまを、「ざらざらに」という触覚性リアルな言葉で表現した。日常の光景から、実存の深みまで感じさせてしまうのが、爽波俳句の特色である。荒涼とした手触りの世界の外界には、色づいた秋の草が生々しいまでに、その色彩を訴えかけてくる。『骰子』(1986)所収。(中岡毅雄)

【草紅葉】 くさもみじ(・・ヂ)
◇「草の紅葉」 ◇「草の錦」 ◇「色づく草」
秋の千草の紅葉。田の畦や土手の上などに美しく色づいてくる。樹木とは異なった足元の紅葉をあらわしている。

例句 作者

たのしさや草の錦といふ言葉 星野立子
鹿の足よろめき細し草紅葉 西山泊雲
一雨に濡れたる草の紅葉かな 日野草城
家なくてたゞに垣根や草紅葉 松瀬青々
堂塔の正しき影や草紅葉 関 圭草
草紅葉焦土のたつき隣り合ふ 幸治燕居
帰る家あるが淋しき草紅葉 永井東門居
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