竹とんぼ

先達の秀句を味わいながら
自得の一句を求めて多作多捨です
古希すぎの晩学で楽しみながらの遅々緩歩です

豊の秋佛を囲むほとけたち 金子青銅   

2018-08-31 | 秋の季語から


豊の秋佛を囲むほとけたち 金子青銅
  

豊年 (秋の季語:生活)
     豊年(ほうねん) 豊作(ほうさく)
     豊の秋(とよのあき) 出来秋(できあき)

季語の意味・季語の解説
==============================
 冷害、干ばつ、暴風雨などに遭わず、五穀、とくに米が豊作だった年を豊年という。
 秋の季語。

 昔の人たちにとって、穀物の作況は命を左右する一大事であった。
 ゆえに、豊作の喜びは、今とは比べ物にならない大きなものであった。

 現在は、栽培技術の進歩や品種改良などによって凶作が減ったこと、仮に凶作でも食料の輸入で生死にかかわる事態には陥らなくなったことから、一般国民の豊作を喜ぶ心、そして、百姓に感謝する心は薄らいできていると言われる。

季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 輸入食料の氾濫する現代日本では、豊年を心の底から喜ぶ人の数は、少なくなっているのかもしれません。
 しかし、「豊年」を季語に俳句を詠む場合は、やはり「喜び」に満ちた作品を作りたいと思います。

 私は、人々だけではなく、土、山、風、空… あらゆるものが豊年の喜びを分かち合ってくれていると信じた上で、目に映る景色を詠むように心がけています。
 以下の俳句においては、星たちも、空を舞う鳶(トビ)も、地上の豊年を一緒に喜んでいます。

  豊の秋佛を囲むほとけたち 金子青銅
  
  家染めて豊年の藁焚ける火か 大野林火
 
  すぐそこといはれて一里豊の秋 八染藍子

  豊年を呼び交しゐる山河かな 福田甲子雄

  豊年や汽車の火の粉の美しき 沢木欣一

  豊年の稲架夢殿の裏に組む 椛沢田人

  腿太き土偶に割れ目豊の秋 矢島渚男

  畦の子のこけしに似たり豊の秋 今井つる女


  豊年の星見て待てる始発かな (凡茶)

  ややを負ふ子に豊年の鳶の笛 (凡茶)
      やや=赤ちゃん。 負ふ=おんぶすること。

 なお、「豊年」という季語は、それだけで金色の稲穂がなびく田園を連想させますので、稲穂の似合う景色を描くことを心がけたいと思います。

参照 http://haiku-kigo.com/category/7337844-1.html

コメント

びいと啼く尻声悲し夜の鹿 (松尾芭蕉)

2018-08-30 | 秋の季語から


びいと啼く尻声悲し夜の鹿 (松尾芭蕉)

鹿 (秋の季語:動物)

     牡鹿(おじか) 牝鹿(めじか) 鹿の妻 妻恋ふ鹿
     鹿鳴く(鹿啼く) 鹿の声 鹿の音(しかのね) 鹿笛


季語の意味・季語の解説
==============================
 鹿は日本列島の山中に広く分布する野生の草食動物である。
 優しい性格で人に懐きやすいため、奈良公園、宮島、金華山などでは餌を持つ観光客を慕って群がってくる。

 鹿が秋の季語とされるのは、牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を恋うてもの悲しい声をあげる交尾の時期が秋だからである。

 なお、交尾の後、妊娠した鹿は孕鹿(はらみじか)と呼ばれ、こちらは春の季語となる。
 また、その後生まれた鹿の子(かのこ・しかのこ)は夏の季語となる。
 秋の季語のつもりで子鹿という語を用いると、季節感のちぐはぐな俳句になるので気をつけたい。

季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 日本語には「かなし(愛し・哀し・悲し)」という言葉があります。

 かわいい、心にしみていとしい、心がいたむ、せつない、かわいそうである、気の毒である等の意味を含む言葉です。
 今風にいえば、「胸がキュンとなる感じ」でしょうか…

 秋の妻恋う鹿の鳴き声は、まさに「かなし」を感じさせ、古くから日本人の心を捉えてきました。
 俳句にも、鹿の声を詠んだものがたくさんあります。

  びいと啼く尻声悲し夜の鹿 (松尾芭蕉)

  明星や尾上に消ゆる鹿の声 (菅沼曲翠)

  庵室のはやく古びて鹿の声 (早野巴人)

  鹿聞いて行燈急にかすかなり (溝口素丸)
      行燈=あんどん。

  温泉の山や肌骨に徹る鹿の声 (佐藤晩得)
      温泉=「ゆ」と読む。 肌骨=きこつ。

  鹿老いて妻なしと啼く夜もあらん (井上士朗)

  鹿啼くや沼の底より泡一つ (凡茶)

 また、温和な性格の鹿は、見る者の心を優しくします。
 鹿を季語に俳句を読むときは、優しさに満ちた作品に仕上げたいものです。

  蜻蛉に片角かして寝鹿かな (小林一茶)

  傘のまま鹿撫でゐたり雨後の寺 (凡茶)


参照 http://haiku-kigo.com/category/7337848-1.html
コメント

去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)

2018-08-29 | 秋の季語から



去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)


朝顔/朝顔・蕣・朝皃(あさがお) あさがほ アサガオ 牽牛花(けんぎゅうか)



● 季語の意味・季語の解説

 竿、垣根、格子窓(こうしまど)などに左巻きの蔓(つる)を絡め、晩夏から初秋にかけて藍、紺、白、紅、空色などの花を咲かせる。

  去年の蔓に蕣かゝる垣根かな (山口素堂)
      去年=こぞ  蕣=あさがお

  蕣に垣ねさへなき住居かな (炭太祇)
      蕣=あさがお  住居=すまい

 アジア南部原産で、日本へは奈良時代から平安時代にかけて中国から輸入された。

 もともとは、牽牛子(ケンゴシ)と呼ばれる種から漢方薬をとるための植物であったが(ゆえに牽牛花という呼称が今も用いられる)、江戸時代に入ると、もっぱら鑑賞用に栽培されるようになった。

 それ以前は、桔梗(ききょう)や木槿(むくげ)が朝顔と呼ばれていたと考えられるが、牽牛子の花の美しさ、朝早く開いて昼前にはしぼんでしまう儚さが日本人の心をとらえ、この花が朝顔と呼ばれるようになった。

 鑑賞花になってから速やかに庶民の日常に溶け込んだらしく、江戸時代から生活感あふれる句が多い。

  朝皃にほのかにのこる寝酒かな (杉山杉風)

  朝顔に釣瓶とられてもらひ水 (加賀千代女)



● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 朝顔には、紺、藍、紫、白、紅、ピンク、空色など、様々な色のものがあります。

 ただし、朝顔の色に焦点を定めた俳句の多くは、紺または藍の朝顔を素材としているようです。

 紺や藍の持つ落着きと深みが、日本人の心を捉えるのでしょう。

  朝がほや一輪深き淵の色 (与謝蕪村)

  朝顔の紺の彼方の月日かな (石田波郷)

  堪ゆることばかり朝顔日々に紺 (橋本多佳子)

  朝顔の藍やどこまで奈良の町 (加藤楸邨)

 上の楸邨の俳句を読んでいただけるとわかると思うのですが、この朝顔の紺・藍は、長い歴史を経て風格を帯びた古い町の風景と、よく調和するようです。

  朝顔や小橋の多き小京都 (凡茶)

 また、朝顔の紺・藍は、まだ光の弱い早朝の空の灰紫色と、本当に相性の良い色だと思います。

  朝顔や濁り初めたる市の空 (杉田久女)
     初め=そめ

  朝顔や一本の塔失せし空 (凡茶)

 さて、朝顔は、江戸時代に鑑賞花となると速やかに市井に普及し、庶民の日常風景の中に溶け込みました。

 そのため、朝顔は、生活感のある、人間臭い俳句を詠むのに適した季語となっています。

  郵便の来て足る心朝顔に (富田木歩)

  朝顔の庭より小鯵届けけり (永井龍男)

  朝顔やすでにきのふとなりしこと (鈴木真砂女)

 また、朝早く開いて昼前にはしぼんでしまう朝顔は、儚さ、寂しさを象徴し、時には人の死を意識させる花としても、俳句に詠まれます。

  朝顔やおもひを遂げしごとしぼむ (日野草城)

  朝顔に手をくれておく別れかな (富安風生)

  朝顔や百たび訪はば母死なむ (永田耕衣)
      百=「もも」と読む。

  朝顔や子でありし日は終りし筈 (中村草田男)
      筈=はず

  朝顔や掃除終れば誰も居ず (中村汀女)
コメント

新涼やさらりと乾く足の裏 (日野草城)

2018-08-27 | 秋の季語から



新涼やさらりと乾く足の裏 (日野草城)


新涼 (秋の季語:時候 涼新た(りょうあらた)秋涼 秋涼(しゅうりょう)● 季語の意味・季語の解説

 夏の季語「涼し」は、暑さの中で感じる夕暮れ時や水場などの貴重な涼しさである。

 これに対し、秋の季語「新涼」は、秋の訪れとともに、暑さが弱まっていくことで感じられるようになった確かな涼しさである。
 新涼という季語には秋らしいさらっとした爽やかさがある。

 なお、江戸時代の俳句には「新涼」の語を用いたものはほとんどなく、秋涼しの季語を用いたものが多いようだ。

  文台の扇ひらけば秋涼し (近藤呂丸)

  秋涼し雨の過行く雄上川 (三浦樗良)


● 古今の俳句に学ぶ季語の活かし方

 夏の季語「涼し」は、前後にある真夏の暑い時間を強く感じさせます。
 日差し、汗、生き物の活発なうごめきなどを、涼しさと隣り合わせに感じます。

 これに対し、秋の季語「新涼」は、前後の時間と一続きになっている安定した涼しさを感じさせます。

 新涼という季語からは、汗臭さの無い、さらりと透明感のある大気を感じ取ることができます。

 秋の涼しさを俳句に詠むときは、そんな「さらりとした透明感」を生かすようにしたいものです。

  新涼の浪ひるがえり蜑が窓 (水原秋櫻子)
      蜑=あま。海で魚介類や海藻を採ることを生業とする人。

  
  新涼や白きてのひらあしのうら (川端茅舎)

  新涼の画を見る女画の女 (福田蓼汀)
      画=「え」と読む。

  新涼の水の浮かべしあひるかな (安住敦)

  新涼や尾にも塩ふる焼肴 (鈴木真砂女)

  新涼の伐るべき竹に印つけ (福田甲子雄)

 次の句は、上の季語随想にも載せた私の俳句ですが、「さらりとした透明感」が詠めているでしょうか?

  パレットに恐竜の色涼新た (凡茶)

 ところで、恐竜が実際にはどんな色をしていたかなんて、誰にもわからないんだそうです。

参照 http://haiku-kigo.com/article/138048702.html

コメント

蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ (松尾芭蕉)

2018-08-26 | 秋の季語から


蛤のふたみにわかれゆく秋ぞ (松尾芭蕉)
      蛤=はまぐり

行く秋 季語の意味・季語の解説
==============================
 冬が迫り秋が滅びゆく様子、あるいはその時期を表わす季語。
 ほかの晩秋の季語、例えば、秋深し、秋寂ぶ、暮の秋などに比べ動的で、季節の移ろいをとりわけ強く感じさせる。

 晩春の季語「行く春」と同様に、過ぎゆく季節への惜別の情を抱かせるが、寂寥感は「行く秋」の方が強い。
 芭蕉は『おくのほそ道』の旅の終わりに、美濃の大垣で次の一句を詠んでいる。

  。

 この句は、大垣の人々と別れ伊勢の二見浦(ふたみがうら)へ旅立つ際の「惜別の情」を、「ゆく秋」という季語に託して表現している。
 なかなか分かれたがらない蛤の「ふた(蓋)」と「み(身)」が分かたれるように、名残を惜しみながら人々と別れゆくという句意であるが、「蓋・身」と「二見」がかけられていて機知に富んだ作品である。

 ただ、この句を、「おくのほそ道」の旅を締め括るにふさわしい、味わい深い一句としているのは、「行く秋」という季語の持つ寂寥感であると私は思う。

31秋の季語・時候・行く秋(デジカメ).jpg
        デジカメ写真


季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 行く秋と言う季語は、俳句を鑑賞する者に、過ぎゆく秋への惜別の情を抱かせます。
 そして滅びゆく秋の寂寥感を感じさせます。
 さらには、その年の秋に観た風景、感じた思いなどを走馬灯のように脳裏に蘇らせます。

 ですから、行く秋と言う季語は、目に映った何かさりげないものと取り合わせてやるだけで、しっかりと心に沁みる一句を成り立たせます。 

  行く秋や手をひろげたる栗のいが (松尾芭蕉)

  行く秋や抱けば身に添ふ膝がしら (炭太祇)

  火ちらちら秋も行くなり峰の堂 (加藤暁台)

  長き藻も秋行く筋や水の底 (黒柳召波)

  行く秋やどれもへの字の夜の山 (小林一茶)

  行く秋や書棚の隅の砂時計 (凡茶)


参照  http://haiku-kigo.com/category/7337841-1.html

コメント

牛部屋に蚊の声闇き残暑かな (松尾芭蕉)

2018-08-25 | 秋の季語から




牛部屋に蚊の声闇き残暑かな (松尾芭蕉)


 残暑 季語の意味・季語の解説
==============================
 立秋(8月8日頃)を過ぎても、なお残る暑さのことを残暑と言う。

 多くの俳句歳時記が、残暑の副題に秋暑(しゅうしょ)を挙げているが、残暑という季語と秋暑という季語の持つ印象は、少し異なっている。

 残暑と聞くと、暦の上では秋になった地上に、べったりと貼りつくように居座っている「夏の暑さ」を連想する。

 一方、秋暑と聞くと、どこか弱さというか、儚さのようなものを帯びた、「秋らしい暑さ」を連想する。

 俳人である以上、これらの使い分けを楽しんでみたい。

 なお、餞暑という副題には、やがて衰えてしまう暑さを惜しむ気持ち、過ぎゆく夏を見送る気持ちがこもる。



季語の用い方・俳句の作り方のポイント
==============================
 「残暑」という季語からは、秋になったにもかかわらず、べったりと貼りつくように居座る「夏の暑さ」を連想します。
 ゆえに、この季語を用いて俳句を作る場合は、「しぶとい暑さ」を感じさせるような一句にしたいと思います。

  牛部屋に蚊の声闇き残暑かな (松尾芭蕉)
      
  かまきりの虚空をにらむ残暑かな (立花北枝)

  城裏に床屋匂へる残暑かな (凡茶)

  網棚に味噌忘らるる残暑かな (凡茶)

 「秋暑(しゅうしょ)・秋暑し(あきあつし)」という副題は、暑さの中にある、秋らしいささやかな涼しさを感じさせる季語です。
 ですから、秋暑という季語を用いて俳句を作る場合は、夏の暑さにはない「弱さ」「儚さ」を一句の隠し味にしたいと思います。

  秋暑し水札鳴方の潮ひかり (加藤暁台)
      水札=けり。チドリ科の鳥。  鳴方の=鳴く方の。

  秋暑し午後の目覚まし鳴り止まぬ (凡茶)

 「餞暑(せんしょ)」という副題には、近いうちに弱まっていくであろう暑さを惜しむ心がこめられています。
 俳句歳時記を見ても、あまり例句は載っていませんが、我々が積極的に使って、頻用される季語へと育てていきましょう。 
 
  テーブルに紙縒散らかる餞暑かな (凡茶)
      紙縒=こより。紙などをよって作った紐(ひも)。

参照 http://haiku-kigo.com/article/160895661.html


コメント

無医村の棚田ひつぢを立たせけり (凡茶)

2018-08-24 | 秋の季語から



櫓田



無医村の棚田ひつぢを立たせけり (凡茶)
落日やひつぢ田帰る応援団 (凡茶)


穭・稲孫(ひつじ・ひつち・ひづち)は、
稲刈りをした後の株に再生した稲である。
いわば、稲の蘖(ひこばえ)である。二番穂とも呼ばれる。
稲刈り後もしくは穂刈り後に放っておくと、再び穂が出る。
穭稲(ひつじいね)・穭生(ひつじばえ)ともいい、
稲刈りのあと穭が茂った田を穭田(ひつじだ)という。


季語の意味・季語の解説
==============================
 稲刈りのあと、その刈り株から再び萌えだした青い芽を「ひつじ」と言います。
 そして、ひつじが一面に生えそろった田んぼを「ひつじ田」と言います。


季語随想
==============================
 稲の一生には二つの時期があります。

 一つは、田んぼに植えられてから刈り取られるまでの時期。
 おいしい米をいっぱい実らせようと育っていく時期。
 それは、人々の期待の中で、精一杯人々のために生きる時期です。

もう一つは、収穫後の、誰も見向きもしなくなった田んぼに、青々としたひつじとなって、再び萌えだした時期。
 やがて冬の風に枯らされるまでの短い間、晩秋の色づいた景色や、初冬の小春日和を満喫する時期。
 それは、他人に何かを期待されることがなくなっても、最後まで精一杯自分を成長させようと生きる時期です。

 どちらの時期も、稲にとっては、かけがえのない時期なのです。

参照 http://haiku-kigo.com/article/133882668.html
コメント

鮟鱇に耳があつたか聞いてをり 森野稔

2018-08-23 | 現代俳句鑑賞


鮟鱇に耳があつたか聞いてをり 森野稔

 作者の前には、天井から吊るされた鉤状の金具に無残に残された、
鮟鱇の顎と背骨ばかりが垂れ下がっている。
鮟鱇の吊るし切りは、今しがた終わったばかりである。
作者はそこにいた人に、しつこく尋ねている。
鮟鱇に、耳はあったかと。
しかし人々は、作者の話には取り合わない。
売り出された鮟鱇の、少しでもいい部分を手に入れようと血眼である。
一方作者は、鮟鱇の身のことなどはどうでもよい。
鮟鱇には耳があったか、ただそのことばかりが気になって仕方がない。
というのも、作者はいつかどこかで、
鮟鱇に耳があるらしいという情報を得ていたのである。
だから、次に実際の鮟鱇を目にする機会があったら、
ぜひとも自分の目で確かめてみようと、常々考えていたのだ。
ところが、絶好の機会をこの日逃してしまった。
地元のスーパーの鮮魚売り場で、
珍しい鮟鱇の吊るし切り実演があると聞いて慌てて駆け付けたのだが、
作者の到着した時には、すでに鮟鱇は顎と骨だけになってしまっていた。
悔やんでも悔やみ切れない作者は、
その場にいた人から事の真偽を必死で聞き出そうとする。が、後の祭りである。
作者はもやもやとしたものを心に引きずりながら、
また次の機会を待たなければならない。


参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

泣初や日差しのいろの椅子と卓 津川絵理子

2018-08-22 | 現代俳句鑑賞


泣初や日差しのいろの椅子と卓 津川絵理子


 作者は泣いている。なぜ悲しんでいるのかは分からない。
とにかく感情が破裂しそうで、溢れ出す涙を止めるいかなる手段もない。
南向きの大きな窓ガラスからは、
冬の日差しが目一杯に注ぎ込んで、
作者のいる部屋の奥まで明るく照らしている。
テーブルの上も、そして対面の椅子の背凭れも、
まるで狐の毛色のような、暖かな優しい色に包まれている。
その中で、作者は一人泣いている。感情に任せて、
気の済むまで、我慢するのも忘れて。
お姉さんだから、もう泣かないのね。
遠い遠い昔、まだ作者が子供だった頃、
作者の母はよくそう言ってぐずる作者をなだめたものだ。
そんな母の声が、今でも耳元に聞こえてくるようだ。
しかし、大人になっても泣いたっていいのだ。
皆どこかで泣いている。
大人は、それを隠しているだけだ。
そして今は何より、作者の体は嘘のように暖かい日差しの中に包まれている。
何かに似ている。ああ、そうだ。泣きじゃくる私を抱きしめてくれた、
あの母の体の温もりと同じだ。作者は、今も泣いている。
冬日は、それを受け入れている。
気の済むまで泣いていいのだと、遠くから、
優しく作者を包み込んでいる。


参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

冬遍路と合掌し合ふお達者で たむらちせい

2018-08-21 | 現代俳句鑑賞


冬遍路と合掌し合ふお達者で たむらちせい

 宿屋で邂逅した、名も知らぬ遍路である。
別の目的でこの地を訪れ、偶然に一晩を同じ宿に投宿した作者は、
すでにその遍路に他人とは思えない友情を感じていた。
朝、早々に準備を済ませると、遍路は先を急ぐと言う。
元来口数の少ない者同士である。
くれぐれもお達者で、と声を掛けた後、
作者は恭しく両手を合わせた。
しかし、それをしたのは作者ばかりではなかった。
遍路も同じように、作者へ向けて手を合わせると、
その無事を祈ったのである。遍路は危険な旅である
ましてや冬の寒さの中、
北風に身を切られ雪に足を奪われて、
山間の道なき道を進まねばならない。
うまく宿を取ることができなければ、
寒さに命を奪われる危険さえ伴うであろう。
しかし、それを押して、
冬の遍路は一旅人に過ぎない作者の安全を祈願した。
作者はそれに心を打たれた。己の身を顧みるよりも、
まず目の前の人の身を案ずる。
それは、遍路という厳しい修行が、
彼に悟りを開かせた証である。
いよいよ己の人間の小ささに気づかされた作者は、
遍路の背中が遠くなり、やがて見えなくなるまで、
その場からずっと遍路の無事を願い、見送っていたことだろう。


参照 
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

ふゆざくら息のこんなにさみしいとは 津久井紀代

2018-08-20 | 現代俳句鑑賞



ふゆざくら息のこんなにさみしいとは 津久井紀代

 自分なりに満足して生きてきた。
大切な人たちと知り合い、大切な家族をも授かり、
幸福な人生を歩んできた。それなのに、なぜだろう。
改めて自分の半生を振り返ってみた時、
何とも言えぬ遣り切れない思いのするのは。
充実した人生を生きてきたはずなのに、
何だろうこの焦燥感は。
心にはびこる、茫洋とした虚しさは。
私の息は、なぜこんなにも寂しげなのだろう。
見上げれば、冬の桜が咲いている。
まだ寒い冬の青空に、小さな花弁を幾つも、
懸命に広げている。そうか、あなたも頑張っていたのね。
心のどこかで、
無理をしながら。頷くはずもないのに、
風に煽られた冬の桜は、答えるように上下に揺れていた。

参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

起きて生きて冬の朝日の横なぐり 金子兜太

2018-08-19 | 現代俳句鑑賞



起きて生きて冬の朝日の横なぐり 金子兜太

目が覚めると、夜はようやく明けたところであった。
山越しに姿を現したばかりの太陽は赤い。
寝具から抜け出すと、一夜の内に部屋に満ちた冷気が、
たちまち作者の体を覆う。寒いと感じる。
しかし作者は、そこであえて窓ガラスを開けた。
東の空低く燃える太陽は、
作者の頬をぴしゃりと平手で打つように照らしつける。
一層厳しい外の冷気に肌を晒しながら、
作者は日差しの暖かさを僅かに感じる。
冷たいこと、温かいこと。
それは即ち、自分が今生きているということだ。
生を授かり、生かされているということだ。
ならばその命を、大切に輝かさなくてはならない。
粗末にすることはできない。
作者は冬の朝日に、笑顔を以て答えたであろう。
今日も精一杯生きるよ、と。



参照 
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

冬の星午前零時のアラームよ  西山ゆりこ

2018-08-18 | 現代俳句鑑賞


strong>冬の星午前零時のアラームよ  西山ゆりこ

 夜空は凍るような寒さである。
真っ暗に澄み切った空の中に、
光を放ついくつかの星が浮かんでいる。
星は隣の星との連絡を保ちながら、
気に触れることでたちまちに凍りつき、
鋭さと鮮やかさを増して地上に届く。
耳を澄ませば、光の粒と空気が擦れ合う音が聞こえて来そうだ。
そんな中、突然鳴り出した一つの目覚まし時計。
この日の正午に起きようとセットしておいたものが、
スイッチを切り忘れたために深夜の〇時に鳴り出してしまったのだ。
慌ててアラームを止めに走る作者。
っきまで張り詰めるような静寂に包まれていた星空にも、
一瞬動揺が走った。
しかし作者が再びもとの場所に戻って見上げる時には
星はすっかり平静を取り戻して、何事もなかったかのように輝いている
突然のことに驚いた作者の鼓動音だけが、
森閑とした冬の夜空に、異様に大きく鳴り響いている。


参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

菜の雫散らし俎始かな  津久井健之

2018-08-17 | 現代俳句鑑賞


菜の雫散らし俎始かな  津久井健之

 蛇口から流れる水は、氷を使わずとも十分に冷たい。
ボールに張った水の中から取り上げると、
菜っ葉はまるで摘み立ての時のように瑞々しく、
葉の先までしゃんと張っている。
空中に上げられた菜っ葉は、
束の間茎の根本から大量の水をボールの中へ落とすが、
それが止めば、あとはぽたぽたと時間を掛けて雫を落とすばかりになる。
だからといって、
菜っ葉はまとった水滴の全てをボールの中に落とし切った訳ではない。
複雑に入り組んだ葉の中には、
まだ零れずに残っているいくつもの水滴がある。
作者は菜っ葉の茎の部分を束ねるように指に持ち、それを上下へ軽く振る。
すると、葉に残っていた水滴が勢いよく辺りへ飛び散る。
その数滴が、これから菜っ葉を刻もうとする俎板の上へも落ちた。
ころころとした丸い小さな水滴が、
まだ出したばかりの乾いた俎板の上に乗り、
光を放つ。その水滴は実際には無色透明のはずなのに、
気のせいかほんのりと緑色を帯びているようだ。
菜っ葉の放つ鮮やかな緑色が、水滴に映っているのだ。
新年を迎えるにふさわしい、清澄な朝の景である。


参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント

凍蝶の模様の揺れてをりにけり  宮本佳世乃

2018-08-16 | 現代俳句鑑賞


凍蝶の模様の揺れてをりにけり  宮本佳世乃

 木々の枝に、辛うじて落ちずに残っている数枚の枯葉。
その葉裏に、縋り付くようにぶら下がっている一匹の蝶。
花も緑もない、全体が枯色に支配されてしまった世界の中で、
蝶のみが唯一の色彩あるものとして華やいで見える
しかしその蝶の体にもすでに生命力はなく、
凍えるような寒さの中で、
ひっそりと終焉を迎えようとしているかのようだ。
だが、たとえ蝶の生命の灯火が今にも消えそうになろうとも、
蝶の本能は自身が蝶であることを忘れようとはしない。
すでに自ら翼を動かし空へ羽ばたく体力を失っていたとしても
蝶は枯れた木の葉裏につかまり、
風に揺られる枝の運動に身を任せて、
その体を上へ下へと揺り動かしている。それはまるで
向かい風に揉まれながら、
風圧に抗って舞う蝶の本来の姿そのもののようだ。
蝶の体は凍てて動かない。
しかし蝶の翼の模様だけは、
蝶の鼓動と同じように必死に動き続けている。
蝶は、最後まで蝶であることをやめようとはしないのだ。
美しい蝶の意地を、作者は見た。


参照 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880622271/episodes/1177354054880622272
コメント