竹とんぼ

家族のエールに励まされて投句や句会での結果に一喜一憂
自得の100句が生涯目標です

ひつそりと冷えの到りし父の下駄 角川春樹

2019-09-30 | 今日の季語


ひつそりと冷えの到りし父の下駄 角川春樹

父は病床か
しばらく履かない父の下駄が縁先にある景が見える
もう基節もも秋の深まりの最中である
この下駄を父が履いたのは春だったか
季節の移ろいもあるが父の病を思えば
その冷たさがシミジミト伝わってくる
(小林たけし)

【冷やか】 ひややか
◇「冷ゆ」 ◇「ひやひや」 ◇「秋冷」 ◇「下冷え」 ◇「朝冷え」 ◇「夕冷え」
秋になって覚える冷気。秋も深まり、壁に触れたり、畳に座ったりすると思わずひやりと感じることをいう。

例句 作者

誰が耳と思ふわが耳冷えきつて 林 翔
暁闇や洗ひしごとき髪の冷え 野澤節子
ひやひやと壁をふまへて昼寐哉 芭蕉
冷やかや咲いて久しき畑の菊 増田龍雨
秋冷やともされて書架よろこべる 小宅容義
秋冷の瀬音いよいよ響きけり 日野草城
冷え冷えとわがゐぬわが家思ふかな 相馬遷子
暁のひやゝかな雲流れけり 正岡子規
ひやゝかに簗こす水のひかりかな 久保田万太郎
コメント

無頼派にまあるい背中放屁虫 たけし

2019-09-29 | 入選句


無頼派にまあるい背中放屁虫 たけし

9月25日 朝日新聞 栃木俳壇
石倉夏生先生の選を頂きました

自分なりに気に入っていた句でしたが
句会では無得点のものでした

若い時代のヤンチャは高じて
漂泊を夢見た一時代も過ぎ
家庭人としての務めも全うした晩節

その背中はまあるく小さく見えます

そして不覚のおならは所かまわず
放屁虫を取り合わせてみました
コメント (2)

かたまりて通る霧あり霧の中 高野素十

2019-09-27 | 今日の季語



かたまりて通る霧あり霧の中 高野素十


白馬岳から唐松岳へ縦走中、濃い霧に出会ったことがある。標も岩も何も見えない中、冷たい霧に濡れながらひたすら歩く。途中、別の濃い霧がやって来て我が身を通過していった。足元には、ピンクの白山風露が雫をためて咲いていた。(近藤英子)

秋の深まる朝まだき
ウオーキングの道すがら一瞬、霧の塊にすれ違う
霧がほどける間際の一瞬のことだと思う
少し前までは全体が霧の中だったに相違ない (小林たけし)

例句 作者

「英霊」はなぜ十五歳いまも霧 松田ひろむ
あけぼのの霧がはなるる鷺の丈 齊藤泥雪
あと少し泣いたら霧を纏えるか 近恵
いつか山霧姉は姉のままで老い 岸本マチ子
うつぼぐさ川霧さりしあかるさに 川島彷徨子
きりぎしや朝霧はやまとことばめき 児玉悦子
くちびるに夜霧を吸へりあまかりき 三橋鷹女
げじげじや霧にゆらぎてランプの灯 志摩芳次郎
こんなに霧深宿舎はまるで白衣を着て 金子皆子
コメント

つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子

2019-09-26 | 今日の季語


つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子

昭和十三年あたりから、誓子には「黒の時代」「暗黒の時代」といわれる一時期があった。それまでの外面に関心があり、視点が外界に向いていたのが、内面の深淵に向けられた時代である。例えば〈愉しまず晩秋黒き富士立つを〉〈夜はさらに蟋蟀の溝黒くなる〉〈蟋蟀はきらりと光りなほ土中〉などの句が挙げられる。これは当時の時代背景が反映しているにしても、誓子が病気療養中で鬱鬱としていたことが主な原因であったろう。
 しかしときには無理のない誓子本来の句も見られるようになる。いわゆる構成句である。鑑賞句は昭和十六年作で『七曜』に所収された、まさに構成句である。誓子の「自選自解句集」によれば、「『つきぬけて天上の紺』は、くっつけて読む。つきぬけるような晴天とは、昔からいう。それを私は『つきぬけて天上の紺』といったのだ」とある。
 つまり一句は、〈つきぬけて天上の紺/曼珠沙華〉であり、一部の鑑賞者のように曼珠沙華が紺碧の空を突き抜けるという解釈はあたらない。まして「曼珠沙華を下からのぞき込んで空につきぬけた様子だ」などは論外だろう。ここでは「天」と「地」の縦軸に「天上の紺」と「曼珠沙華の赤」という色彩の対比をみることができる。これこそ「黒の時代」を抜けた構成俳句の再来である。
 ところで曼珠沙華は彼岸花のほか、死人花、捨子花、石蒜(せきさん)、天蓋花、幽霊花、かみそりばななど様々な呼称がある。どちらかというとマイナスイメージであるが誓子は曼珠沙華が好きなのか、この頃に、〈曼珠沙華季節は深く照りとほる〉〈曼珠沙華一茎の蘂照る翳る〉などがある。
 そんななか、時代は大きく転換し始めた。昭和十五年に俳句弾圧事件があり、太平洋戦争開戦は翌年のことである。「日本俳句協会」は十六年六月に「日本文学報国会」の一部門と化した。誓子は地方で療養中ということもあり捜査から免れたが、次第に俳句の素材が狭く、身近な自然観察に眼が傾いていった。

  俳誌『鴎座』2018年5月号 より転載

【曼珠沙華】 まんじゅしゃげ
◇「彼岸花」 ◇「狐花」(きつねばな) ◇「捨子花」(すてごばな) ◇「死人花」(しびとばな) ◇「天涯花」(てんがいばな)
ヒガンバナ科の多年草。秋の彼岸ごろ、川辺の堤や畦などに花茎をのばして、真紅の炎のような美しい花を咲かせる。花後、細い葉が出て翌年春枯れる。

例句  作者

「福島」に復りたい白曼珠沙華 瀧春樹
あかあかとあかあかあかとまんじゆさげ 角川春樹
うつし世の端行きどまる曼珠沙華 村田冨美子
かんぺきに蕁麻疹曼珠沙華の中 種村祐子
さびしい空気から曼珠沙華を一本ぬく 藤井眞理子
つまずくに丁度いい石彼岸花 奥山和子
とどまれば我も素足の曼珠沙華 あざ蓉子
ふるさとに突つ立ちはじむ曼珠沙華 印南耀子
まんじゅしゃげ自分の色を見失う 和田美代
まんじゆしやげ昔おいらん泣きました 渡辺白泉
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女
ドラえもんのどこでもドアー曼珠沙華 園田千秋
コメント

南無秋の彼岸の入日赤々と 宮部寸七翁

2019-09-24 | 今日の季語


南無秋の彼岸の入日赤々と 宮部寸七翁

今日は秋分の日、「秋の彼岸の中日」。俳句で、単に「彼岸」と言えば春のそれを指す。作句の時には注意するようにと、たいていの入門書には書いてある。それかあらぬか、秋彼岸句には「彼岸」そのものに深く思い入れた句は少ないようだ。秋の彼岸は小道具的、背景的に扱われる例が多く、たとえば来たるべき寒い季節の兆を感じるというふうに……。これにはむろん「暑さ寒さも彼岸まで」の物理的な根拠もあるにはある。が、大きな要因は、おそらく秋彼岸が農民や漁民の繁忙期と重なっていたことに関係があるだろう。忙しさの真っ盛りだが、墓参りなどの仏事に事寄せて、誰はばかることなく小休止が取れる。つまり、秋の彼岸にはちょっとしたお祭り気分になれるというわけで、このときに彼岸は名分であり、仕事を休むみずからや地域共同体の言いわけに近い。勝手に休むと白い目で見られた時代の生活の知恵である。「旧家なり秋分の日の人出入り」(新田郊春)、「蜑のこゑ山にありたる秋彼岸」(岸田稚魚)など。「蜑」は「あま」で海人、漁師のこと。どことなく、お祭り気分が漂っているではないか。その点、掲句は彼岸と正対していて異色だ。「南無」と、ごく自然に口をついて出ている。赤々とした入日の沈むその彼岸に、作者の心の内側で深々と頭を垂れている感じが、無理なく伝わってくる。物理的な自然のうつろいと心象的な彼岸への祈りとが、見事に溶けあっている。『新俳句歳時記・秋』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)



【秋彼岸】 あきひがん
◇「後の彼岸」(のちのひがん) ◇「秋彼岸会」(あきひがんえ)
秋分の日(9月23日ごろ)を中日とした1週間。彼岸会として仏事を行うことは春の彼岸と同じ。単に「彼岸」といえば春の彼岸をさす。単に「彼岸」というと春の彼岸なので、「後の彼岸」ともいう。

例句 作者

東京に井戸ある不思議秋彼岸 能村研三
濡れつづく母の爪革秋彼岸 中村明子
地獄波凪ぎ誕生寺秋彼岸 吉川鬼洗
畑中に火を焚く音の秋彼岸 三谷道子
故ありてあづかる位牌秋彼岸 亀田月庭
秋彼岸足音ばかり空ばかり あざ蓉子
コメント

父祖の喜怒三角四角秋棚田 田口十糸子

2019-09-21 | 今日の季語



父祖の喜怒三角四角秋棚田 田口十糸子


収穫の前か後ろか
今は亡き父の丹精の棚田に立っている
作者の姿が鮮やかである
この見事な棚田の容はさまざまで
ひとつとして同じ容はない
父の開墾の苦労がしのばれる
苦労の後の乳の笑顔もまた偲ばれる
(小林たけし)

【秋の田】 あきのた
◇「秋田」 ◇「色づく田」 ◇「田の色」 ◇「稲田」(いなだ) ◇「早稲田」(わせだ) ◇「稔田」(みのりだ) ◇「稲田道」 ◇「稲田風」
稲が成熟して色づいた田。稲は重たげに穂を垂れ、黄金色である。風がわたる毎にさやさやと穂ずれがして、波がわたっていくように見える。

例句 作者

秋の田にものを落して晩鴉過ぐ 山口誓子
宍道湖の波のかよへる稲田かな 大場白水郎
秋の田の父呼ぶ声の徹るなり 田中鬼骨
牛小屋に牛ゐて曇らざる稲田 原 裕
秋の田の大和を雷の鳴りわたる 下村槐太
友が住めるは此の里か稲田ひろびろ 荻原井泉
おほらかに生きて稔り田庭続き 大城まさ子
幸魂の集まる広場秋の田は 堀之内長一
稔る盆地に一途の煙マンの死へ 金子兜太


コメント

一粒の葡萄のなかに地中海 坂本宮尾

2019-09-20 | 今日の季語


一粒の葡萄のなかに地中海 坂本宮尾


下記の例句のなかに同様の句がある
こちらは「バルト海」である
作者それぞれの脳裏にはそれぞれの記憶が蓄積されている
この一粒はきっと大粒に違いない
作者は口に含む前に一瞬、この大粒の葡萄を凝視する
彼の日、彼の時、彼の人が浮かんでくる
(小林たけし)

【葡萄】 ぶどう(・・ダウ)
◇「黒葡萄」 ◇「葡萄園」 ◇「葡萄棚」 ◇「マスカット」
葡萄棚に房をなして垂れ下がる。実を食用にし、葡萄酒の原料にする。アメリカ種のデラウェアや日本で作られた巨峰などが有名。山梨、岡山、長野などが主産地。


例句   作者

かたまりて星雲をなす葡萄の実 高橋修宏
ぶどう棚右手とどかずラリルレロ 杉原信子
ほろにがき恋の記憶や黒葡萄 中山秀子
バルト海閉ぢ込めてゐし黒葡萄 吉本宣子
一房の巨峰の重さ掌にとりて 中澤一紅
一房の葡萄の重み子に頒つ 森田智子
力山を抜き葡萄新酒の栓抜けず 原子公平
口皺のさびし葡萄の甘かりし 前田美智子
喉とおる葡萄の粒がずっと遙か 大坪重治
天網恢恢葡萄の鬼房だけ洩らす 檜垣梧樓
急ぐなよ葡萄は一粒ずつ青い 秋尾敏
コメント

秋風鈴遠きところに置くこころ たけし

2019-09-19 | 入選句


秋風鈴遠きところに置くこころ たけし

2019年9月19日 産経俳壇
寺井谷子先生の選をいただきました

遠きところは何処でしょう
作者の私には
ふりかえる来し方の山谷、そして出会いのと別れ
また人生の岐路で違った道を選んでいたら・・・
とどめなく思いは飛躍していきます

読者にはまた違った遠きところがあるだろうと思います

掲句は自得の一句になりそうです
コメント

廃屋となりゆく生家柿花火 たけし

2019-09-18 | 入選句


廃屋となりゆく生家柿花火 たけし

9月18日 栃木俳壇に朝日新聞石倉夏生先生の選をいただきました

句意はそのまんまのものですが
こうした俳句は私の得手ではないものの
活字になると悪くないなーと感じるのは
日本人の原風景だからだろうかと思います

柿花火は発見だと自分で越に入っております
コメント

真二つに折れて息する秋の蛇 宇多喜代子

2019-09-17 | 今日の季語



真二つに折れて息する秋の蛇 宇多喜代子



この高名な作者の句としては特異な部類に見える
実景からの作とみたい
枝に二つ折りにぶら下がっていつ蛇をみた 
作者はそのまんまを一句とした
穴に入る寸前の蛇
息継ぎのなみうつ腹を見逃さばい
なんの仕掛けもない客観写生の秀句とみたい
(小林たけし)



【蛇穴に入る】 へびあなにいる
◇「秋の蛇」 ◇「穴惑い」(あなまどい) ◇「蜥蜴穴に入る」(とかげあなにいる) ◇「蟻穴に入る」
蛇は晩秋になると穴に入って冬眠する。俗に秋の彼岸に穴に入るといわれるが、実際にはもっと遅い。数匹から数十匹が寄り集まって来て、穴の中で絡み合って冬を過ごす。

例句 作者
穴まどひ身の紅鱗をなげきけり 橋本多佳子
穴に入る蛇一息に尾を曳けり 棚山波朗
からまりてゐても冷たき穴惑 金子青銅
蛇穴に入るまつ逆さかも知れず 浦野芳南
フォッサ・マグナの南端を秋の蛇 原田 喬
蛇穴や西日さしこむ二三寸 村上鬼城
吹き晴れの火の島にゐて穴まどひ 鳴瀬芳子
ページ繰る音の軽くて秋の蛇 赤野四羽
全天が来て咬みしめる秋の蛇 高岡修
天国の光のごとし秋の蛇 大石雄鬼
山の日はずきんと離れ秋の蛇 大坪重治
秋の蛇人のごとくに我を見る 山口青邨
秋の蛇去れり一行詩のごとく 上田五千石

コメント

敬老日らくがき帳に鬼の面 渡辺富郎

2019-09-16 | 今日の季語


敬老日らくがき帳に鬼の面 渡辺富郎


9月の第3月曜日は敬老の日
敬老などとは死語にほとんどなっているのではないか
以前ヨーロッパへ出かけた時のこと
混み合っているバスに荷物を抱えて乗り込んできた老婦人
大声で座っている中年男性を断たせて座り込んで悠然
当り前のように男性も自然な態度で応じていた
老人は敬われ大切にされているのだなと感じた
老人になった現在の私にはこの気持ちは皆無だが
こうした矛盾は老人になれば理解できる

さて掲句だが なんとも面白い
この鬼の面は作者自身の作であて欲しい(笑)
(小林たけし)

ケーキ買ふ二人きりなる敬老日 中村圭作
夢捨てしことには触れず敬老日 大場榮朗
手で登るカニの縦這い敬老日 犬山京子
敬老の日のむず痒き空と雲 足柄史子
敬老の日の釣り仲間バスを待つ 新免弥生
敬老の日や磔刑のキリストも 谷口慎也
敬老日化粧くずれを忘れおり 佐々木寿万子
敬老日遠き目礼して躱す 西澤寿林子
湯葉買ひにゆく敬老の日なりけり 鈴木八洲彦
コメント

勾玉の中に醒めたる秋の雨 高野ムオ

2019-09-14 | 今日の季語



勾玉の中に醒めたる秋の雨 高野ムオ

勾玉は、曲玉とも書く。湾曲した玉の一端に穴をあけ,糸を通した装身具の一種。日本では縄文時代からみられ,古墳時代にいたって多用された。また,古代朝鮮でも用いられた。動物の牙に穴をあけて用いたのがその始りといわれ,その後,石,土,さらに弥生時代になると,ガラス,古墳時代には翡翠,碧玉,瑪瑙,琥珀,滑石などでつくられるようになった。大きさや形状はさまざまであるが,この勾玉の変形したものに子持勾玉がある。

さて句意は難解だ
女性の装身具である勾玉の中に醒めたものは何んなのか
秋雨の取り合わせなのだから、男女の恋情のうつろいのことだろうか
私にはそれ以上の解が浮かばない
現代俳句の先頭を行く作者だけに詠みきりたいものだが
(小林たけし)


【秋の雨】 あきのあめ
◇「秋雨」(あきさめ) ◇「秋霖」(しゅうりん) ◇「秋霖雨」(しゅうりんう) ◇「秋黴雨」(あきついり)
秋季の雨の総称。秋の雨はどこかうそ寒く、沈んだ気分を誘う。冷え冷えとして、なかなかあがらず火鉢が欲しくもなる。9月中旬から10月半ばまでの秋の長雨を「秋霖(しゅうりん)」というが、じとじとと降り続きうっとうしい感じである。

例句   作者

みちのくの重さ滲ませ秋黴雨 安田龍泉
クリスタルな秋霖時計店の慇懃 加藤知子
コインランドリー秋霖秋霖と廻りゐる 間野博子
コーヒー店永遠に在り秋の雨 永田耕衣
一票大事一句大切秋黴雨 藤本草四郎
口中の暗き甲冑秋ついり 宮坂市子
待ちぼうけ少年秋の雨に濡れ 宇野泉
暑くもなし寒くもなくて秋の雨 末広鞠子
棗はや痣をおきそめ秋の雨 富安風生
コメント

しらぎくの夕影ふくみそめしかな 久保田万太郎

2019-09-13 | 今日の季語



しらぎくの夕影ふくみそめしかな 久保田万太郎


庭に咲く白菊か
菊花展の大輪か
それとも供養にもとめた手にする白菊か
家路へと歩む作者が眼に浮かぶ
あれほどの艶やかな花色が
秋の日暮れの速さに影を落としてみえる
作者は歩を早めるのである
(小林たけし)

【菊】 きく
◇「菊の花」 ◇「白菊」 ◇「黄菊」 ◇「大菊」 ◇「小菊」 ◇「厚物咲」(あつものざき) ◇「懸崖菊」(けんがいぎく) ◇「菊の宿」 ◇「乱菊」
キク科の多年草。江戸時代中期以降、園芸用の華麗な品種が作られるようになった。現在も広く栽培され大輪から野趣豊かな小輪まで、種類が非常に多い。

例句   作者

かけがえのなき人といて菊日和 岡地好恵
くらがりに供養の菊を売りにけり 高野素十
この菊の白さは人をあやめるほど 後藤昌治
ていねいに菊をいたわる老夫婦 堀保子
とりどりの小菊むかし駄菓子屋で 川西ハルエ
どさと菊活けて湯殿や二人暮し 柳澤和子
ひとり寄れば一人来る膝菊日和 大島時子
わがいのち菊にむかひてしづかなる 水原秋櫻子
わたしの顔が覗かれており白菊黄菊 篠原信久
一叢の黄菊に山気ひそみをり 鈴木詮子
コメント

小鳥来て午後の紅茶のほしきころ 富安風生

2019-09-11 | 今日の季語



小鳥来て午後の紅茶のほしきころ 富安風生

秋になって田畑や
樹木の実が実るころになると
どこからともなくやってくる小鳥が目につくようになる
ふと見やればいつからいたのだろうか
2~3羽の名もshれに小鳥が庭先に餌を啄んでいる
その姿を眺めていたらふと紅茶を呑みたい気分になった
おざやかな秋の日差しと風、小鳥の小気味よい囀りさえも聞こえてくる
(小納谷氏たけし)


【小鳥】 ことり
◇「小鳥来る」 ◇「小鳥渡る」
秋にはいろいろの小鳥が渡ってきたり、山地からふもとの方へ移って来るのを総称していう。大集団の渡りではなく、少数の渡りか2、3羽の渡り鳥を示す語。

例句  作者

天気図の端にバイカル小鳥来る 近藤栄治
小鳥くる空に小さな穴あけて 津根元潮
白髪の乾く早さよ小鳥来る 飯島晴子
踊子の金色の靴小鳥来る 伴場とく子

コメント

いろいろの枕の下を野分かな 加藤郁乎

2019-09-05 | 今日の季語


いろいろの枕の下を野分かな 加藤郁乎


いろいろの枕
これが不思議な句意の要だろう
読者に委ねる作者のしたり顔が浮かんでくる
作者はひとり寝の寝所にいて
来し方の諸々を想起している
外は野分の風が吹き渡り雨戸の音が激しくなってくる
作者は微動だにしないで
いよいよ来し方の邂逅、別離を想起するのだ
(小林たけし)

【野分】 のわき
◇「野わけ」 ◇「野分晴」 ◇「野分後」(のわきあと)
雨を伴わない秋の強風。草木を吹き分けるほどの風というのでこの名がおこった。野分のあとはからりと晴れるが、秋草や垣根の倒れた哀れな情景が見られる。「秋の風」より激しく吹く。


例句  作者

あなうらのひややけき日の夜の野分 桂信子
あをあをと瀧うらがへる野分かな 角川春樹
なんと云ふさだめぞ山も木も野分 細谷源二
アフリカの縞馬迷う野分かな 田井淑江
オリーブは眠れる木なり野分だつ 浦川聡子
ハルモニの後ろ手に立っていて野分 橋本直
モンゴルの野分の音か馬頭琴 今泉三重子
ヴィバルディの音を捉へてゐて野分 加藤瑠璃子
五十鈴川に手を浸しゐる野分かな 江口千樹
コメント