これよりは恋や事業や水温む
虚子/春の俳句 前回につふけて10句
いずれも景が鮮やかに映る
上品なまとまりに納得する
舟岸につけば柳に星一つ
濡縁にいづくとも無き落花かな
提灯に落花の風の見ゆるかな
鎌倉を驚かしたる餘寒あり
春雨やすこしもえたる手提灯
雲静かに影落し過ぎし接木かな
造花已に忙を極めたる接木かな
葛城の神みそなはせ青き踏む
山吹の雨や双親堂にあり
虚子/春の俳句 前回につふけて10句
いずれも景が鮮やかに映る
上品なまとまりに納得する
舟岸につけば柳に星一つ
濡縁にいづくとも無き落花かな
提灯に落花の風の見ゆるかな
鎌倉を驚かしたる餘寒あり
春雨やすこしもえたる手提灯
雲静かに影落し過ぎし接木かな
造花已に忙を極めたる接木かな
葛城の神みそなはせ青き踏む
山吹の雨や双親堂にあり
追記/運命は笑ひ待ちをり卒業す 虚子
今の時代、留年せずに無事卒業してもその後の困難さを思えば、少数の例外を除けば「笑う」がごとき前途洋々としたものであるとは思えない。そして、運命はあざ「笑う」かのように複雑な管理機構の中で人を翻弄し続ける。この句は昭和十四年の作である。当時の大学・高等専門学校の卒業生(そして中学を含めても)は今の時代には考えられないほどのエリートであった。しかし戦火は大陸におよび「大学は出たけれど」の暗い時代であった。運命の笑いをシニカルなものとしてとらえたい。だが、大正時代、高商生へむけ「これよりは恋や事業や水温む」という句をつくっている虚子である。卒業切符を手にいれたものへの明るい運命(未来)を祝福する句とも言える。いずれにしろ読者のメンタリティをためすリトマス試験紙のような句である。『五百五十句』所収。(佐々木敏光)