今回は石田波郷の春の句10句を鑑賞
バスを待ち大路の春をうたがはず
バスを待ち大路の春をうたがはず
昭和8年作。
バスを待つ俳句というのはよく目にするが、とっさにこの波郷句を連想してしまう向きも少なくないはず。
理屈で考えると、やや散文的な作品とも見えるが、散文か韻文かといえば間違いなく韻文なのである。「うたがはず」の断定的な切れの強さが、春到来の若々しい喜びを伝えてくるからだ。
この句を見るとき、私は何となく、
初蝶やわが三十の袖袂
という、後年の句を思い出し、大路に一つの蝶が漂っているさまを想像する。
この年「馬酔木」では、自選同人制が実施された。そのメンバーに名を連ねたのは、軽部烏頭子、百合山羽公、瀧春一、篠田悌二郎、塚原夜潮、佐野まもる、高屋窓秋、石橋辰之助、五十﨑古郷、相生垣瓜人、佐々木綾香、そして最年少の波郷だった。俳壇では連作俳句、無季俳句などへの試みがさかんになってきた時期だった。
そんな背景をこの句に重ねて鑑賞してみてもいいかもしれない。
煙草のむ人ならびゆき木々芽ぐむ
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
さくらの芽のはげしさ仰ぎ蹌ける
浅き水のおほかたを蝌蚪のもたげたる
蝌蚪死ぬ土くれ投げつ嘆かるる
春暁の壁の鏡にベツドの燈
春暁の川を煤煙わたりそめ
大阪城ベッドの脚にある春暁
嗽霞を見つつ冷たかりき
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
さくらの芽のはげしさ仰ぎ蹌ける
浅き水のおほかたを蝌蚪のもたげたる
蝌蚪死ぬ土くれ投げつ嘆かるる
春暁の壁の鏡にベツドの燈
春暁の川を煤煙わたりそめ
大阪城ベッドの脚にある春暁
嗽霞を見つつ冷たかりき