稲田ありどあり日本に似たるかな
高浜虚子 「五百五十句」第3回 昭和十一年三月
晩涼や火焔樹かえんじゅ並木斯かくは行く
三月四日 新嘉坡シンガポール著。石田敬二、東森たつを来訪。次で三井物産支店長松本季三志夫妻、三菱商事支店長山口勝、宮地秀雄等来船。敬二東道の下に章子を帯同、一路自動車にて奥田彩坡さいは経営の士乃セナイの護謨ゴム園を訪ふ。横光利一よこみつりいち同道。帰途タンジヨン・カトンの玉川ガーデン、敬二居等に立寄り、今日の吟行地植物園に下車。それより空葉居に一憩、新喜楽にて晩餐ばんさん。俳句会。
稲妻のするスマトラを左舷さげんに見
三月五日 新嘉坡碇泊。日本人共同墓地に二葉亭四迷ふたばていしめいの墓を弔ふ。敬二、楠窓同道。章子は途中空葉居に下車。帰途敬二居に立寄り帰船。正午出帆。
稲田ありどあり日本に似たるかな
三月六日 彼南ペナン著、上陸。
月も無く沙漠暮れ行く心細こころぼそ
三月二十一日 午後三時、蘇士スエズ入港。陸路カイロに到りメトロポリタン・ホテル一泊。
2月16日に船上の人となり渡仏の旅高浜虚子 「五百五十句」第3回 昭和十一年三月
晩涼や火焔樹かえんじゅ並木斯かくは行く
三月四日 新嘉坡シンガポール著。石田敬二、東森たつを来訪。次で三井物産支店長松本季三志夫妻、三菱商事支店長山口勝、宮地秀雄等来船。敬二東道の下に章子を帯同、一路自動車にて奥田彩坡さいは経営の士乃セナイの護謨ゴム園を訪ふ。横光利一よこみつりいち同道。帰途タンジヨン・カトンの玉川ガーデン、敬二居等に立寄り、今日の吟行地植物園に下車。それより空葉居に一憩、新喜楽にて晩餐ばんさん。俳句会。
稲妻のするスマトラを左舷さげんに見
三月五日 新嘉坡碇泊。日本人共同墓地に二葉亭四迷ふたばていしめいの墓を弔ふ。敬二、楠窓同道。章子は途中空葉居に下車。帰途敬二居に立寄り帰船。正午出帆。
稲田ありどあり日本に似たるかな
三月六日 彼南ペナン著、上陸。
月も無く沙漠暮れ行く心細こころぼそ
三月二十一日 午後三時、蘇士スエズ入港。陸路カイロに到りメトロポリタン・ホテル一泊。
表題句は3月6日のもので旅立ちからおよそ20日間を経過した日のもの
「とあり」は「とある」の誤植?
それぞれの旅行吟で虚子のたしかな写生眼もさりながら
旅愁も漂い始めているようだ(丈士