果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

御蔭に気付く    生かせ  いのち

2012-04-22 16:09:17 | 高野山
 

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生かせ いのち

 お陰に気付く

  私達は加持力という言葉をよく使います。真言宗ではたいへん大事な言葉です。仏さまが与えてくださる力を「加」そして受け取る力を「持」といいます。この二つが相まって一つのお蔭をいただけるのです。では、加は常に注がれているのか時々注がれるのかを考えると、やはり常に注がれているのではないかと思います。太陽がそうです。曇っていても雨が降っていても快晴であっても、同じ強さで照ってくれるから地球はお蔭をいただいている。これを有難いと感じるか当たり前だと感じるかで随分違ってくると思います。

  お大師さまは、「真言は不思議なり、観諦すれば無明を除く」とおっしゃっています。拝むことは不思議なのです。s真摯に祈って、きちんと受け止めなければなりません。今がだめだと言わず真に、今あるところが、幸せなんだと説いて食えているのが真言宗のみ教えだと思います。

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  ではたくさんの雪が降ります。雪が雨だったらすぐに流れてしまいますが、積雪が春になってだんだんと溶かされ、南部に川となって水を注いでくれるから今がある。拝んだものに対してすぐに利益を求める人がいますが、そうではなく、今行った善行がいつか他の人の役に立つことを願わなければならないと思います。

  あるとき師僧が、こんな話をしてくれました。師僧が子どもの頃のことで、今から八十年ぐらい前のお話です。師僧は農家に生まれたやんちゃな末っ子です。毎日とっぷりと日が暮れるまで外で遊ぶような元気な子でした。小学校五年生のある日のことです。二月の寒い日に、やはり暗くなるまで外で遊んでいました。家に帰るとお母さんが台所で食事の支度をしてくれていて、先にお風呂に入るように声を掛けてくれました。

  お腹もすいていましたが、体が冷えきっていたのでお風呂に飛び込みました。当時五右衛門風呂です。格子から風が吹き込んできてぞくつとしました。そのとき外からお母さんの声がして「ぬるくない?沸かそうか?」言ってくれました。バチパチという音がして、しばらくすると底からだんだん温かくなってきました。子ともながらに「ありがたいなあ、極楽じゃ」と思ったそうです。五分、十分とたって体が芯から温まってきたとき、頭の上にピチヤツと雫が落ちて、またぶるっとしました。そのとき思ったそうです。

  そうだ。僕は今、十分に温まっているけれど、外にいるお母さんはどうだろう。そこは温かいはずがない。寒い思いをして僕のために薪をくべているんだ。そして、自分は一体何をしていたんだろう。偉そうなことを言っても風呂一つ自分では入れない。こうやって多くの陰なる力、お蔭をいただいて生きているのだと思い、少し反省する気持ちになって、そろそろ農家の仕事の手伝いや家のことをやっていかなければならないと目覚めたそうです。

  「お陰」とみんな簡単に言います。しかし、本当に間近で、毎日毎日お陰をくださっている人やものたちがあるということに気付かなければ、寂しいせいかつになるのではないでしょうか。

  筆者は岡山県倉敷市 高蔵寺  住職 天野高雄 

本多碩峯 参与 770001-42288


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