果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

小中学校時代を過ごす熊野市へ行く (その四)

2009-07-27 21:03:23 | 先祖を訪ねて

農業生産法人 株式会社金山パイロットファームの代表取締役 大西 誠氏とは小学校(神志山小学校)・中学校(御浜中学校)を同窓生として戦中、戦後の国の大きな変革期にも関わらず、非常に楽しく、思い出の多い素晴らしい人生の一ページであります。

 72年前の1937年(昭和12年)小生2歳で家族と共に長崎県西彼杵郡時津村から三重県南牟婁郡神志山村に移住したのだ。

 

 小生が小学校生の時代、大西 誠氏の尊父大西徳次郎が村長で、村人の生活困窮者へ自宅の農産品を先ず自身が届けたり、戦後の最初の衆議院議員選挙に保守系の議員候補からお金を持って票集めの依頼を受けるも、「自分はそんなモノを一切を受け取れない。受け取らなくても、一生懸命応援させて頂きます」と答えて、その保守系の候補者が当選された。 等々、美談が残っています。

 

 小生の亡父が長崎の柑橘指導所長からの農林省の要請で神志山村に設立された三重県立の初代柑橘指導所長に赴任した。

 72年前に、三重県南牟婁郡の柑橘産業を心に描いた方々の中心が上記の大西徳次郎氏で多くの仲間があった。

 小生の亡父本多舜二は戦時中の柑橘栽培に困難な時代、戦後の軍人公職追放時代に大西徳次郎村長のご尽力が有ったからこそ、楽しい、素晴らしい思い出を頂いた事に感謝一杯です。

 父の公職追放後、住む家も無くなるところ、官舎を特別の計らいで無料で住まわせて頂く特別な配慮も当時の大西徳次郎村長でした。

 

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終戦の当時を思い出すと、戦後間もなく、紀伊半島の僻地に話には聞くも、村人が初めて見る進駐軍(米軍)の乗ったジープがやってきた。柑橘指導所の門の前に何時の間にか大勢の村人や子供が集まり、その内にジープが指導所の中へ入って行く、子供心に父の仕事場へ入って行く姿を見て、何か優越感をさえ覚えた。

正門に出てくる憧れのジープをみんな待っていた。

するとジープが正門に向かってやって来た。後ろの座席に進駐軍の間に父が元気なく座っている。一瞬に・・・感じる子供心・・・・・走り去って行くジープ。                                       

すると、指導所の事務長が自転車に乗って急ぎ足に走ってくるなり、タカちゃん!

すぐ家に帰って!    大きな叫び声!                                        

                                                      つづく

 

 

 

                             

小中学校時代を過ごす熊野市へ行く (その一)

2009-07-18 11:45:27 | 先祖を訪ねて

 

 

昭和12年に現御浜町志原(旧神志山村)に亡父が県立柑橘紀南指導所の初代所長として赴任、戦後昭和24年迄住んだ懐かしく、素晴らしい思い出の地へ馳せ参じた理由があった。

小中時代の同窓生 大西 誠氏が165ヘクタールの広大な柑橘園を所有する「農業生産 法人 金山パイロットファーム」の代表取締役である。

このファームの所有地であった農地に之また、遠大な夢の遠大な憩いの施設「熊野倶楽部」が完成した事による。

逃れられない人類の大敵、食糧難の到来に、人類にとって最も大切な健康を人類自ら創造する一つに、果物を使った料理並びに果物加工食品を紀州熊野から発信する事。

同窓生大西 誠氏、須崎維朗氏、住居だったご近所の方々のお会いする事。

 「熊野倶楽部」のオープニングは7月17日に盛大に行われた事のご連絡あり、ネット上でも確認。

 私はオープニング前の13日に一泊二泊の招待を頂いた。

ヨーロッパのスイスを思わせる広大な光景の数々をご紹介しよう!

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枇杷の種の効用

2009-07-05 10:27:06 | 果物加工食品

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商品:枇杷の種の甘露煮

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枇杷の種の甘露煮を使った赤飯

薬草の自然療法 東城百合子先生著 池田書店 より抜粋

びわは、昔から魔法の木

 なんと3千年も昔から、涅槃経(ねはんきょう)などインドの古い仏典の中に、びわは大変優れた薬効を持ち生きとし生けるものの万病を治す植物として登場します。びわの樹は「大薬王樹」、びわの葉は全ての憂いを取り除く「無優扇」と名付けられていたことからも、その癒しの力の絶大さが、すでにこの頃からあまねく知られていたことがうかがわれます。

日本でも古くは奈良時代、天平2年に光明皇后がつくられた「施薬院」、これは貧しい人々や病気の人々の救済施設ですが、そこでびわの葉の療法がもう行われていたのです。

  この古い療法は、びわの葉を焦げない程度にあぶって、2枚あわせて両手で10回ほどすり、1枚ずつ手に持って熱いうちに患部を摩擦するという、素朴なやり方だったようです。それ以来、全国のお寺にはびわの木が植えられ、難病に悩む衆生を治療してきたのです。
 
ガンさえも治るびわの葉療法の威力

 びわの葉には、ブドウ糖、蔗糖、果糖などいろいろな成分が含まれていますが、その中のアミグダリンという物質が薬効成分なのです。そしてこのアミグダリンが、ビタミンB17になるのです。

  ガンに画期的な効果があるとして、今、国際的に脚光を浴びているこのビタミンB17こそ、びわの葉の驚くべき効果の主役でもあるのです。

  このビタミンB17は、体温と共に暖められると浸透して、細胞の中にまで入っていき、炎症やガン細胞も治してしまうほどの力を発揮します。

  そのため、びわ葉温灸療法で、もぐさと共に圧力を加えて血行を促すと、酸素を補給すると共に血液を浄化してくれます。汚れた酸性の血液は、あらゆる病気の原因とも言われますが、ビタミンB17はこの酸性血液を、健康な体の持つ弱アルカリ性の血液に浄化する働きがあることが、すでに証明されています。
 
 
自然療法の参考書として有名な本ですので、是非購入して読んでいただくことをおすすめします。

 最近では高知医科大学が下記の様に発表されています。

ビワの種で肝機能改善 高知医大病院グループ解明
 2002年12月05日 高知新聞
 果物のビワの種から抽出したエキスに肝細胞の硬化(線維化)を防ぐ強い働きがあることが、高知医大付属病院薬剤部の
  「細胞の線維化メカニズムに関する研究グループ」(代表=西岡豊教授・薬剤部長)の研究で分かった。線維化を促進する
 活性酸素を抑える効果があるためで、エキスを投与した動物実験では1週間で肝機能が改善された。肝細胞の線維化は
 肝硬変や肝臓がんを引き起こす原因の一つといわれ、臨床研究での成果が期待される。西岡教授はこれらの成果を6日に
 高知市で開かれる「日本機能性食品医用学会」の発足記念講演会で報告する。

 西岡教授によると、ビワの種を使った研究は7、8年前から開始。種を丸ごと乾燥させてつぶし、アルコールなどでエキスを
 取り出した。

 エキスを遠心分離した結果、コレステロール溶解作用を持つリノール酸やリノレン酸、高脂血症の改善作用がある
 シトステロールなどの成分を確認した。

 また、薄めたエキスに試薬を入れて分析したところ、活性酸素を抑制する強い「抗酸化作用」も見られた。

 人為的に肝機能障害を起こさせたラットにエキスを投与する実験では、肝炎の指標になる血中のAST(旧称GOT)値
 やALT(同GPT)値、肝細胞の変化(肝線維化率)を分析。一週間後、エキスを投与したラットは非投与ラットに比べ、
 AST値が48%、ALT値で39%それぞれ改善し、肝線維化率も半減していることが分かった。

 西岡教授によると、ビワの種のエキスはアルコール性肝障害の治療などにも有効。効果は弱いが、高脂血症の予防や
 治療への効果も確認されているという。

 同教授は「人間への効能は臨床研究の段階だ。エキスの商品化は1―2年後に予定されている。
 幅広い医療分野に応用できるのではないか」と話している。