『食』
仏教では肉体と精神即ち「身心一如」といい、その身体を養う食を大切にします。
大宇宙の中で「地・水・火・風・空」の五大要素、即ち大地・水・太陽・風(空気)・空(虚空)が宿っているのは、この地球だけです。この五大要素によって生きとし生けるモノ一切が育んでいます。 私たち人間を含む生きとし生けるモノ一切の「食」は、と、問われますとそれは五大要素であると答えます。
この生きとし生けるモノ一切の中で「識(心)」を以ているのが唯一、人間なのです。
この要素を六大要素といいます。
人間の「食」の原点がこんなところにあります。
植物と動物
私たち人間の食料には一般に植物と動物が御座います。ところで植物は無限に近くありますが、動物は獲れば減っていくと考えます。動物食は有害であるということも一概には言えないと思います。
そこで、動物の食物ですが、唯、食べられるものといいましたが、実際は、そのものには動物が生きて行くのに必須で特殊な物質を包含しているものであるという条件がついています。すなわち、食べられるものなら何でもいいと云いきることは出来ないのであり、一般動物の食べていいものは、この条件に叶っている天然物そのままなのです。
そこで、われわれの生活の保証、即ち人間の「生きて行く」という最大の条件に、三つが考えられます。
その第一は生態の維持、生体を生存させるに役立つ物質。
第二にその生体のもつ生命を継続させるエネルギーを供給してくれる物質。
これらの働きをする物質を栄養物質といいます。
人類の食生活
食という文字を「人を良くする」と書きますが、一般動物が本能的生活をしているのに、唯いつ、人類のみは、そうではない。 文化とは人類のみ見られるもので、そのことは本来あるべき自然(じねん・人間も宇宙に実存する生きとし生けるモノの一員とする仏教的考え)から離れ、本来の自然を変更し、人間から見る自然(ネイチャー・西洋的考え)に歪ませた。
人類の食生活も、その基本は本能にあります。この本能は意思によって欲情となり、食欲として現出し暴威を振るうのです。
禅宗では精進料理、密教では自然(じねん)への感謝の料理を通しての生活。
食生活の享楽(きょうらく)
人類の食物の定義は、栄養物質の全てを包含していて、その栄養を保証するものであるばかりでなく、必ずその享楽面を満足させてくれるものでなければならないものとされている。
「こんなものなど食えるか」とはここから出る言葉である。
このようにわれわれの食べものは、一般動物のように簡単なものでなく、必ず諸種の食品を材料として作られ、且つこれらを享楽し得る工夫された調理がされなくてはいけない。
一般の動物には食品なるものはない。
人類の生活には食品なるものを考えなくてはならない。
食物と生命体の関係
植物は、自己の生活に必要な有機物質を無機物から合成するばかりでなく、同時に動物の栄養を保証する物質を作ってくれる。
そこで動物には右記のような無機質から有機質を合成する能力を与えられていないが、前述の原理によって動物は植物体から、その基本物質を消化によって作り出し、植物さえあれば動物の生活は可能だそうです。
享楽:快楽を味う。
その食物の種類によって、植物食をする動物、動物食をする動物があり、前者を菜食動物、果食動物、後者を肉食動物といい、両者併せる持つものを雑食あるいは混食動物という。
植物食をする動物は、消化器系は発達充実し、頭部に比し腹部が腹部発達(消化器を納める)して大きくなっているので三角形の形をしている。これは、植物食の消化には、その組織をなす細胞を包むセルローズの膜は直接消化することが出来ないので、咀嚼(しょしゃく)によって細胞を損傷させるか、さらにそれを溶解させるため細菌の援助を必要とするため、反芻(はんすう)し、盲腸などあり、さらに小腸などがある。
それに反し動物食を食する動物の行動は精悍(せいかん)そのものである。
体型は
反芻: 牛などが、一度のみこんだ食物を胃から再び口中に戻してかむこと。
咀嚼: 食物をかみ砕くこと。
しかし、動物食を食べる動物はその食物の動物を捕獲するのに相当の努力ばかりか常に流血を伴い獰猛(どうもう)である。混食動物は、この両者の特徴を併せ備えたものといえましょう。われわれ人間はこれに属するもので、消化器管も両者の中間にあることは、食生活上または食物について特に注意すべき点です。
人類の肉食と動物食の違い
動物の動物食を例にとって見ると、肉食獣といっても、その食物は肉だけを食べるのでない。猫がネズミを捕って食するのを見てわかるように、先ず腹部を食い破り、内臓を喰う、血をすすり、そのあとで肉を更に骨までかじるのであるという。これを肉食獣と呼ぶのは、全く的外れの呼び稱で、犬が肉食獣であるからと牛肉ばかり与えていたところ、何時までも大きく成長しないばかりか、脚腰も立たぬ哀れな子犬として死なせたという話があるそうです。
即ち肉には子犬を健全に育てるために必要な全てが包含されていないからです。
従って私たち人間の食物は栄養的に享楽的に料理に工夫が必要となる、これを再認識する事が非常に大切なことであります。
美食と粗食
人類の歴史で私たちの先人が残された文化を通して知り得ることは美術・建築・工芸・陶芸・食品、各文化において現在の技術を以ってしても先人に劣りはしないだろうか。
ぎんめしの白米飯に、美味な肉類を食する食事。口当たりがよく、大変美味しいが、栄養学的に見ますと酸性食品である上に大変栄養的に欠落しているのであります。
食物の献立はこのような点からも嗜好の面からも難しい問題があります。
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