果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

春の息吹蕗の薹の夕食

2010-02-26 13:12:28 | 手づくり品
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 先日、山に入って採った山菜蕗の薹を天婦羅に柿塩を振りかけ今夜の夕食のおかずにした。
淡くて仄かな香りの蕗の薹の天婦羅、牛蒡、人参、ニラ、小エビのかき揚げの天婦羅、鯵の天婦羅、さつま芋の天婦羅等最高に美味しい。
蕗の薹と畑ふきの成分分析表(文部科学省の食品データーベースより

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最高に美味しく、Naを取り過ぎない健康的な柿塩

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新わかめのお味噌汁

 

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みかん蒟蒻・根菜のサラダ

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生命の根源にデンプン質が自ずと糀が!

2010-02-20 16:01:59 | 手づくり品


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その歴史は鎌倉時代までさかのぼる!
、金山寺味噌は、お坊さんが考え出した、夏野菜を冬に食べるための保存食が起源です。金山寺味噌の始まりは、遙かに鎌倉時代までさかのぼります。
 建長元年(1249年)、僧、覚心(法燈国師)が中国(宋)に渡り修行のかたわら径山寺味噌の製法を習って、同六年帰国し、のち紀伊由良(現在の由良町)の興国寺を建立し、在山すること四十余年、その間が径山寺味噌の始源であると伝えられています。以来、750年にわたり金山寺味噌は変わらぬ手作りの加工法を今に伝えております。
これに使われる糀は米・麦・大豆の種が使われる。種は植物の生命の根源である。糀になる条件はデンプン質である事。
植物の生命の源泉は大地のミネラルを摂取する事に即ち植物の根っこが種に次ぐデンプン質である。
従って野菜の根、大根、人参、牛蒡、山芋、芋、等々で、デンプン質である。
魚類の卵等も、の輪鶏の卵もデンプン質であります。
近年は根菜が麹として焼酎等に利用されている。
果物や銀杏の等、全く糀として使われていない。
果物糀を使った金山寺味噌は果物風味と仄かな甘さが最高である。
母親に命を育む羊水がある。
昔から海水が全ての生物の源で羊水であると云われている。
人間を含む動物にとって塩分が命の源泉と云われて、動物園の動物に適切な塩分を摂取させねばならない。
大地の成分ビタミン、ミネラルが生物の命の源泉であります。
そして、果物に例えれば、命を育む種はデンプン質であり、その種を覆っている果樹の実は母親の羊水の様なものであって、デンプン質である。

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食料自給率を高めるご飯料理 (一)

2010-02-19 10:55:12 | 手づくり品
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食料自給率は何故下降したか?以前は沢庵、梅干しで美味しくご飯が食べられた。
お米の味まで分る美味しさがあった。主食(ご飯)と副食(おかず)の割合が主食が多かったが、豊かさと同時に副食(おかず)が多くなって主食の割合が下降した。
「食料自給率が下がってしまった原因の一つには、食生活の変化があるといわれています。
主食用の米は、ほぼ100%を自給していますが、日本人の食生活が、この米を主食としてしっかりとっていた食事から、自給率の低い肉・魚(副食)が充実したおかず中心の食事へ変化していること。
さらに、主食にも米(ご飯)が減り、自給率の低い小麦(パンやパスタ)が増加、原材料の多くを輸入に頼っている油を使った料理が増えるなどの食生活の洋風化も自給率を下げてきた一因ではないか?」と云われている。
ここで、考える為には
1.お米の成分分析表から栄養的に健康上非常に優れている事の再認識する事が大切である事。
2.副食にバランスした主食を美味しく食するための料理を考える事が重要です。
2-1.副食であるおかずにマッチしたご飯料理である事が絶対条件。
  2-1-1.炊き込みご飯と混ぜご飯、お寿司等ありますが、
        最も優れているのが混ぜご飯のレシピです。
  2-1-2.先ず、白米ご飯を美味しく炊く事が大切です。
  2-1-3.混ぜご飯にする具そのモノの風味や栄養素を活かす。
  2-1-4.具を焼いたり、湯がいたり、炒めたり等工夫する
今夜は簡単に出来、美味しい塩焼きサバを使った混ぜご飯を簡単に紹介します。
材料  お米             3合
    昆布             少々
    酒              少々
    塩              少々
    塩サバ(中)         片身
    ほうれん草          適量
    土生姜            適量
1.美味しいご飯を炊きあげて下さい(重要)
  お米。昆布、酒、塩を使います。
2.ほうれん草     塩茹で
3.塩サバ 焦げ目を余り付けずに焼いて下さい。
4.土生姜             千切り
写真のように混ぜて下さい! 美味しいご飯が完成。

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みかん蒟蒻根菜サラダ

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郷里の生家へ久しぶりに帰る

2010-02-15 14:21:43 | 先祖を訪ねて
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小学生時代に手作りの竹スキーで学校へ行き、竹スキー競技をした記憶が蘇る。
果物糀に取り組んで種々な果物の糀を検証していますが、田舎に柚子が生っている事を知り帰って来ました。
生家の襖絵が郷里のお寺雨錫寺(高野山真言宗・民族無形文化財「御田舞」)の襖絵と同じ絵師によって、同時期に書かれています。
これにはこの様な話があります。「昔、絵師が本来寺の仕事で本多で宿を貰っていたそうです。
 当時、本多に綺麗な娘があって、独身の絵師が恋心を描いて、その目的で、襖絵を描かせて下さい!寺の襖絵が完成してからと・・・。
 そのような訳で、寺の襖絵より我が生家の襖絵が綺麗です。・・・
 今も、寺の襖絵は御座います

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みかんコンニャクの作り方

2010-02-13 20:36:28 | 手づくり品
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久しぶりに果物コンニャクの中の「みかんコンニャク」を作りました。 
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1.材料
    みかん皮の粉末       37.5g
    コンニャク粉          75g
    水               2,000cc
    水                   250cc
    消石灰粉              6g
    塩             少々
作り方:
2.
 2-1.2000ccの水を沸かせる(50~60℃)大きい器に入れる。
 2-2.みかん皮の粉をお湯に入れ、良く混ぜる。
 2-3.コンニャク粉を上記(みかんの入った)のお湯の中へ入れ、良く混ぜる。     
     固くなりましたら、30分自然放置。
 2-4.別の容器に水250CCに消石灰、塩を入れ、良く掻き混ぜる。
 2-5.2-3の中に2-4を入れ手で良くコネながら混ぜる。
     暫く、混ぜると固くなる。
 2-6.好みの型にに入れ30分置く。
 2-7.大きい鍋に、たっぷりのお湯を沸かし2-6の型から外し、20分沸かす。     
 2-8.たっぷり冷たい水に出来上がりのコンニャクを入れて保存、時々水を換える。

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大西 誠君の受賞祝賀同窓会  其の一

2010-02-01 21:11:52 | イベント

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皆さん!お久しぶりです。24日に小中学校同窓生の大西 誠君が農水省の「農業技術の匠」受賞と三重県から「三重県の第三25回産業功労者表彰」、農業水産省から「平成21年度 農業技術の匠」を受賞、その祝いを三重県、和歌山県、奈良県の境界に有名な瀞八丁という渓谷が御座いますが、その傍の三重県側の渓谷、入鹿温泉「瀞流荘」で行われました.
出発のコース:
 有田市―有田川町金屋―田辺市龍神村―中辺路―本宮―熊野川宮井橋―入鹿温泉瀞流荘

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帰途コース:途中郷里へ墓参に立ち寄る
瀞流荘―熊野川宮井橋―本宮―中辺路―龍神温泉―高野龍神スカイラインー花園―郷里杉野原―有田川町金屋―有田市

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この機会に是非お話させて頂きたい事:
1.三重県、奈良県、和歌山県を有する紀伊半島は日本国土で最も大きい半島であります。
2.紀伊半島は海に囲まれた広大な面積は山林である事。
3.この少ない農地は気候に恵まれ、柑橘を中心とする果物栽培が多い。                                                                                                                     4
.このような環境の中で大西 誠君がご夫婦で築き上げて来ました農園を数字でご紹介したい。                                                 
5.株式会社金山パイロ ットファーム 代表取締役   柑橘栽培面積 88.4ha(89町)
                    個人経営    柑橘栽培面積  4ha   (4町歩) 
                     合計 栽培面積  92.4ha (93町歩)      
ジュース工場           
株式会社夢工房 (最新設備)         代表取締役
隣接する施設に「熊野倶楽部」(元々金山パイロットファーム敷地)           6.この紀伊半島で最も広大な紀伊半島で最大の農地を持つ農民が大西誠君であります。                                             7.ご夫婦ご家族共に目標を達成すべく苦難の努力中、奥さん地域の弱者の立場を理解し活動されて来た。その結果現在熊野市市議会議員(大西三春)として活躍されています。                                        8.近年、熊野市を含む三重県南牟婁郡が果樹を含む果物栽培が拡大され、和歌山等から移住者も多い。
近年厳しい果樹経営に次の新たなステップを歩む段階!
熊野市を含む南牟婁郡の果樹栽培の歴史を振り返りたい。           簡単に歴史を辿ってみますと75年前(1935)、当時三重県南牟婁郡は三重県の陸の孤島と云われました。県庁所在地津市から熊野に入るルートは         1. 陸上は熊野古道(伊勢路)で旧木本へ
2. 海上はルートは尾鷲港―木本港へ
        当時の国有鉄道の紀勢線
1. 新宮―木本間開通1940年(昭和15年)従って其れまでは新宮から徒歩又は車。
当に陸の孤島であった時代に大西 誠君のご尊父(故大西徳次郎)が青年時代に青年同志と共に熊野の将来を語り合った結果としてこの地方を柑橘の栽培地として適していると結論する。(有田地方の有田ミカンの栽培を研究し目標とされたと考える。)
1.旧神志山村へ柑橘紀南指導所を誘致し、当地の農家の青年達を育成する。  2. 当時、小生の亡父(本多舜二)が長崎県立柑橘指導所初代所長として勤務、農林省立園芸試験場長熊谷八十三・恩師から柑橘紀南指導所赴任の話あり、熊谷場長は情熱的、チャレンジ精神が豊かな方で熊野の皆さんの素晴らしい夢の実現に協力しませんかの要請を受け、亡父自身が村役場と電話での話し合いの上、
慶んでお引き受けする。
3. 長崎からの赴任は 長崎港―神戸港(上海丸)-天王寺―新宮――――神志山村(迎 の荷車で新宮から神志山へ)
4. 指導所の第一期生には大西 豊氏(大西誠君の長兄)、第二期生には今日文通を交わす中門森一氏、和歌山県みかん課課長を務めた屋敷  氏他に南牟婁郡全地域の村から農業の担い手になる優秀な青年達が巣立って行った。
5. 昭和18年になると第二次大戦も戦況が厳しく、村の青年、指導所卒業の青年達が戦地に旅立つ日々が増えて来る。
亡父は陸軍将校で軍人であった事もあり、毎朝6時に国旗掲揚に始まり、朝礼があり、小学一年生であった小生は官舎から亡父の自転車に乗せられ、指導所内での国旗掲揚に立ち会った記憶が思い出されました。
6. 亡父は南牟婁郡在郷軍人会福会長、満蒙開拓の父と云われた加藤寛治が開設した満蒙開拓内原訓練所(茨城県)臨時教員これらの業務の実績が戦後、軍人公職追放。