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開創通信   第一号

2012-05-22 18:48:07 | 高野山
 

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開創通信 第一号

高野山開創千二百年記念大法会

 
  

①中門再建進捗

 

 高野山開創に当たってお大師さまがまず仏塔建立を計画された壇上伽藍。その正面に設えられた高大な工事用素屋根内の現場で、十八本の白く輝くヒノキの柱群(高さ四・八㍍)が姿を見せています。伽藍への正門となる中門は、江戸時代後期のものが焼失して以来の再建となります。あと一千日余りに迫った千二百年記念大法会に向けてのメイン事業で、作業に当たる堂宮大工さんたちの士気もますます高まっています。

 

 この柱群は、前面に六本の柱列がずらりと並ぶ中門の下層に当たる部分です。鎌倉期の建長五(一二五三)年に完成して江戸中期まで伽藍を飾った第五期の中門がモデルです。今後、下層の上に組物、さらに上層、組物、屋根と順次造営が進められ、平成二十六年末には東西二十六㍍、南北十五㍍、高さ十六㍍の豪壮な入母屋造りの中門がその全貌を現します。

 

 

 

 

 

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現場を担う高野山建築協会長で尾上組社長の尾上恵治さんは「鎌倉期の仕事を受け継ぎ、三百年後まで伝える、そのつなぎ役としてのク冥利″をこの仕事中に何度も感じさせていただいています。自然石の礎石に重さ一トン近い柱すべてを一分の狂いなく建てられたことにも感動しております」と。開創法会事務局の近藤本淳局長も「百七十二年ぶりに我々真言僧侶の悲願が達成されるのは誠に喜ばしいことです」と話されました。

 今後、世界遺産であり、ご開創から千二百年を迎える高野山にとって「新しい顔」の誕生が待たれます。

 

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②「弘法大師の道」

 お大師さまが青年期に歩かれた吉野山から高野山への道を探り、地域振興につなごうというシンポジウムが二月二十六日、奈良県立橿原考古学研究所で開かれました。

お大師さまの著作『性霊集』 (巻九) には「少年ノ日」に吉野から南へ一日、西へ二日ほど山中を歩いて「高野」という「平原ノ幽地」に至ったという記述がみられます。後年、お大師さまが密教の修行と勉学に最適の環境として高野山を開かれたきっかけとなったことは明確であり、この「吉野・高野の道」こそ、高野山開創千二百年の原点と考えます。

 

 約二百人が参加したシンポジウムは「空海を育てた道吉野~高野」をテーマに、総本山金剛峯寺の村上保寿教学部長、金峯山寺の田中利典執行長、同研究所の菅谷文則所長が参加。ルートの復元では、村上部長の試案などに菅谷所長から考古学の視点も加えられ、吉野の比曾寺(現在の世尊寺)辺りを起点に金峯山寺や大天井ケ岳を経て西へ尾根筋をたどり高野山に至るコースが想定されました。

  今後、このシンポジュムの主催団体である「弘法大師 吉野・高野の道プロジェクト」実行委員会(村上委員長、事務局奈良県地域振興部南部振興課)が、沿線地域の再生・活性化に向けた具体的な取り組みなどを協議し、実現を目指します。

   本多碩峯 参与 77001-0042288-000

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いのり―生かせ いのち―

2012-05-16 21:07:25 | 高野山 座主
 

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いのりー生かせいのちー

高野山真言宗管長
総本山金剛峯寺座主
松長 有慶

三、現世の御利益(その1)
 お寺や神社にお参りすると、ずらりと御祈祷札が並べられているところがあります。そこには家内安全、商売繁盛、息災延命、病気平癒から始まって、受験合格、良縁成就など数十項目の祈願内容がそれぞれ印刷され、その下に各自の名前と年齢が書き込めるようになっています。
 日本人の日常生活上の身近な願望の数々が、これらの御祈祷札の中に込められているとみていいでしょう。だがこうした庶民のささやかな日常生活の願いを神仏の前で祈る行為を現世利益といって軽視する方がいます。
 確かに神社やお寺にお参りして、そこぼくのお賽銭を投げ入れて手を合わせて拝む、そのついでに御祈願も頼むという手軽な信心の方もいないわけではありません。
 けれども神社やお寺の本堂の前で、熱心に祈り続けている人もよく見かけます。時には素足になってお百度を踏んで何事かを祈っておられる方もおられます。このような方に出会った時には、その真撃な祈りの姿にこちらの方が胸打たれます。その必死に祈る姿を、一概に現世利益だといって頭から否定していい訳がありません。
 第二次世界大戦が終わって、日本が焼け野原から復興し始めた頃、雨後の竹の子と喩えられたように、沢山の新興宗教が続々と名乗りをあげました。そしてそれぞれの宗教が病気治しをはじめ数々の現世利益を掲げて布教に努めました。日本人全体が衣食住のいずれも極端に飢えていた時代でしたので、これらの宗教のほとんどは急激に教線を拡大しました。  一方、昭和二十年代から三十年代にかけては、西洋文化を無条件に礼賛し、合理主義的な思考が幅を利かせ、科学技術万能の趨勢(すうせい)が時代を風靡しておりました。この時期に日本の知識階級の人々からは、お大師さまの教え、真言密教も、あまたの新興宗教とそれほど区別されず、呪術的だ、前近代的の思想だと、漠然と軽視されるような風潮がありました。
 私たち真言宗の若者たちは悶々としながら、何とかこのような時代の趨勢を立て直したいと思いましたが、有効な手段は見つかりませんでした。私と同じく真言宗の僧侶で、学問を志していた友人の一人は、アメリカに留学し、アメリカ人の宗教、とくにカルトの研究を調査して、アメリカ人の宗教もまた当時日本で常識のように思われていた近代的、合理的、理性的な宗教とは限らないという報告を、私に寄せてくれました。
 またイエスの病気治しの事績の研究をしているプロテスタントのクリスチャンの友人と語りあい、キリスト教が現世利益にはまったくかかわらない、もっぱら心の問題だけを説く宗教だとする、敗戦直後の日本人の一般的な常識がどれほどいい加減なものであったかを知りました。
 このようにして、病気治しをはじめとする現世利益が、世界のほとんどの宗教の中でも、かなり重要な部門を占めるということに気づいたのです。                   (つづく)

     本多碩峯 参与 77001-0042288-000




葬儀について    その3

2012-05-08 13:16:51 | 高野山
 

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葬儀について  その3

 -仏教が取り組む葬儀の意味と意義-

  平成お年715日 在家仏教協会 札幌会場定期講演会講演より

  北海道深川市丸山寺住職 高畑 俊孝

 浄土真宗-浄土真宗の葬儀は仏式葬儀としては例外的といえます。最大の違いは死者を供養しないということです。その理由は二つあります。一つは、浄土真宗の門徒として阿弥陀仏を信じ念仏を唱えた者であれば、死と共に阿弥陀仏によって極楽浄土に迎え入れられているので、僧や遺族がお経を唱えで成仏を祈る必要がない理由。もう一つは浄土真宗では礼拝の対象はあくまも阿弥陀仏あって、死者ではないという理由。こうした態度を取るのは、他力本願という宗旨に忠実であろうとするためです。一切衆生は阿弥陀仏のご誓願によつて極楽浄土への往生が決まっているので、我々に出来ることは阿弥陀仏の名を唱える念仏によって感謝することだけだとされます。

読経念仏により往生させようとか、死者に引導を与えようとすることは、自力行なるので、避けられます。また民俗信仰的な行為も排されます。

それでは何の為に葬儀をするかといえば、故人の立場からいえば往生出来たことに感謝を表すためであり、葬儀を主導する導師は、故人に代わつて報謝の読経をするとされ、遺族や会葬者の立場からいえば、死は誰にも避けられない世の無常をに思いを致し、阿弥陀仏の救いの有り難さを再認識することだとされています。

禅 宗-現代葬儀の原型を作ったのは、禅宗の果たした役割が大きいと言えます。鎌倉、室町時代に禅宗の葬儀にて遺影や位牌が用いられるようになりました。他の宗派でも禅宗の葬儀の形を取り入れているものが多くあります。

禅宗の教えの根本は、日常の「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」行く、止まる、座る、寝る、全てが修行であり、その中に悟りがあると説きます。葬儀も例外でなく、「清規(しんぎ)」と呼ばれる修行規定の中に、次第作法が定められています。

禅宗の葬儀の特長は、授戒と引導にあります。
禅宗の葬儀では教理と儀礼が緊密こ結びついています。

僧の葬儀法を在家の人に応用するために没後作僧(ぼつさぞう)(死者に対して出家の儀礼を行うこと)の中で核となるのが受戒です。死者はこの儀礼を受けるより戒律を授かり、正式の仏弟子(出家者)になります。その証として戒名と血脈が与えられます。血脈とは教えが師から弟子へ脈々と伝わるこぞを血の流れにたとえたものです。「引導」は本来人々を仏教の教えに導いて、煩悩による苦しみから救うことを表す言葉です。これが葬儀の中心儀礼になっています。

 没後作僧において戒を授け僧にはしたが、それでは足りない。仏法の心髄を悟ってこそ「仏になる」ことが出来るとし、受戒と引導、言い換えると行と教え、この二面のコンビネーションで成仏へと導くのが禅宗の葬儀です。

日蓮宗-日蓮宗の葬儀の目的は、死者の霊を霊山浄土に導くこととされます。霊山とは霊鷲山の略で「法華経」に、我々の住む現世は実は浄土であり、その中心にそびえるのが霊鷲山で釈迦は今もそこで説法を続けていると言います。これが霊山浄土です。その浄土におもむいて釈迦に拝謁することを霊山往請(りょうぜんおうけい)といいます。
 この霊山往請(りようせんおうけい)の信仰は浄土信仰と本質的に異なる点があります。極楽は西方十万億土つまり現世とは違った世界である。それ故この生身ではいくことは出来ず、肉体を捨てた後阿弥陀の来迎をえていけることが出来る
 これに対して霊山浄土は凡夫には見えないもの、現世に現存しているものであるから、確固たる信心をもてば、今すぐに目にすることができのです。もちろん死後も迷いのもととなる肉を脱ぎ捨てれば、霊山の釈迦に直参できる。法華信者は間違いなく霊山浄土に赴けるというのが、日蓮宗の葬儀なのです。
 日蓮宗の葬儀のポイントは、お題目を唱え、法華経を読誦し、その功徳を生者 死者に分け与えることにあります。お題目が「妙戒」(すぐれた、不可思議な戒)で、それを信じ、保つことが基本であり、そこから葬儀式では唱題がそのまま戒を保ち、戒徳を回向することになります。 つづく

 

 

本多碩峯 参与 77001-0042288-000


先に懺悔  生かせ いのち

2012-05-06 15:15:42 | 高野山
 

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先に懺悔

 

 天野 高雄

  懺悔という言葉がありますが、仏前勤行次第の中には懺悔文と書かれています。西洋の映画などで、教会で懺悔をする人が謝っている場面を見ますが、子どもの頃、奇妙に思って師匠に聞いたことがあります。本当かどうかわかりませんが、仏教は行う前に反省するので「さんげ」、他の宗教では行った後に謝るから「ざんげ」と濁るのだと教えられました。行った後に謝る方が効率がいいではないかと思ったものでした。

 職になってしばらくたったある日の夕方、本堂に一人の少年が飛び込んできました。十三、四歳の見たことのない子で「助けてください」と言って泣き出します。誰かに追われている様子もなく、座らせて背中をボンボンと叩きながら般若心経を唱えていると少しずつ落ち着いてきました。話を聞くと、万引きをしそうになったと言うのです。したのかと聞くとしていないと言う。していないのならいいじゃないかと言うとまた泣き出す。よく聞いてみるとこんな理由でした。 近くのお店で、度胸試しのようなこともあったのでしょう、他愛のない物に手が伸びました。それをポケットに入れようとしたらドキドキしてきた。その瞬間頭に浮かんだのがおばあちゃんの姿だったそうです。その子の家にはおばあちゃんがいて、おじいちゃんが亡くなったあと幼い孫を膝に乗せて毎日おじいちゃんのために一生懸命拝んでいたそうです。子どもにはたくさんの疑問が湧きます。あれは何?これは何?それはどういう意味?思ったことをすぐに口にします。

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  おばあちゃんは、優しく丁寧に全部教えてくれたそうです。 不殺生とはものを殺してはいけないということ、不偸盗とは物を盗ってはいけないということ。「物を盗ったらどうしてだめなの?」と聞くと、おばあちゃんは「物を盗ったらお父さん、お母さんが悲しむ。物を盗ったらばあちゃんが悲しむ。物を盗ったら死んだじいちゃんが悲しむ。物を盗ったらお店の人が悲しむ。物を盗ったらあんたが悲しむ」と言ってくれたそうです。そして少しやんちゃになった頃にそのような事件に巻き込まれるのですが、手を伸ばした瞬間におばあちゃんの「不偸盗、不偸盗。盗んだらみんなが悲しむよ」という言葉が浮かび、手が止まって走って逃げたそうです。

 「やってから謝ればいいのでは」という疑問はその事件で一掃されました。物を盗る、盗らない、返せばいいという問題ではないのです。心に大きな傷ができるのです。不合理なようですが、幼児の頃から「しではいけない」と教えられたことが歯止めになるのだと思います。やってしまって、取り返しがつかないことになってから懺悔をしてもだめなのです。皆さまが毎日お唱えされる仏前勤行のときにそのことを思ってください。「弟子某甲尽未来際」とありますが、某甲とは誰の名前でもありません。皆さま各々のお名前が入るのです。それを踏まえた上でしっかりお勤めをして、このおばあちゃんのように次の世代に伝えていっていただけることをいます。

 

  ▽筆者は岡山県倉敷市   高裁寺の住職です。

   本多碩峯 参与 77001-0042288-000


いのり一生かせいのち   二、見えないもの(その3)

2012-05-01 15:07:27 | 高野山 座主
 

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二、見えないもの(その3

 高野山真言宗管長

 総本山金剛峯寺座主 松長 有慶

  昨年三月十一日、東日本の太平洋岸を襲った大地震と大津波、それに伴う福島の原発の爆発事故などにより、二万人近くの人命が失われました。テレビの映像を通じて、その悲惨な状況を知った私たちは、一人でも多くの人の命が助かって欲しいと、我を忘れて祈りました。

  数日たち被害の状況が明らかになると、これらの災害によって犠牲となられた膨大な数にのぼる方々の御霊安かれと今日まで祈り続けてきました。

  日頃、神仏に対して無関心な人たちも、この一年ほどの間は各種の会合の冒頭で取り上げられた、黙祷という儀礼に従った経儀をお持ちの方も少なくないはずです。

 「無自覚でも、人間は宗教的な行為を行っている。慰霊の場で、天に向かい死者に祈りをささげる、という行為は神仏ではなく人間を聖なるものととらえる人間崇拝が顕著になっている一つの表れだ」という三木英大阪国際大教授の意見(読売新聞、平成二十四年一月七日) に、私は違和感を持ちますが、現代の日本人の宗教観の一面を表わしているともいえます。

  慰霊の行事は亡くなった方の穏やかな成仏を祈るのが本来の目的であって、神仏の代わりに人間を尊崇しようとする儀礼ではありません。でもこうした考えは、三木教授だけではなく、現代社会に生きる一般の方々の宗教に対する共通の認識とみるべきでしょう。

  今回の東日本大震災を通じて、なんらかの宗教を信じる人も、無神論者を棟模する人にとっても、「祈り」という行為をどのように受け取るべきか、問題になっていることは確かです。

  大震災の後、現地にボランティアとして入り、被害者の心のケアに当たってこられたある宗教者が、被害を受けてこころの傷を負っている人びとに向かい合い、宗教者としてのペースで癒しに導くよりも、ただひたすらに聞き役に徹し、その方々の悩み苦しみを自分を超えた存在に渡していくことが必要だと語っておられます。

  復興のお手伝いをしながら被災者と語り合い、共に亡き人の冥福を祈りながら、こころの傷を目に見えぬ大自然の懐の中に繋いでいく、これも宗教者の被災者に対する祈りの一つのかたちかも知れません。

  改めて神社、仏閣に参拝し、祈願することがなくても、無自覚に漠然と抱く自己を超えたものとの繋がりの感覚と、先祖、神仏、世間に対して持つおかげ棟の念は平生、自らを無宗教と思っている人々の中にも存在します。

  それは「無自覚の宗教性」というべき心情で、この無自覚の宗教性が今回のような震災の時に一般の人たちの中に眠っていたものがフツと出てくるのではなかろうか(大阪大学稲場圭信准教授『宗教的利他主義』弘文堂、二十三年)と言われるのも、もっともなことです。

本多碩峯 参与 770001-42288