果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

覚海上人の七生譚

2011-10-25 14:13:59 | 高野山
 

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文学に見える高野山千二百年点描く 

 

 

覚海上人の七生譚

 

 高野山大学教授 下西 忠    

 

高野山増福院の門前に「覚海大徳翔天之菖跡」と大きな石碑がありますが、それは覚海が仏法の護持のため天狗になって、中門の扉を翼にして天に飛び去ったという伝説によって書かれたものです。高野に登山した谷崎潤一郎がこの伝説をもとに 『覚海上人天狗になる事』という小編を書き

 

ましたが、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』には、検校覚海が七度生まれ変わったという前生譚が書かれています。前生とは、この世の中に人間として生まれてくる以前に生を受けていた世の意で、前世のことをいいます。

 

覚海は貞応二年(一二二三)八月十七日、八十二歳で亡くなりました。武家が台頭し、保元の乱、平治の乱を通して平氏が実質上の政治的実権を貴族から奪い取ったいった時代、さらにその平氏が源頼朝に敗れ、西海の藻屑となり滅亡していった世の激動期を生きた人物でありました。また承久の乱の顛末(てんまつ)を見聞したであろうことを考えると、覚海は、ある意味で日本の大きな激動期にその生涯を生きたことになります。また彼の没年、貞応二年といえば、延慶本『平家物語』によれば、平氏の象徴ともいえる平清盛の女(むすめ)、建礼門院(高倉天皇中宮、安徳天皇母)が波瀾万丈の生涯を閉じた年でありました。

 

覚海は建保五年(一二一八)に高野山の検校になり、承久二年(一二二〇)検校の職を辞しました。高野山の検校までのぼりつめた覚海は、前生を知ろうと弘法大師に祈念したところ、大師は彼の七生、つまり天王寺の海の蛤(まぐり)であったのが、あるきっかけで犬となり、さらに牛、そして馬になって熊野詣をし、さらにすすんで最終的に高野の検校になっているのだと告げたというのです。舎利讃歎の声、誦経(じゅきょう)、念仏、陀羅尼なんどの声を聞くたびに転生していったというのです。天王寺から熊野、そして高野というルートはさまざまな想像をかきたてますが、ここでは紙面の都合ではぶくことにします。

 

天仁三年(二一〇)大安寺で行われた百数十日間の法談を記した『百坐法談聞書抄』に悪業のみつくる男の前生譚が伝わっています。閻魔王の前に連れていかれた男は、法華経を読んだ功徳でもって現在僧侶となつていると答えると、閻魔王はこの男の七生の先の事を知らなかったと恥じて、いよいよ仏法を修行せよと帰したという話があります。何事においても結縁は空しからずということでありましょうか。

 

 

 

 

 

 

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加行への道       修行僧の手記

2011-10-24 14:26:07 | 高野山
 

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 修行僧の手記 高野山専修学院物語~その七~

 加行への道

  愛媛宗務支所下 龍岡寺住職

                           渡部 悠弘

 二〇〇八年七月二十四日(木)

 

私達が、春からの僧堂生活を始めて三カ月ほどが経過した。そして第一学期の総まとめである期末の試験が行われる。しかし試験が始まるからといって、当然そのための時間が与えられる訳ではない。普段通りの生活を淡々と過ごしながら、自分で予習の時間を作っていく。いつもと変わらずに、仏さまと向き合いながらの生活の中で、それぞれの思いを胸にして時が過ぎ去っていく。そしてこの日、三日間の試験を終えて一学期が終了する。その後約二週間の間、我々はそれぞれ自坊へ戻り、忙しい〝お盆″の時期の加勢をするのだ。

 この僅かな休暇を終えると、いよいよ真言僧侶の必須の行。百日間の「四度加行」が始まる。ここまでの修行生活が厳しく抑制されたものであったのは間違いない。しかしひと度「加行」が始まれば、規制は更に強まることになる。時間制限付きで使用可能だった寮の公衆電話も撤去され、更に新聞など外界からの情報も一切断ち切られる。週に一度の買い出しの外出もなくなる。生活必要品は、斑でまとめて頼む形で購入し、徹底して厳しくチェックされる。このように加行の間の規律は完全に強化されるのだそのため加行を目前に控え、道場内には一種独特の緊張感が漂い出す物々しい雰囲気の中、どんな事が待っているのか解らないまま、私はただその時を迎えるしかないのだ。

  数日前のことだ。朝のお勤めの時に誰かが先生に注意されていた。どうやら、読経の時の態度が怠惰な感じだったからだ。両手に持つ経本の位置も低く、アクビをしながら疲れている様子だったらしい。先生が注意する内容を聴いていて、大体の察しはついた。いつもなら激しい口調で指導されそうなものだが、何故かその時は声を荒げる訳でもなく、落ち着いた静かな冷たい声色で「君達のその読経の態度は正しいと思うか?決して経文を粗末に扱ってはいかん」。そう、諭されたのだ。

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 我々が専修学院での僧堂生活を始めて三カ月。

 私達は一体何のために修行をしているのだろうか。自坊の跡目を継ぐためだろうか?ほとんどの人間がそうだろう。自分自身の精神を鍛えるために?自らの人生を見つめ直すために?そんな者もいるのかもしれない。しかし、実はそれはほんの表面的なもので、我々が求めなければならないのは、そのずっと奥に在るもの、そう、お大師さまが命を懸けてお誓いなされた「衆生済度」の実践であり、微力ながらもお大師さまの御願にお応えするその姿勢である。

  これから「加行」に入れば、ひたすら目の前の本尊さまと向き合う行に徹することになる。それは即ち自分自身の内面奥津くに対時することに他ならない。しかしそうして突き詰めた先には、再びその心を人々へ向ける行が待っている。普段の周りの仲間達と関わる生活も、「加行」 での個々での修行も、別々に見えて実はその奥で繋がっている。つまりお経に記される一旬一旬の文字の旬義を捉え、大切にお唱えするということこそが「加行の道」 への最初の一歩として重要な歩みとなるものだと感じたのだった。

                               合掌

        参与770001-4228(本多碩峯)


台風十二号 災害ボランティア活動を実施 高野山高等学校

2011-10-22 18:43:15 | 高野山
 

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台風十二号 災害ボランティア活動を実施

 高野山高等学校ではこの度の台風十二号による被害に対し、岡部観栄学校長指揮下、校内において災害ボランティア隊を結成。平成二十三年九月十日(土)、和歌山県東牟婁郡古座川町でボランティア活動を実施した。

 今回参加した隊員二十名(男子生徒八名、女子生徒五名、教職員七名)は十日、午前六時にマイクロバスで学校を出発。龍神スカイラインが今回の台風による土砂崩れで通行禁止のため、花坂から海南に抜け、紀伊半島を直下、一路古座川町に向かった。古座川町は串本のすぐ南に位置し、古座川は全国でも有名あさな清流。

 ボランティア隊は午前十一時、古座川町ボランティアセンター本部がある古座川町中央公民館に到着。関係者の皆さまから歓迎のお言葉をいただいた。昼食後、すぐに今回作業する高瀬グランド(若者広場)に移動。担当者のご説明によると、グラウンドを囲む金網(約三m)の高さまで水が押し寄せたという。近くにある老人ホームも民家も一階が浸水。ボートで避難したとのこと。想像を絶する光景。お年寄りもおられ、どれだけ怖かったろうか。グラウンドの入口付近には各ご家庭からだされたか家財道具やごみ等が山積みになっており、処分の手も間に合わず、そのままになっている。

 今回の任務はグラウンドの傍にあるクラブハウスと倉庫の片づけ。泥にまみれた備品を全て外に出し、屋内を清掃し乾かす。真夏を思わせる炎天下、皆黙々と活動し、午後三時に予定の作業が完了した。本部に戻り、作業終了の報告。午後四時、皆さまの温かい笑顔にお見送りいただきながら帰途についた。ほんの三時間程の作業だったが、如何に過酷であったかは、帰路の車中の静けさが物語っていた。

 しかし、現地では明日からも作業は続く。かなりの長期戦が予定される。皆さまのご健康と、日本有数の景勝地として名高い古座川町に一刻でも早く戻られることを心から祈りたい。

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以下に、今回のボランティアに参加した生徒たちの感想をお伝えします。

自分の目で見て驚く     宗教科三年 金尾 采花

 TVでは被災地の映像を見ていましたが、自分の目で直接見て、言葉になりませんでした。女子は若者広場にある、クラブハウスの清掃を担当しましたが、浸水で壁や天井がボロボロで、床には泥や水が溜まっていました。

 今回は、一つの部屋だけに集中したので、床もきれいになりましたが、天井はいつ落ちてもおかしくない状態です。地元の皆さんは本当に大変な思いをされています。

被災された人たちに教えられ      宗教科三年   鈴木 透馬

 自分は、今回初めて「被災地」という場所にボランティア活動に行きました。現場はどのようになっているのか、被害はどれぐらいなのか、いろいろなことが頭をよぎりました。いよいよ作業場所に到着し、倉庫の片づけを担当しました。中はすべて水浸しでした。片づけをしながら、「台風十二号でこんなにたくさんの被害が出ているのなら、東日本ではどれだけの被害が出ているのだろうか」と改めて自然災害の恐怖をしりました。

 しかし、そんな中でも気付いたのは、被災された人たちの姿です。一番辛い思いをされているはずなのに、くじけず、前に進んでいく姿を見て、僕も頑張らなければと思いました。今回、このボランティアに参加できて、学ぶことが多くありました。

 

 復興のご苦労を知る   宗教科三年   桑原 良碩

 今までテレビでしか見たことがない。被災地に行き、お手伝いするという貴重な体験をさせていただきました。 

 思ったことは、やはり、その場でしか分らないようなことがたくさんあり、皆さんが復興のためどれだけご苦労されているかが分りました。少しでもお手伝いができて良かったです。

 

 人のお役に立ちたい     普通科三年  桝田  岳

 私が今回ボランティアに参加したのは、何か人の役に立ちたいからでした。一人でも多くの人を助けてあげたい。じっとしていられない。東日本大震災が起こった時、私は本当に心が重苦しかったです。僕が行けば、何人かの人が少しでも早く助かるかもしれないのに。ですから、担任の先生から今回のボランティアのお話を聞き、すぐに参加を決意しました。

  現地の方々は、大変な被害を受けているのに、ほとんどの人が笑顔で迎えて下さいました。心の強い人たちだなと思いました。作業は本当に大変でしたが、ボランティアセンターの方に「助かったよ、ありがとう」と言って頂き、またこのような機会があれば、参加して、少しでもお役に立ちたいと思いました。

 

普通の生活に感謝       宗教科一年 片山 雅夫

 

 台風十二号の被災地に行かせていただき、思ったことは、自分がいかに恵まれているか、普通の生活に感謝しなくてはならないということです。これまで、いつも自分は普通の生活に不満をもっていました。ですが、被災地の状況を見た時、自分がいかに恵まれているかということに気付きました。

  これからは毎日の生活に感謝し、積極的にボランティアをしたいと思いました。

 

自然の怖さを初めて知る       普通科一年 阪口 和博

   ボランティアに行かせて頂いて思ったことの一つは、僕らにできることはわずかであるというここです。倒壊した家のが往きの撤去等を想像していましたが、実際にできにのは、倉庫の整理だけしした。三時間半ほどの仕業でしたが本当に大変でした。次に行くことがもしあれば、もっと動いて、被災した人達のお役に立ちたいと思います。

   二つ目に思ったことは、ゴミの量と臭いです。木の破片やタンス、機械本など、様々な物が捨てられて、山のようになっていました。それを見て、僕は自然の怖さを初めて知りました。近くには普通の住居や介護施設などがあり、大量のガレキから出る臭いの中で毎日暮らすのは本当に大変なことだと思いました。

  僕達は今回、倉庫の整理しかお手伝いできませんでしたが、少しでも、ほんの少しでもお役にたてるよう心がけたいです。

                     参与770001-4228(本多碩峯)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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仏の世界  生かせ いのち

2011-10-19 11:42:23 | 高野山
 

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仏の世界           生かせ いのち 

 

                    古武隆善(大分県中津市 弘法寺 住職)

 障害者ふれあいサマーキャンプに当時小学校三年生の息子を連れて参加したことがあります。今まで障害者と関わったことがない息子が、変な目で見ないだろうか、妙な言動を発しないだろうか。いろいろなことが頭に浮かび、とても不安でした。

 現地に着くと、地元の大人、子ども、障害者とその付き添いの方、そしてレクリエーションボランティアの方がいました。年齢もさまざまで、幼時から長年者まで幅広い層でした。たくさんのゲームをして、みんなが一つになり、たくさんの笑いがあり、大変楽しい時間を過ごさせてもらいました。なかでも一番うれしかったのは、息子が何のこだわりもなく障害者の人たちの中に入りこみ、楽しく遊び、お話していたことでした。

 私にも同じような思い出があります。小学校三年生から春休みを利用して、自坊の団体でお四国を各県ずつ四年間かけてお参りしました。

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そのとき、大学生のお姉さんと一緒でした。、お姉さんは小さい頃の高熱が原因で、足と手と言語に障害をもっていました。話すのが少し不自由でしたが、とてもやさしく、ユーモアたっぷりの方でした。私はお姉さんにべったりついて手をつないでお参りを続けました。やさしいお姉さんができたことがうれしく、お姉さんの障害についてはまったく考えも感じもしていませんでした。

 しかし、高学年になったとき、お姉さんに寄せられる人の目が気になるようになりました。今までお姉さんの障害のことを深く考えていなかった私ですが、お姉さんと一緒にいたら私も同じだと思われると思い、お姉さんの手を振りほどいて先にどんどん歩き、言葉も交わさなくなったことを覚えています。心の中ではいけないとわかっているのですが、道行く大人たちの視線がとても痛く、お姉さんを無視するようになりました。「私とお姉さんは違うんだ。私はちゃんとしゃべれるし、走ることだってできるんだ」。

 私とは違う、それが差別なのです。何日間かお姉さんを無視して離れて歩きました。しかし、お姉さんはいつもと変わらぬ笑顔で接してくれました。何事もなかったように接してくれたお姉さんに、涙の出る思いと、幼い頃の切ない思いでが残りました。

 子どもの目には本来、差別というものはないのです。それはすべて大人が作り出したものです。お大師さんのお言葉の中に「生きとし生けるものの本体は、本来仏と同じ徳を備えて差別のあるものではない。このことを悟らないために衆生は長く苦しみ、このことを悟る諸仏は永久に安泰である」とあります。

 子供は大人より仏に近いかもしれません。障害者ふれあいサマーキャンプを見て、高齢者、成人、子供、障害者が一つになり、共に生き楽しんでいる姿こそ本来あるべき姿だと思いました。これがお大師さまのいう、すべてが仏と同じ徳を備えていて、差別のないことをを悟る仏の世界です。すべての人がともに認め合う仏の世界をつくってまいりましょう。                                      

          参与770001-4228(本多碩峯)

 

 


創造こそ我が人生

2011-10-18 17:42:58 | 日記・エッセイ・コラム
 
創造こそ我が人生           

                   本多碩峯(果物食品加工アドバイザー)76歳
                   この記事は平成13年9月1日発行の「観音たより」より転載

 

創造こそわが人生

 

 わが宇宙に地・水・火・風・空が育まれ、一切の生命があらわれ、そして進化して六大「地・水・火・風・空・識」が育まれて、人間がいろいろなことをして今日に至っております。この事は実は非常に大きな創造力を発現して来ていることを前号で申し上げましたが、昨今、日産自動車のカルコス・ゴーン社長の改革、小泉首相の改革という言葉が新鮮なものとして私たちの心に刻まれています。この改革も創造力そのものであります。何物にも妨げるものの無い本当の自由が存在して本当の創造力が生まれます。そうあることを祈念する。

 

 ある記者がカルコス・ゴーン社長は『今一番困っていることは何ですか』と問いかけたところ『それは言葉です。日本語です。日本語はたいへん難しいので、仲々覚えられません』と笑いながらの返答であった。彼は、コミュニケーションを最も大事だと思っている。心と心が通じ合えば、どんな難しい大きな問題でも解決できるのだと言っています。 

  

 創造力はアナログ思考

 

 今や人間の生活の根源を司る「衣・食・住」の科学の進歩に驚きすら感じます。日本人の平均寿命が世界一になったとか。これらの事を手放しで喜べないことも事実であり

 

ます。これらの原因はマイクロコンピューターの飛躍的な開発も一つであります。業界は益々高度な投資が行われる事でしょう。

 

 ところで、誤解してはならない重要な事は、これらのコンピューターの発達によって、このコンピューターが新技術を発見するとか、次ぎから次ぎへ新しいアイディアが生ま

 

れるとか、理論の世界で次々と新学説が見出されるなどとは期待できないわけであります。

 

 出来ない理由の一番大きいのは、図形認識力、パターン認識が人間の知能に比べお話にならない位コンピューターは貧弱であるということです。

 

 私たちが科学史、技術史を振り返って人間の頭脳活動というものの決定的重要性を認めないわけにゆきません。史実による偉大な着想というようなものが生まれるときには、諺、比喩、あるいはアナロジー(類推)という言葉で呼ばれている思考が重大な役割を果たしております。

 

 つまり一見漠然とした情報処理としての、図形認識力が中心になっているのです。

 

 私自身、造船所時代の防衛庁水中兵器の半導体回路を応用した近代兵器としての開発に従事した経験、初期の電子ばかりの開発の経験からその開発・研究過程で、最初にディテイル(詳細)から入るのでなく、まず推測、推論という形をとるのですが、これが比喩、形容的即ち人間知能によるパターン認識です。

 

 日本文化の俳句、短歌、川柳等がアナロジーであり人間知能のパターン認識を象徴するそのものです。

 

 この事がコンピューターに無い人間だけが育んでいる最も尊い創造性であります。

 

 昨今の社会秩序の欠如を反省するに私たちの先人が生み出し育んできた俳句や短歌や書道や茶道、華道、精神面では柔道等、 優れた思考が生かされない環境が創り出していると考えるのです。

 

柔道などはオリンピック種目に採用されて以来、本来の「道」の精神の習得が重んじられない現状をさびしく思う一人です。

 

 特に剣道の「剣禅一致・剣禅一如」が正にそうであります。不動明王の左手にクサリ、右手に剣をもった姿、決して生身の身体を縛るものでなく、生身の身体を傷をつける剣でありません。誰でも持った煩悩を縛り、剣で刺す姿が不動明王です。そのような精神的パターン認識が剣道の醍醐味だと思います。

 

 この様な人間の優れた感情状態の表現が大切です。たとえば「春風が頬をなぜる」というような言葉を一つをとってみても、これを文字通りに解釈しますと、大変おかしいことがわかります。風が頬っぺをなぜるというようなことはどう考えても精神分裂症的な発想です。

 

 しかし、よく考えますと、表現として、形容として、比喩としてこれは大変な意味があるのです。古来、人に対して強い説得力をもたれてきた人々は、さかんにこの比喩を使っています。仏教界の僧侶をはじめ、カトリックの神父さんでも、能力の高い政治家、能力の高い企業経営者も、およそ人々に説得性の高い話をしなければならない条件下にある人々は必ずといっていいほど比喩を使っていることを再認識しましょう。今日の生活の周辺が携帯電話、パソコン、家電等のデジタルの恩恵に授かるあまり、日常生活に比喩的発想やアナログ思考を幾らでも利用できる事を忘れている。一九五五年代に数学者の岡 潔先生(当和歌山県橋本市出身)が普段の脳の訓練にテレビの漫画が最も優れていると語っていた事を思い出す。遊びの世界にも重大な創造的発想に関連をもった原理が含まれているのかもしれない。

 

 

  お釈迦さまの創造

 

 お釈迦さまは、今から二千五百七十年前、インドのヒマラヤの南麓ガピラ城に一国の皇太子としてお生まれになりました。

 

 この世の中に人間としてお生まれになると、すぐさま六歩半お歩きになって「天上天下唯我独尊」とお叫びになったと伝えられる。

 

 人間が生まれてすぐこんな言葉を叫ぶはずが無い。先ほど学びましたように比喩として重要な意味があるのです。

 

 六歩歩くということは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻の迷いの世界を半歩踏み出されて、人間苦から脱皮していることを物語っているのです。

 

誤った考えとして「天にも地にも我れ独り尊し」を自分ほど、えらい者はいないんだ。自分こそ世の中を統括する指導者であると。これは誤りです。

 

 実は天上天下とは自分の上、自分の下、すなわち全宇宙ということです。全宇宙のいのちと恵みを一身に受けて、只今ひとりの人間として生まれさせていただいた嬉しさ、素晴らしさ、尊さをお叫びになったのです。

 

 人間として生まれてこそ、世のために働ける。よくぞ人間に生まれて来たものだと、天地宇宙の生命に感謝のお言葉を放ったのです。

 

 これは何もお釈迦さま独りのことを言ったのではない。この世の中に一人ひとり、人間としての身体と生命を持って生まれてくる私たち人間すべて、お釈迦さまと同じ唯我独尊の尊い人間であり、仏の子であることを表しています。

 

 

  初心に帰る

 

 関西で最も早くマイクロコンピューターのシステム機器の製作会社を創立上場準、備段階に入って倒産、微力ながら希望と夢に築いてきた無くしたくない、名誉、ヒト・モノ・カネの一切を失い、その上、人様に迷惑を残して、半年後に懺悔と感謝の四国八十八ヶ所徒歩巡拝に出発する。

 

 十一番札所焼山寺の遍路庵で宿とした時、翌朝、眼下に見える朝日を礼拝しながら走馬灯の如く幼少の頃を涙して思いにふけり、感謝と懺悔の中に四国遍路の素晴らしさに感動、「天上天下唯我独尊」と帰りくる山彦に耳を澄まして心に頂き山を下りる。

 

   合掌    

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                  参与770001-4228(本多碩峯)

 

 


合掌        いかせ いのち

2011-10-03 14:42:41 | 高野山
 

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合 掌       福岡県糟屋郡   切幡寺 住職  藪 ?史
 近頃は合掌する機会が減ってきたようです。お仏壇のない家庭の子どもにいつ手を合わせたかを尋ねると、食事のときに「いただきます」と手を合わせたと言います。また、食事のときにも手を合わせない子どももいて驚きました。核家族が増え、親類付き合いも少なくく、冠婚葬祭にも顔を出さず、手を合わすことがないのです。
 合掌はインドに端を発した、相手を敬う方法の一つです。もともとは恭順の意味で、敵意がない、争う意思がないということから、自我を慎み敬うべき神仏に祈るときはもとより、森羅万象に手を合わせ感謝してきました。仏教では、右手は仏さまを示し聖なる働きを表し、左手は凡夫衆生を示し自分を表します。手を合わすことで仏さまと自分が一体になることや、仏さまに帰依する心を示す行いとなるのです。また、他人に向かって行う合掌は仏心を持って相手に深い尊敬の念を表しているのです。
 合掌の種類にさまざまありますが、最も一般的な、手の平をぴったり合わせ指をまっすぐに伸ばし、素直でいつわりのない心を表現する「堅実心合掌」や、掌をつけず蕾のように手を合わせ、いつか花開く仏心を保っている状態を表現する「虚心合掌」、指を少し開き、右親指が上がるように交互に組み合わせ、より強い仏さまとの一体感、揺るぎない心で祈りを表現した「金剛合掌」がよく知られているところです。

 

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 こうした祈り、感謝、仏心の表れである合掌の姿が見られない世の中は感謝のない世の中だと言えます。感謝のない世の中は満たされない世の中であり、欲望に満ちた安らぎのない世界でもあります。安らぎのない世界で私たちは病み、癒されることもなく日々生きていくのです。お腹が痛くなったときすぐにできる治療は、痛い患部に手を当てることです。これが手当の始まりです。手の平には不思議な力があると言われますが、仏さまと一体になる合掌の姿は、傷つきやすい心を仏さまに手当していただいているのです。
 合掌の姿が見られないということは、拠り所をなくした状態だと危惧されてなりません。冬の寒空の中で道端の石仏に手を合わせてみて下さい。冷たい風にさらされ指先までかじかんできます。しかし、仏さまと一体になった掌はほのかな温もりを保ち続けることでしょう。私たちの日々の暮らしも世間の荒波にもまれ、身も心も冷え切ってしまうこともあるかと思います。しかし、仏さまと共にある人生ならば、きっと心に温もりを残すはずです。
 自分を見失わない前に、冷め切ってしまわない前に、合掌の心と姿を取り戻していただきたいと心よりお願い申し上げます。高野山高野山大師教会の大講堂には「相互供養、相互礼拝」と掲げられています。お互いに拝み合える世の中が仏さまの世界、幸せな世の中であることを示しているのです。拝み、拝まれ、癒し、癒される世界を、今のあなたから広げていただきたいとお願いいたします。
 手を合わす心におわす仏さま。   


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有王と納骨    文学に見える高野山千二百年点描

2011-10-02 22:06:48 | 高野山
 

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文学に見える高野山千二百年点描

有王と納骨       高野山高等学校教諭  山本 七重

 歌謡曲に「骨まで愛して」という曲がありますが、学生時代のコンパの時、この曲を「骨(こつ)まで愛して」と呼んだ学生がいました。もちろん当の本人は知らずに読んだのですが、「少し深イイ、読み方だなあ」と感心したのを覚えています。
 さて、日本人と骨や納骨についての関わりや信仰は大変古く、文学作品でいいますと奈良時代に成立した「万葉集」に、骨を散葬にした歌が詠まれているほか、その他の説話集などにも様々な形で骨や納骨の話が描かれています。
 その中で、高野山と納骨といえば、『平家物語』に有王の説話があります。この有王の話とは、平家打倒の謀議が発覚して、鬼ヶ島に流され非業の死を遂げた俊寛の遺骨を、忠臣であった有王が首にかけ高野山に登山納骨し、自らは蓮華谷の法師となって諸国行脚を行い俊寛の後世を弔った、というものです。
 この俊寛が鬼界ヶ島に流された話は、歌舞伎や菊池寛の小説などでも描かれており、悲劇の主人公として人々の涙をさそってきましたが、有王が俊寛の骨を高野山に納める話自体は、高野山への納骨信仰が根底にあります。
 高野山について考えるとき、どうしても外せない問題の一つに納骨信仰が全国的に広まったのは鎌倉時代であり、有名な工や聖の活動によるところが大きいといわれています。
 なお、物語の中で有王は蓮華谷の法師となったとありますが、この蓮華谷とは高野山の一の橋口付近にあった高野聖の拠点であり、高野聖はそこから地方に赴き勧進・勧化の活動や、唱導による鎮魂(供養)、高野山への納骨の風習など広める役割を担っていました。
 この有王と俊寛の説話は、西日本を中心として各地に分布しており、多くのお墓や史跡が残っています。これは、有王や高野聖たちがこの話を各地に語り、高野山への結縁や納骨を勧めた証拠であり、多くの名もなき高野聖たちの活動に感慨を覚えます。
                                           合掌                                                         

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