五観の偈(二)
岐阜県のある中学校の校長先生を勤められた方から、次のような話をお聞きしまし
た。
新しく赴任した中学校は生徒間同士が非常に荒れており、当初大変なところにご縁
新しく赴任した中学校は生徒間同士が非常に荒れており、当初大変なところにご縁
があったものだと思ったそうですが、なぜ荒れているのかを調査するため、子どもた
ち一人ひとりの家庭での生活状況について細かくアンケートをとったそうです。その
結果、荒れている子の九割の家庭で、朝食を食べずに登校していたことがわかりまし
た。そのため少しのことで切れやすく、イライラした心が静かに聴き入る心を妨げ、
授業ができないのではないかと考えました。
校長先生は学校をあげて、必ず朝食をとらせて登校させるように親たちに懇願し、
校長先生は学校をあげて、必ず朝食をとらせて登校させるように親たちに懇願し、
毎朝、子どもたちに朝食をとったかどうかを確認する運動を展開したところ、市内で
一番荒れていた中学校が本来の学校の姿に戻ったとおうかがいし、改めて食育の大切
さを痛感しました。
そこで仏教が食事の心の大切さを示す「五観(ごかん)の偈(げ)」についてお話
そこで仏教が食事の心の大切さを示す「五観(ごかん)の偈(げ)」についてお話
ししたいと思います。
私たちは、修行中、食事をする前に食事(じきじ)作法をしますが、そのなかで、
私たちは、修行中、食事をする前に食事(じきじ)作法をしますが、そのなかで、
五観の偈という五つの項目を一つひとつを声を出して読み上げます。心を観想し(心
を落ち着け)、
項目の内容に心をめぐらせ、偈文(真実の言葉)を読むのです。私が修行中は、若さ
もあってか早く食事作法を済ませ温かいものを食べたいと思う心が先に立ったもので
す。この年になり当時のことを反省していますが、今改めてこの内容の重要さを再認
識させられています。
その第一項は、「一(ひとつ)には功(こう)の多少を計り彼(か)の来処(らい
その第一項は、「一(ひとつ)には功(こう)の多少を計り彼(か)の来処(らい
しょ)を量れ」といいます。
感じ、この食べ物がどこからどのようにして来たかを感じて食べなさいということで
す。
私たちは日頃何も考えずに食事をしていますが、今食べようとしているこの食材を
私たちは日頃何も考えずに食事をしていますが、今食べようとしているこの食材を
考えてみると、まず天地の恵みがあり、野菜が作られた生産者の苦労があり、魚なら
その魚を獲るために大海に船を出し、命がけで漁業を営んでいる猟師さんたちの苦労
があります。そして、食材を日夜運送している流通関係の人たちの苦労があり、次に
小売店やスーパーなどで商いをしている人たちの苦労あり、その食材を買ってきて料
理して下さった家族の労を得て、ようやく私たちは食することができるのです。しか
も、食材の動物、植物の命をありがたくいただいて生かされているのです。
そのご恩に対し、食する前に合掌し「いただきます」と感謝の心を表すことが、今
そのご恩に対し、食する前に合掌し「いただきます」と感謝の心を表すことが、今
までの日本人としての謙虚な姿だったと思います。しかし、人間の欲望にかられた物
質文明ばかりを追い求め、お金さえあれば何でも自由に手にすることができる今日、
多くの目に見えない力によって「生かされている」という大切な心を忘れてしまって
いるように思います。もし感謝の心を忘れていたとお感じになられましたら、今日か
らぜひ、実践して下さい。
南無大師遍照金剛
南無大師遍照金剛
岐阜県中津川市寶心寺 住職 星島 光雅
参与770001-4228
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