果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

食 育 の 心  「生かせ いのち」

2011-08-20 16:42:50 | 高野山

Koyasan_sinpo

     食 育 の 心

Hoshijima01_3星 島 光 雅(岐阜県中津川市 寶心寺 住職)

 私たちの社会では、生命の尊さを無視した親子による殺傷事件をはじめ、青少年によるきわめて重大な事件が頻発しています。なぜこのような社会になったのかを考えてみたとき、私は、戦後教育のなかに何か欠けていたものがあったことも  

 その一つは食育であり、もう一つは、正しい宗教教育を学校でも家庭でもおこなわれなかったことが一番の原因だと考えています。食育というと数年前、法律のなかに食育に関する基本項が制定されましたが、私は以前、食育について考えさせられたことがあります。 

 平成十二年の秋、初めて米国・シアトル高野山別院で記念行事であり、渡米したときのことです。当時、米国は平成十一年九月十一日に起こったアルカイダによるニューヨーク商工ビル爆破j事件のあとで、ものものしい警戒態勢のなかロサンゼルス経由で行きました。ロサンゼルス空港に到着した時間がお昼だったため、昼食をとるためにあるレストランを訪れたときのことです。

  アメリカ人の若い家族が、私たちの隣のテーブルに着かれました。食事をとりながら、何気なく隣のテーブルに目をやったときのことでした。可愛らしいブロンズ色の髪をした小学生と思われる女のお子さんと中学生と思われる男の子を連れ添った四人のご家族の食事前の動作を見て、私はハァと考えさせられました。 

 食事前にきちんと座り、キリスト教式と思われる合掌をし、感謝の祈りを捧げ、それから食事を始めました。

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  私はこの姿を見たときに、今、日本人が一番忘れている大切な姿ではないかと 以来、いろいろな機会に、参加者の皆さんに「食事をする前に家族みんなで合掌し、感謝の心を表してから食事をされている方は手を挙げえてください」とお聞きしましたが、どの会場に行ってもほとんど手が挙がりません。老いも若きも関係なくです。日本人はいつからこんな状況になってしまったのでしょうか。 

 私が生まれた岐阜県の田舎の寺では、当時、箱膳という家族一人ひとりのお膳があり、その前で必ず簡単な食事作法をしてから食したものでした。檀家のさんのどこのご家庭でもあたり前の姿でした。先日あるテレビ番組を見ていますと、ある県の小学校の担任の先生が子供たちに向かって、「君たちは給食費を払って食事をとっているのだから、何も手を合わせることをしなくていい』と指導されているとの話を聞き、ごく稀なケースとはいえ、教育者もここまで地におちたのかと唖然としました。

  人が生きるために、食は欠くことのできない行為です。仏教は食を大切な修行の一つと捉え、五観の偈という教えのなかにしめされています。あなたのご家庭では食事をする前に合掌し、感謝の心を表してから食事をされていますか。もし我が家では感謝の心を忘れていたというならば、今日の食事からぜひ始めてください。その美しい姿が品格を育てます。 

                           南無大師遍照金剛


 参与770001-4228(本多碩峯) 






高野を詠んだ名歌

2011-08-16 12:50:19 | 高野山


文学に見える高野山千二百年点描

高野を詠んだ名歌 高野山大学教授 下西 忠

 1258年に亡くなった歌人に藤原智家(ふじわらともか)という人がおりました。内裏でおこなわれたある歌合において次の和歌を詠みました。歌合とは、参加者を左右に分けて提出された和歌一首ずつ組合せその優劣を競う遊戯です。歌人の名誉がかかっていますから歌人はたいへんです。負けた人は悔しさのあまり、何も口にすることができずその後死んだといいます。昔の歌人は和歌に「いのち」をかけていました。

 昔思ふたかのゝ山の深き夜に暁とほめする月かげ

 この歌合は衆議判といいまして、和歌の優劣の決定を参加歌人の多数でおこなうもので、きまらないときには判者が裁定したこともありました。歌人でもあった順徳天皇は、この歌人を大いに称賛しました。智家は天皇からご褒美の厚紙をもらいましたが、畏れ多くも自分で使うことはできないと判断しました。そして住吉神社に御幣として奉納しようと考えて退出したというのです。このはなしは鎌倉時代の『古今和歌集』という説話集に載っています。ところで天皇はどういうところを賞賛したのか。もちろん和歌はすばらしさにあることはいうまでもありません。歌中の「昔思ふ」は、弘法大師の事跡を思うの意味です。ここでは特に大師入定の昔を想起しています。「ふかき夜」は、含蓄のある表現です。表面の意味のほかに人間の煩悩の深さを暗示していると考えられます。「暁」も同様で、弥勒菩薩出征の暁を暗示していると考えるのが妥当でしょう。釈迦入滅後五十六億七千万年後に弥勒菩薩が出現し、龍華下で三度法会を開き、一切衆生を済度なさる時、大師もともにこの世にふたたび現れるというのです。

 大師の入定と弥勒菩薩の下生(げじょう)とか結びつけられて詠まれています。知家はもちろん順徳天皇までもが、大師の弥勒信仰の知識を知っていたということになります。知家は、歌合の題「古寺の月の心」の古寺を高野に設定し、その高野の美しく澄んだ月を詠みました。月のはるか向こうに大師の姿をながめて詠んだのでしょう。まさにお手柄というべきでしょう。

 

      参与770001-4228(本多碩峯


利益はご利益から     「生かせ  いのち」

2011-08-14 17:11:19 | 高野山
 
 Koyasan_sinpo
利益はご利益から   藪 崇史(福岡県糟屋郡 切幡寺 住職) 
 いつの時代も利潤を追求するのが経営組織の本質であるといわれるように、利益を生み出さなければ企業の存在意義は有り得ないと思われます。どの企業も利益のことをやかましく言い、利益追求のためにさまざまな工夫をしています。しかし、利益追求についての考え方には違いがあり、その違いによって利益そのものも違った性格を持ってくるようになります。
 この考え方には大きく分けて二つあり、一つは自分の利益、もう一つは人の利益です。利益の上に御をつけると「ごりやく」とよみます。利益とはもともと仏教語であり、本来は「りやく」と読みます。この言葉は経典の中にあり「成仏する、救われる」というのが本当の意味です。ですから、現世利益というと生きたまま成仏する一仏になる、という意味になるのです。この利益(りやく)がいつの間にか日本 

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の経済用語に取り入れられ「儲け」という意味に使われ利益(りえき)を上げる、金儲けといった意味合いに使われるようになったのですが、本当は人を救う、世のためになる。成仏すると意味が正しいのです。

 経済という言葉も「経世済民」という言葉を略したもので、世の中を治め人々を救うというのが本来の意味なのです。会社に例えると、利益を追求することはお客さまを救う、お客さまの利益になるように努力することが、お客さま、すなわち神さま仏さまですから、結果として会社にご利益をくださる、救われるということになるのです。自分の利益ばかりを考え、こうすればああすればこれだけの利益があるといった姿勢では逆効果というものです。相手のことを考えてどのようにすれば役立つのか、喜ばれるのかを思い、努力の結果が利益として残される。こうした思いが明るい世の経済、利益のあり方ではないでしょうか。

 現在、社会において仏さまの示される本来の意味は忘れられ、意味を取り違え都合の良い解釈は仏道どころか道徳をも捨て去り、おのれの利潤のみに執着し、我も人をも卑しめ疑心に満ちた安らぎのない世界をもたらしつつあります。騙し騙され、裏切り裏切られる世界に本当の利益がもたらされることはありません。偽善でもなく理想論でもなく、他を利すること、他人に利益を施すことから始まる豊かな社会が今の世なればこそ必要であり、現代を生きる私達の忘れてはならない生き方だと思うのです。

 お大師さまは、「善人の用心は、他を先とし己を後にす」と示されています。すなわち本当に悟れる者、幸せを得られる者は自分のことばかり考えず、人のことを思える人であるのです。皆さまが目にする仏前勤行次第のお勤めの最後に「回向の文」といって「願わくはこの功徳をもってあまねく一切に及ぼし、われらと衆生とみなともに仏道を成ぜん」とあります。

 自分の功徳を多くの方に向けて分かち合う尊い祈りの偈文です。心の豊かさから生まれる幸せを見逃してはいませんか。

 皆さまも時折、日々の暮らしの中で自分自身に「今の自分はどうか」と問いかけてみていただきたいと思います。心豊かな日々をお祈り申し上げます。

          参与770001-4228(本多碩峯

 

 

 

 

 


藤原道長の高野山参拝

2011-08-05 13:51:19 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

文学に見える高野山千二百年点描
藤原道長の高野山参拝

高野山高等学校教諭 山本 七重

 平安時代に書かれた藤原道長(996~1027)を主人公とした歴史物語に『栄華物語(えいがものがたり)』があり、その中に道長の高野山参拝の話が描かれています。

 道長といえば、摂関政治の代表的な人物として日本史の教科書にも必ず、登場し、栄耀栄華を詠んだ。

 この世をばわが世と思う望月の欠けたることもなしと思えばという歌は有名です。

 この「この世をば・・・・・・・」の歌が詠まれたのは、道長五十三歳のことで、政治家として頂点を極め、この世の中で思い通りにならないことが何もない絶対的な権力者としての姿をこの歌は表現しています。

 され、この有名な和歌を詠んだ四年後の治安三年(1023)に道長は高野山に参拝し、奥之院で法要等を行いました。                                           
 『栄華物語』には、この参詣の様子について、道長が奥之院について、道長が奥之院において弘法大師のご入定の様子を覗き見ると、「髪は青々として、衣は色鮮やかであり、ご入定から百八十年も立っているというのに、まるで眠っておられるようだ」(意訳)と、描かれています。
 この記述から、既にこの『栄華物語』が書かれた頃には弘法大師に対する入定信仰が広まっていたことが理解されます。
 なお、当時の高野山参拝は大変困難を伴う旅であり、多くの随行とともに京都を出発、奈良を経て、麓の政所(まんどころ)(現在の慈尊院の一部)からは、道長も徒歩で高野山まで登りました。高野山への参詣については、どのような高い身分の人であっても、登りに関しては必ず徒歩でなければならなかったようで(帰りは輿(こし)に乗っても良い)、上皇や法皇でも輿にはのらず時間を掛けて歩いたことが古書にのこされています。
 なぜ高野山へ登山が徒歩でなければならなかったかといえば、それは高野山に登るのは修行であるという意識と、減罪の意味が含まれており、苦行により罪が清められて清浄になると考えられていたからです。この思想を端的にあらわしたものが「一度参詣高野山、無始の罪障道中滅(ざいしょうどうちゅうめつ)」という言葉で、仏の浄土である高野山に徒歩で一度でも参詣すれば、どのような罪も生滅し救われるという信仰です。
 昔は、如何なる身分の人であっても必ず徒歩で高野山に参詣したという事実を尊いと思うとともに、高野山や弘法大師に対する信仰がいかに深いものであったかを感じさせられます。
 なお余談ながら、ここに取り上げませんでしたが」、この『栄華物語』には道長が弘法大師や聖徳太子の生まれ変わりだった、などといった奇想天外なエピソードも描かれています。
                                                    合掌

Fujihara__michinaga
                       参与770001-4228(本多碩峯

高野山高等学校教諭 山本 七重

同行二人

2011-08-04 21:10:08 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

同行二人

Yabu_jushoku01藪 崇史(福岡県糟屋郡 切幡寺 住職)

お遍路さんの背中に書かれている「南無大師遍照金剛」と「同行二人」の文字を見ると、「いつも大師と二人連れ」「いつも大師は見てござる」「わが心にも大師の心」といった言葉が浮かびます。古くから霊地、聖地への巡礼は、信仰深い人々にとってはさらに信仰を深める修行であり拠りどころでした。しかし、今とは違い、奥深い山道に分け入り底知れぬ谷を渡って巡礼の旅は容易なことではなかったはずです。事実、多くの巡礼者は家族と別れの杯交わして、白装束すなわち死装束に身を包み死を覚悟して旅に出しました。
 お遍路さんは、「南無大師遍照金剛」と「同行二人」の文字を頭や背にいただき、お大師さまと一緒だから心細いことは何もないと信じて感謝をし、お大師さまは善きこと悪しきこと全て見通しておられると懺悔反省し、常にわれを戒めお大師さまを見習おうと自分にできる善行、施しをして徳を積んだのです。何と深い祈りでしょうか。
 近頃はこうした心がけの人が少なくなり、学ぶべき仏の教えを学ばず、進むべき仏の道を進まず加護を乞う。お大師さまや多くのみ仏が救いの手を差し伸べてくださっても、曇った目や心で気付かず、逆恨みといった悪循環さえ起こります。「世の幸不幸はわが心による」とお大師さまはおっしゃっています。
 自坊は篠栗新四国霊場という福岡県の山あいにある霊場の一寺院で、日々多くのお遍路さんが訪れます。不思議な体験を目の当たりにすることも多いのですが、同時に、仏さまとともに生きることによる心の目覚めに多く出会えます。

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交通事故で片足に障害を抱えたある少年は「何のための祈りか」という問いに、お礼参りだと答えてくれました。本当に辛いとき、悲しいときもあった。時に人から指された笑われることもあった。でも、両親と霊場を巡っていると、父と母の思いがひしひしと伝わり、祖父母の心配、友達の優しさに包まれ、たくさんの人に恵まれ守られていることに気付けた。自分の体が自分だけのものではなく授かった尊いものだと思えるようになった。事故のお陰で人の痛みがわかるようになり、前より少し優しくなれた。今の僕は本当に有り難く、特別に修行させてもらっている。
 澄みきった瞳には何の惨めさもなく、力強さを覚えました。ご両親は目に涙を浮かべながら、私たちもお礼参りですと微笑んでくれました。辛いことも多かったでしょう。しかし家族に支えられ仏さまとともに歩む人生は、無くしたものより得ることの方が多いことを教えてくれました。
 お大師さまとともにまことの祈りの中で生きる彼らの心は、強く広く深く豊かです。仏とともに歩む人生とは、仏さまの心をわが心とすることです。お大師さまの心をわが心にいただき生きるならば、たとえどのような逆境に突き落とされても必ずそこに、一筋の光明が差すことでしょう。まことの同行二人のこころでお祈りいただき、真の幸せをお探し下さい。

          参与770001-4228(本多碩峯)