いのり-生かせ いのち-
高野山其膏宗管長
総本山金剛峯寺座主 松長 有慶
二、見えないもの(その2)
私たちの祈りは、仏壇や神棚の前だけであるとは限りません。その前に仏像や神殿がなくても、手を合わせ祈ることがよくあります。
肉親の住む故郷の地に、地震や火事、大きな災害などが起こったと耳にした時など、普段の仕事が手につかず、テレビの前で思わず合掌して親や兄弟の無事をお祈りすることもありましょう。
自身が生命の危機に瀕した時、ところかまわず「神さま、仏さま、助けてください」と念ずる時もあります。
私は第二次世界大戦の末期に、中学の三年生から軍需工場に動員されて働いていました。その頃、アメリカの戦闘機に至近距離から狙われて、命を落としかけたことがあります。バリバリという機銃掃射の音が止み、まだ生きている、助かったと思った時、「南無大師遍照金剛」と必死で御宝号をお唱えしていた自分にハッと気がつきました。その途端に泣き出し、そして笑い出していました。
助かったと思ったので、気が凄んで涙がドッとあふれたのかもしれません。またお寺に生まれながら、若気のてらいもあり、平生あまり手を合わせたことのなかったのに、あわや自分のいのちが、という時には、お大師さまに助けてくださいと夢中でお祈りしていた自分がとても滑稽になって、笑い出したのかもしれません。若者の至らなさとはこういうものでしょうか。
人間はもともと弱いものです。どのような人でも、人間の能力を超えた大きな力に襲いかかられた時、沈着冷静にその危機に対処できるでしょうか。どんなに強がりを言っている人でも、つね日頃、自分自身の理性に対して絶対の信頼を寄せている人でも、あわやという時に心の中だけでも祈らない人がいるとは、どうしても考えられません。
ご本人は神仏の前で手をあわせているのではないので、宗教とは関係ないと思っておられるかも知れません。
でも先にも申しましたように、人間が祈るという行為をとる時には、仏さまや神さまの前でお祈りする時でも、間接的にその背後に潜む大きな自然の力や、目に見えぬ真実なるものに祈っているのです。
世の中には、自分の目に見えぬ、耳に聞こえぬものなどもともと存在しない、信じないという人も少なくありません。でも最近のことで言えば、放射能などの化学物質は、人間の目に見えず、耳に聞こえないけれど、確実に存在し、人間や動植物に大きな影響を与えています。
最近の宇宙物理学では、われわれが現実世界で見たり開いたりできるものは、大宇宙全体のわずか四%に過ぎない。あとの九六%は人間の知覚の及ばぬ暗黒の物質と暗黒のエネルギーだといわれます。たとい私たちの感覚で直接捉えられなくても、大自然の中には人間の想像をはるかに超えた、とてつもなく巨大な力が存在することは間違いありません。
本多碩峯 参与 770001-42288
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