果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

鯛の塩釜焼き   オーブン利用

2011-12-30 22:52:28 | 果物加工食品
 
鯛の塩釜焼き  オーブンを使いました。
              鯛が少し大きく、苦労しています。
原料       塩(1.5Kg)
          渋柿エキス(渋柿を抽出した甘いエキスです)

Img_6233_4
塩に柿エキスを入れたところ(良く混ぜ合わせて下さい)

 

Img_6234_8

更に塩を引いて下さい。

Img_6235_22

 

Img_6236
オーブン 200℃  1時間

Img_6246

鯛の塩釜焼き完成!

Img_6235_20

Img_6235_19


みかん餅と柿餅

2011-12-30 17:52:33 | 果物加工食品
 
例年お正月が近づくと我が家はお節にもお料理に工夫します。

みかん餅と柿餅に其々のピューレを使ってお餅をこしらえました。
「みかん餅」
先ず、餅米を水に浸し、水を切って、みかんピューレと混合します。

Img_6225

出来上がったみかん餅

Img_6226
「柿餅」

Img_6222_4

みかん餅にも柿餅にもお砂糖を少々入れましたので、あまり硬くならず、我が家むきです。


人間みな宇宙産業の人財である   

2011-12-25 12:41:20 | 日記・エッセイ・コラム

 

人間みな宇宙産業の人財である

 

 

 

 

 この記事は平成11年7月1日発行「観音たより」(発行人:本多碩峯)より掲載

 

「利益を上げられないのは罪悪だ」というのは、松下電器産業の創業者、故松下幸之助氏の持論だった。これは単に「もうけろ」と言っているわけではない。ヒト、モノ、カネの大切な経営資源を社会から預かって、赤字を出すような経営者は、社会に損害を与えている。企業を「公器」ととらえて、それを生かせない経営者は、経営資源を社会に返せという厳しい倫理観が背景にある。

 

 松下幸之助は昭和七年経営の悩みを相談に天理教を訪れ大勢の信者が勤労奉仕に明るく働く姿を見て衝撃を受ける。自分の会社の社員は暗い顔をして働いているのに、彼らはなんであんな明るい顔をして喜喜として働いているんだろう、と。そこで幸之助は気が付いた「儲けるとは信者と書く」と。社員とは信者であり、ここに社員の明るく働く原点があると考えた。

  それが松下流の「会社主義」が生まれ、先ず最初に、昭和十二年高野山に支那事変で死んだ社員の為にお墓を建立して今日の繁栄の基礎を作った。 

 明治に近代化西欧化へまっしぐらに進んで今日に至った。

 

 その中に明治の思想家、岡倉天心人物像に触れる機会があった。

明治維新の流れと異なり日本の仏教美術を通して日本文化を重んじ、インドや中国を旅行しアジアの連帯の重要性を提唱し大東亜共栄圏の思想を願った。後米国ボストンに渡り天心はボストン美術館の東洋部長として日本の美術作品収集に当たった。

  近代化や西欧化にひた走った明治期の日本で天心は孤立してしまった。けれども時流の大勢に流されないスケールの大きな生き方の非常に魅力的な人 物」と今日評価されている。私達は経験したあの「大東亜共栄圏」とは非なるものである。 

若し自心を知るは即ち仏心を知るなり。

 

仏心を知るは即ち衆生の心を知るなり。

 

三心平等なりと知るは即ち大覚(だいかく)と名づく。

 

大覚を得んと欲(おも)はば、当 に諸仏自証の教えを学す応じ。      性霊集「空海全集第六巻」より

 

 企業の倫理観や国家の近代化に伝統文化を重んじる自心が他人や他国を尊重する仏心に通ずる事になる。 

 米国の経営学者ピーター・ドラッカーと日本報道記者との会話の中で「孫は今、十五歳。コンピューターが好きでね。朝から晩までそればかり。我々の世代は車に熱中したが、今はコンピューターなんだね。

 日本の十五歳はどうしている? やはり、受験勉強だろうか」と淡々と語ったとか、今日、米国人が日本の将来を案じているからかもしれない。 

 現在、日本の産業は全体で約三割の雇用と設備と債務の過剰を抱えていると言う。 

今こそ人の幸せを創造する活力を育むチャンス(有餘涅)であると確信するのであります。                       合掌

 

報恩感謝  生かせ いのち

2011-12-24 19:26:08 | 高野山
 

Koyasan_sinpo_2

報恩感謝   吉武 隆書(大分県中津市 弘法寺 住職)
 お大師さまは何時も、「親の恩」についてお説きになっておられます。
恩を知り、恩に感謝し、恩に報いる。
 元バレーボール選手の川合俊一さんが、あるテレビ番組に出ていたときのことです。司会者が一つの段ボール箱を持ってきました。川合さんは中を見ると照れくさそうに笑いました。中にはお米やさつまいもや果物、そして手作りの餃子の具と皮が入っていたのです。
それは川合さんのお母さんからの荷物でした。恥ずかしそうに、そしてうれしそうに話されていた様子がとても印象的でした。それを見て、私はどこも同じだなあと思いました。そして数年前のことを思い出したのです。
 当時私は、大分県の自坊を離れ高野山に家族と住んでいました。そのときによく母が、お米やお供え物の野菜などを送ってきてくれました。「お茶菓子をいっぱいもらってあるからどう?果物はある?」と電話をくれては送ってくれました。あるときは「キャベツをいっぱいもらったから子どものお菓子と一緒に送ったよ。でも宅配の人がクまたか″って笑うね」という電話があり、次の日荷物が届きました。宅配便のお兄さんがやってきて、「大分からまた荷物です。いつもこんなに送ってもらって有難いですね」と言いました。 有難いl一家にある物を送ってきてくれるだけ、と思っていた私には忘れていた言葉でした。その日、荷物が届いた報告の電話をかけると、父が出て「いつもお母さんが一生懸命に荷造りをしているよ。汁が出ないかとか、入っているものが傷まないかとか気を遣っているみたいだよ」と言いました。その言葉が追い討ちをかけるように、当たり前だと思幸感謝の気持ちを忘れていた自分を、つくづく恥ずかしく思いました。「荷物が着いたからね」という言葉は出ても、「有難う」と心から言ったことはありませんでした。


 

Img003_2
 お大師さまは「報恩感謝」ということをお説きになっておられます。私は仏門に入りながら報恩感謝の感謝という部分を忘れていました。今では宅配便のお兄さんの言ってくれた「有難いね」という言葉を「有難う」にかえて言っております。
 お大師さまは「性霊集」の中にこう説かれています。「我々が生まれ、我々が育つのは親の恩である。親の恩は高い天よりも高く、厚い地面よりも厚い。我々が身を粉にしても報いきれるものではない」。親は子を思い、報いを期待せずあらゆる愛情を注いでくれます。
しかし子は、親の愛は当たり前だと思っているところがあります。また、育ててもらったことは忘れて都合の良いときだけ親子であり、親に経済的能力がなくなれば見離す例も多くなっています。
 思い返してください。私たちはどうやって生まれ、どうやって育ってきましたか。今まで父母に対して感謝し、それに報いたことがありますか。
もう一度親の恩を思い返し感謝の気持ちを表してください。難しいことはありません。いつ何時でも「有難う」という言葉を言うことです。そしてそれに合掌をつけてください。心から合掌し「有難う」という言葉は、何にも勝る親に対しての一番の報恩になるのです。

  本多碩峯 参与 770001-42288




曼陀羅の心  生か せいのち

2011-12-02 20:05:52 | 高野山
 

Koyasan_sinpo_2
 

曼荼羅の心 

             吉武 隆善 (大分県中津市 弘法寺の住職)

 もみじの季節になりました。私が住んでいる大分県耶馬漢(やばけい)は、全国的にももみじがきれいなところです。以前、私は高野山に住んでいましたが、大門から少し東に行った伽藍の手前のもみじは、オレンジと黄色が混ざったような色が朝日に反射して心が純真になるような色でした。テレビで見た嵐山のもみじは、それは鮮明な赤色でした。所が変わればもみじの色もいろいろと変わるものだなあと、つくづく感心しました。しかし、それもやがて落ち葉となって散ってしまいます。実に無常であります。

 「無常」とは仏教用語で、この世の万物は常に消滅流転してはかないものだ、という意味です。このように日常生活の中に溶け込んでいる仏教用語がたくさんあります。たとえば「精進する」とは、読んで字のごとし、精を出して進んでいくと いうことです。つまり、目的に向かって努力するといった意味です。また、「方便」という言葉もよくロにします。嘘も方便のように使いますが、方法を便利に使うというと ころから方法や手段のことを言います。止むを得ず嘘をつくことがあって も、それは相手のことを考える方法や手段の中で 嘘をついたということになるのです。

Img003

 「因果」という言葉もよく耳にします。これも読んで字のごとし、原因があって結果があるということです。もみじは夏の間は青い葉ですが、太陽の光と秋の朝夕の冷え込み、雨の量などの原因をもらって、その結果赤くなるということです。ですから高野山のもみじはオレンジがかった色でしょうし、嵐山のもみじは鮮やかな赤、耶馬渓のもみじは真紅なのでしょう。そのもみじのどれがすばらしいか。好みはあっても、どれが良いかは言えないでしょう。

  私たち人間はどうでしょうか。私たちはみんな父親と母親から生まれてきます。父と母が結婚するという原因があって、その結果私たちは生まれてきます。また父や母やほかの家族にいろいろな育て方をされてきたと思います。家族構成もいろいろでしょう。だから十人十色といって、それぞれの顔、容姿、性格を持っています。そんな中で誰がすばらしい、誰が劣っているということがあるでしょうか。みんな違うからそれでいいのです。

 

 皆さんは曼荼羅をご覧になったことがありますか。曼荼羅には実にたくさんの仏さまが描かれています。優しいお顔をした如来から菩薩、また憤怒相の怖い顔をした明王や天、近くで見ると本当にさまざまな仏さまが描かれています。そんなたくさんの仏さまが入り混じって、調和と秩序を表し、私たちに安らぎをもたらせてくれます。曼荼羅は大日如来を中心にして、内に外に上に下にとお互いに供養しあう仏の世界を表しています。相互に札拝し、供養する尊厳な関係があります。

  いろいろな個性をもった私たちが、この曼荼羅のようにお互いを相互礼拝し相互供養すれば、この世が曼荼羅の世界、密厳国土の世界になるのです。それがお大師さまの願いです。一人ひとりが個性を生かしながら、曼荼羅のような世界をつくっていきたいものです。

参与770001-4228(本多碩峯)

 

 



 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 


今、よみがえる『中門』  大いなる御誓願の追想

2011-12-02 16:40:50 | 高野山
 

Shinpo04
 

 

今、よみがえる『中門』

 

          ~大いなる御誓願の追想

        高野山開創千二百年記念大法会事務局

 

金剛峯寺が管理する森林は、二千ヘクタール(大阪ドーム約六百個分)もの広大な面積に及びます。

Nakamon_zai_1
 この度、八期中門の再建工事に用いられる木材は、この森林から産出した樹木を用います。このうち、主な用材であるヒノキは、樹齢三百年から四百年生のもので、 幹廻りは二メートル以上にも及ぶ見事な大径木です。

Nakamon_zai_2

 これらの優良なヒノキを産出する森林は、数知れない大師末徒のお力添えによって、先人が植樹、間伐など、適正な森林監理を行うことによって、育まれたのです。そして、私達の時代の中門再建工事に使うことが出来たのです。

  樹木は伐採された時点で、植物としての生命は終わりますが、育まれた土地で建造物となることで、千年以上存在し続けることが可能です。

  まさに樹木は形を変えて、「活かされて、生きていく」と言い換えることができるのではないでしょうか。

Nakamon_zai_3_2

 しかし、優良な木材、優れた建築技術、そして大師未徒の思いだけでは、再建された中門は末永く存在することはできません。

 個々の建造物には、それにまつわる文化があります。そして、その文化を守ってきた要因があります。
 高野山の場合、周囲を取り巻く自然、特に森林が存在したからこそ、真言密教という宗教文化が今日まで伝わり、私達大師未徒がお大師さまのみ教えに触れることが出来たのです。

  「密教文化の継承」と「森林の保全」は、これらを共に行っていくことが「高野山を守っていくこと」、つまりは「お大師さまのみ教えを後世に伝えていくこと」、ひいては「再建される中門を末永く後世に伝えていくこと」となるのです。

 お大師さまのみ教えには、「共利群生」という言葉があります。この言葉は、自然と人とがバランスを保ちながら、調和し、共に存在していくという意味です。

 平成二十七年の「高野山間創千二百年記念大法会」は、まさに「共利群生」を今一度考え、省みる絶好の機会であり、「中門再建」は、そのシンボルなのです。                            (TS

参与770001-4228(本多碩峯)

 

 

 

 

 

Nakamon_zai_3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一年を振り返って         高野山新報

2011-12-02 12:26:17 | 高野山
 

Koyasan_sinpo
 

一年を振り返って

 総本山金剛峯寺執行長

 高野山真言宗宗務総長

                       庄 野 光 

 

Matsunaga_kancho

 

Ichinen_furikaeri_2
 

本年は災害の多い年でありました。三月十一日発災の東日本大震災にはじまり、台風六号・十二号・十五号の来襲、極地的な集中豪雨などにより各地で大被害を被りました。さらに、福島第一原子力発電所の事故による放射能の拡散という事態まで発生しました。

  本宗におきましては、大震災発生当日に災害対策本部を立ち上げ、現地へ担当者を派遣し被害調査にあたり、援助物資の配付に着手しました。一方で、全国の寺院教会に義捕・支援金の拠出を依頼し、被災地の自治体、関係宗団へその金員をお届けし、被災した寺院教会へ復興助成金の配布をいたしました。現在は、宗教家の使命である「心のケア」を中心とした料援活動に取り組み、足湯隊による傾聴ボランティアと森林セラピー活動を続けています。

 資金を提供していただき、かつ地道で献身的な救援・支援活動を続けていただいている皆様方に衷心より敬意を表し、感謝申し上げます。

 明るい出来事もありました。三年後に迎えます「高野山開創千二百年記念大法会」の最大の事業であります「中門再建」の地鎮祭を七月十五日に松長有慶座主・管長現下のお導師のもと厳修いたし、いよいよ再建に着手いたしました。

 明春には法要日程を確定し、いよいよ実動体制に入ります。

 大法会の気運を盛り上げるために、事業内容につきまして、随時各部門より情報を発信して参ります。

  国際交流におきましても成果をあげることができました。

 念願でありました米国における現地法人の資格を取得することが出来ました。これによりまして、停滞気味でありましたアメリカにおける国際布教の宣揚に道筋がつけられることになります。

 高野山大学創立百二十五年記念事業として、ダライ・ラマ法王十四世のご来山を得ました。講演・対話をはじめ、チベット密教金剛界マンダラ港頂を開蓮していただき、感動と感銘を多くの参加者に体感いただきました。

 また「日本イタリア文化交流記念大会」が大師教会大講堂におきまして大々的に開催されたとともに、管長祝下の名代として四之宮東京別院主監を団長とする、声明・雅楽団がフィレンツェ・ヴエツキオ宮殿で公演し、ヴァチカンを表敬訪問をいたし、イタリアとの国際交流を深めて参ります。

 読者各位には、なお一層の宗・本の護持・興隆のためのご協力を懇請申し上げますとともに、新しい年が輝かしいものでありますようお祈り申し上げます。      合掌 

参与770001-4228(本多碩峯)