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空海密教の宇宙観 その1

2012-10-09 14:46:16 | 日記
 

 空海密教の宇宙観 

 

 先ほど述べました唯物的宇宙観から利己的個人主義の世界観となるのです。それに対して世界は一つの精神の顕れとする唯心的宇宙観より、物質は心の影にして肉体は罪悪結晶と考える人生観が生まれ、わが国では生長の家(尊師谷口正春)などがあります。その原点はインドに於ける小乗仏教思想や中国の道教であり、人間精神の最高総合体としての国家精神を重視するあまり、個人は国家構成の一細胞に過ぎず、個人の幸福を無視する全体主義的独裁思想を生み出す危険性があります。 

 

 実際には物を離れた単なる心はなく、その逆に心を離れた物ものない。本来物と心は不二であり「身心一如」という言葉があるように分かちようのない一つの生命体です。 

 

「心は即ち是れ法なり、法は即ち是れ心なり。更に何(いづれ)の処にか住せん。心を離れて別に法有りといわば、即ち執を生ず。 

 

   一切経開題(弘法大師全集) 

 

 心はそのまま現象世界である。現象は心を離れて有るものではない。 

 

心の外に現象世界が有ると思うのは、とらわれである。 

 

しかも宇宙は無限にして永遠なる生命体であり、宇宙の森羅万象悉くこの生命の内容の顕現であるとの宇宙観により、個々の個性ある生命を充実し発揮して生きるところに人生の生きがいがあり、それがまたそのまま全体への貢献となると説くところに全個一体なる全体主義・一即多の人生観が成立するのです。 

 

 空海密教は正にこの生命主義・一体主義の宇宙観に立つものであります。 

 

仏教宇宙観の体系を示す書物の一つに古代、インド五世紀の仏僧ヴァスバンドゥの「倶舎論(くしゃろん)」がある。この中の「世品(せほん)」という一章にいわゆる須弥山(しゅみせん)説が述べられている。ここではこの宇宙観は創造の宇宙観であるが、空海密教の宇宙観は今日は勿論、将来に至っても変わることがない。 

 

 中国の古典に「往古来今謂ニ 宙一四方上下謂ニ 之宇一」という言葉があります。この意味は無限の時間と無限の空間内の世界をいう。正に空海密教の宇宙観の原点ではないだろうか。真砂のような無数の天体その一天体の地球には人間や動物、山川草木砂土を含む、この壮大な天体の世界を宇宙というのであります。 

 

 この壮大無辺で無限の宇宙を私たち人間は正しく観察しているだろうか。野良仕事中に人間の足に這い登る小さな蟻がはたして人間の足と感じているだろうか。多分、傾斜のきつい坂を上っているとでも思っているでしょう。 

 

 人間も計り知れない、この大宇宙を感じ取っている以上に細菌のような、独りのちっぽけな人間では知りようのない、永遠、無限な世界でしょう。 

 

 現在の人間社会の醜い殺伐とした世相を宇宙から観て、はたして宇宙生命に真に叶った行動だろうか。 

 

 こんな諺がある「井戸の中の蛙」とか、巨象の話がある。一匹の象がいる。ある 

 

者は尻尾を握って「これは牛」だと言い、ある者は胴体を触って「これはサイだ」と言い、ある者は口を見て「これはカバ」だと言う。実際に言い伝えられている話は「牛」でも「カバ」でも「サイ」でもないかもしれないが、それはどうでもいい。ここで問題なのは、ある部分をだけを見て全体を把握していないという点である。この話は部分的にしか見ず、全体を見誤っているという教訓話としてよく用いられる。しかし、はたしてそうなのだろうか?そんなに単純だろうか? 

 

確かに、部分だけを見ていては全体を見渡すことは出来ない。しかし、私には全員が間違っていると同時に合っているように思える。つまり、象の尻尾は牛のようで、象の肌理はサイのようで、象の口がカバのようであるのなら、誰も間違っていないではないか。それはそれで、象を言い当てているのではないのだろうか。もちろん、鼻を見れば象だとわかるかもしれない。しかし、鼻が象のすべてではない。太い足も、ざらざらした皮膚も間違いなく象なのだ。 

 

こんなことはどうでもいいといいたい所ですが、国会の自衛隊派遣の与野党の論争など宇宙生命の真理に叶ったものであろうか極めて疑わしい。

 

空海密教の宇宙観の象徴には曼荼羅があり、宇宙を身体(法身)とする五輪塔があります。形は下から、正方、円、三角、半月、宝珠で色は地(黄色)、水(白)、火(赤)、風(黒)、空(青)です。 

 

又、空海の詩に 

 

 五大皆有響 十界具言語 

 

  六塵悉文字 法身是実相 

 

 五大(地、水、火、風、空)、みな響あり。十界言語を具す。 

 

 六塵(色、声、香、味、触、法)はことごとく文字。法身は是れ実相。 

 

      「声字実相義」 

 

 空海は、この世界(宇宙)は物質的なもの(地・水・火・風・空)、と精神的なもの(識)より成ってるとする。 

 

 本文の意味は「世界は言葉でいっぱいだ。その言葉は大日如来から出てくる」という意味です。 

 

 宇宙は五大「(地(大地)・水・(太陽、地熱)・風(空気)・空(虚空)」の要素が育み、私たちの地球にのみ五大要素が備わり、それ故に、一切の生物(山川草木・動物・人間)が育まれているのです。壮大無限の宇宙に育む地球の環境は地球上のどの地点をとっても同じところがない。(象の話)したがってその環境に叶った異なる種の生物が存在している。人間しかり、黒人あり、黄色人種あり、白人あり、そこには環境にかなった生活がある。当然、宗教も自ずから異なる。 

 

 私たち両親を同じにする兄弟でも性格が異なり、それぞれ異なる個性を持っている、時間と共に、変わってゆく。 

 

人間だけではない植物を観察しても時間と共に変わってゆく。これ等は正に生きているのでなく、生かされている証です。しかも時間と共に変化することは、その生物の個性を認め、環境に逆らわず、ソクラテツ(紀元前四六三九九)の産婆術と言う言葉があります 

 

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