生かせ いのち --大師とともに
高野山真言宗管長
総本山金剛峯寺座主 松 長 有 慶
33、思い通りにならないこと(その二)
老いも、病も避ける事は難しいことです。だが死は人間や動植物にとって生きている限り例外なく必ず訪れてきま す。元気な時は意識しないものですが、老、病に直面して、自分が死とどのように向き合うか、改めて自分の問題として受け止めざるを得なくなります。
私の中学時代は戦争中で、軍需工場に勤労動員され、空襲で先輩の死に会い、自身も機銃掃射で九死に一生の思いを体験しましたが、その時は若やったせいでしょうか、死を切実に感じなかったようです。
戦後になって戦没学生の手記を集めた『聞けわだつみの声』を読み、自分と歳の差のさして変わらぬ若者が、特攻隊に出立する前夜に切々とした遺書を両親に残し、あるいはBC級の戦犯に指名され死刑の宣告を受けた学徒が、死を前にしてどのように考えたかを知り、大きなショックを受けたことを覚えています。
私はこの三十年ほどの間に、四回入院し、そのうち、一回は部分麻酔でしたが、三回は全身麻酔の手術を受けました。さすが昨年の手術では、前夜に担当医から死の可能性はないわけではないと事前の了承を求められ、翌日の手術まで、自分の死について、真剣に考えざるを得ませんでした。
真言宗でも浄土宗系の仏教に倣って、心のよりどころとして、さまざまな安心(あんじん)が説かれます。私もそれらを一応のところ学んでいたのですが、自分の死の可能性を前にした時、残念ながらそれらは思い浮かびませんでした。
ホスピス活動に長年従事され貴重な経験を積んでおられる飛�蚓千光寺の大下大円住職は、高野山安居会の講義で、人間の死生観を四つに分類されています。(「第四四回安居会講義録」三八頁)。
一、死後の世界はないと割り切る。
二、輪廻とか極楽往生といった死後の世界に生まれ変わる。
三、子孫に自分の生命を託す。
四、死後大いなるいのちに溶け込んで行く。
弘法大師は御生涯のうちに、三度ばかり生命の危機に直面されたようです。それらの時、大師に迷いは全く見当たりません。その時々に大師が背負っておられたお仕事の始末を、誰にどのように依頼するかが最も大きな関心ごとであったと思われます。(松長有慶「空海に見る生と死」「生命の探求」所収法蔵館一九九四年)。もっとも大師の教えは、大日如来の無限のいのちから生まれた存在は、当然もとの大きないのちに帰っていくわけですから、死に対する恐れや不安があるはずがありません。「阿字こ子が阿字ふるさと立ち出でて、また立ち返る阿字のふるさと」。御詠歌の梵音の響きが静かにこだましています。
管長さまの連載「生かせいのちー大師とともに」は、今回をもちまして完結とさせていただきます。
管長さまの新企画にご期待ください。