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先に懺悔  生かせ いのち

2012-05-06 15:15:42 | 高野山
 

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先に懺悔

 

 天野 高雄

  懺悔という言葉がありますが、仏前勤行次第の中には懺悔文と書かれています。西洋の映画などで、教会で懺悔をする人が謝っている場面を見ますが、子どもの頃、奇妙に思って師匠に聞いたことがあります。本当かどうかわかりませんが、仏教は行う前に反省するので「さんげ」、他の宗教では行った後に謝るから「ざんげ」と濁るのだと教えられました。行った後に謝る方が効率がいいではないかと思ったものでした。

 職になってしばらくたったある日の夕方、本堂に一人の少年が飛び込んできました。十三、四歳の見たことのない子で「助けてください」と言って泣き出します。誰かに追われている様子もなく、座らせて背中をボンボンと叩きながら般若心経を唱えていると少しずつ落ち着いてきました。話を聞くと、万引きをしそうになったと言うのです。したのかと聞くとしていないと言う。していないのならいいじゃないかと言うとまた泣き出す。よく聞いてみるとこんな理由でした。 近くのお店で、度胸試しのようなこともあったのでしょう、他愛のない物に手が伸びました。それをポケットに入れようとしたらドキドキしてきた。その瞬間頭に浮かんだのがおばあちゃんの姿だったそうです。その子の家にはおばあちゃんがいて、おじいちゃんが亡くなったあと幼い孫を膝に乗せて毎日おじいちゃんのために一生懸命拝んでいたそうです。子どもにはたくさんの疑問が湧きます。あれは何?これは何?それはどういう意味?思ったことをすぐに口にします。

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  おばあちゃんは、優しく丁寧に全部教えてくれたそうです。 不殺生とはものを殺してはいけないということ、不偸盗とは物を盗ってはいけないということ。「物を盗ったらどうしてだめなの?」と聞くと、おばあちゃんは「物を盗ったらお父さん、お母さんが悲しむ。物を盗ったらばあちゃんが悲しむ。物を盗ったら死んだじいちゃんが悲しむ。物を盗ったらお店の人が悲しむ。物を盗ったらあんたが悲しむ」と言ってくれたそうです。そして少しやんちゃになった頃にそのような事件に巻き込まれるのですが、手を伸ばした瞬間におばあちゃんの「不偸盗、不偸盗。盗んだらみんなが悲しむよ」という言葉が浮かび、手が止まって走って逃げたそうです。

 「やってから謝ればいいのでは」という疑問はその事件で一掃されました。物を盗る、盗らない、返せばいいという問題ではないのです。心に大きな傷ができるのです。不合理なようですが、幼児の頃から「しではいけない」と教えられたことが歯止めになるのだと思います。やってしまって、取り返しがつかないことになってから懺悔をしてもだめなのです。皆さまが毎日お唱えされる仏前勤行のときにそのことを思ってください。「弟子某甲尽未来際」とありますが、某甲とは誰の名前でもありません。皆さま各々のお名前が入るのです。それを踏まえた上でしっかりお勤めをして、このおばあちゃんのように次の世代に伝えていっていただけることをいます。

 

  ▽筆者は岡山県倉敷市   高裁寺の住職です。

   本多碩峯 参与 77001-0042288-000


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