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加行への道       修行僧の手記

2011-10-24 14:26:07 | 高野山
 

Koyasan_sinpo

 修行僧の手記 高野山専修学院物語~その七~

 加行への道

  愛媛宗務支所下 龍岡寺住職

                           渡部 悠弘

 二〇〇八年七月二十四日(木)

 

私達が、春からの僧堂生活を始めて三カ月ほどが経過した。そして第一学期の総まとめである期末の試験が行われる。しかし試験が始まるからといって、当然そのための時間が与えられる訳ではない。普段通りの生活を淡々と過ごしながら、自分で予習の時間を作っていく。いつもと変わらずに、仏さまと向き合いながらの生活の中で、それぞれの思いを胸にして時が過ぎ去っていく。そしてこの日、三日間の試験を終えて一学期が終了する。その後約二週間の間、我々はそれぞれ自坊へ戻り、忙しい〝お盆″の時期の加勢をするのだ。

 この僅かな休暇を終えると、いよいよ真言僧侶の必須の行。百日間の「四度加行」が始まる。ここまでの修行生活が厳しく抑制されたものであったのは間違いない。しかしひと度「加行」が始まれば、規制は更に強まることになる。時間制限付きで使用可能だった寮の公衆電話も撤去され、更に新聞など外界からの情報も一切断ち切られる。週に一度の買い出しの外出もなくなる。生活必要品は、斑でまとめて頼む形で購入し、徹底して厳しくチェックされる。このように加行の間の規律は完全に強化されるのだそのため加行を目前に控え、道場内には一種独特の緊張感が漂い出す物々しい雰囲気の中、どんな事が待っているのか解らないまま、私はただその時を迎えるしかないのだ。

  数日前のことだ。朝のお勤めの時に誰かが先生に注意されていた。どうやら、読経の時の態度が怠惰な感じだったからだ。両手に持つ経本の位置も低く、アクビをしながら疲れている様子だったらしい。先生が注意する内容を聴いていて、大体の察しはついた。いつもなら激しい口調で指導されそうなものだが、何故かその時は声を荒げる訳でもなく、落ち着いた静かな冷たい声色で「君達のその読経の態度は正しいと思うか?決して経文を粗末に扱ってはいかん」。そう、諭されたのだ。

Kagyo_2

 我々が専修学院での僧堂生活を始めて三カ月。

 私達は一体何のために修行をしているのだろうか。自坊の跡目を継ぐためだろうか?ほとんどの人間がそうだろう。自分自身の精神を鍛えるために?自らの人生を見つめ直すために?そんな者もいるのかもしれない。しかし、実はそれはほんの表面的なもので、我々が求めなければならないのは、そのずっと奥に在るもの、そう、お大師さまが命を懸けてお誓いなされた「衆生済度」の実践であり、微力ながらもお大師さまの御願にお応えするその姿勢である。

  これから「加行」に入れば、ひたすら目の前の本尊さまと向き合う行に徹することになる。それは即ち自分自身の内面奥津くに対時することに他ならない。しかしそうして突き詰めた先には、再びその心を人々へ向ける行が待っている。普段の周りの仲間達と関わる生活も、「加行」 での個々での修行も、別々に見えて実はその奥で繋がっている。つまりお経に記される一旬一旬の文字の旬義を捉え、大切にお唱えするということこそが「加行の道」 への最初の一歩として重要な歩みとなるものだと感じたのだった。

                               合掌

        参与770001-4228(本多碩峯)


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