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高野を詠んだ名歌

2011-08-16 12:50:19 | 高野山


文学に見える高野山千二百年点描

高野を詠んだ名歌 高野山大学教授 下西 忠

 1258年に亡くなった歌人に藤原智家(ふじわらともか)という人がおりました。内裏でおこなわれたある歌合において次の和歌を詠みました。歌合とは、参加者を左右に分けて提出された和歌一首ずつ組合せその優劣を競う遊戯です。歌人の名誉がかかっていますから歌人はたいへんです。負けた人は悔しさのあまり、何も口にすることができずその後死んだといいます。昔の歌人は和歌に「いのち」をかけていました。

 昔思ふたかのゝ山の深き夜に暁とほめする月かげ

 この歌合は衆議判といいまして、和歌の優劣の決定を参加歌人の多数でおこなうもので、きまらないときには判者が裁定したこともありました。歌人でもあった順徳天皇は、この歌人を大いに称賛しました。智家は天皇からご褒美の厚紙をもらいましたが、畏れ多くも自分で使うことはできないと判断しました。そして住吉神社に御幣として奉納しようと考えて退出したというのです。このはなしは鎌倉時代の『古今和歌集』という説話集に載っています。ところで天皇はどういうところを賞賛したのか。もちろん和歌はすばらしさにあることはいうまでもありません。歌中の「昔思ふ」は、弘法大師の事跡を思うの意味です。ここでは特に大師入定の昔を想起しています。「ふかき夜」は、含蓄のある表現です。表面の意味のほかに人間の煩悩の深さを暗示していると考えられます。「暁」も同様で、弥勒菩薩出征の暁を暗示していると考えるのが妥当でしょう。釈迦入滅後五十六億七千万年後に弥勒菩薩が出現し、龍華下で三度法会を開き、一切衆生を済度なさる時、大師もともにこの世にふたたび現れるというのです。

 大師の入定と弥勒菩薩の下生(げじょう)とか結びつけられて詠まれています。知家はもちろん順徳天皇までもが、大師の弥勒信仰の知識を知っていたということになります。知家は、歌合の題「古寺の月の心」の古寺を高野に設定し、その高野の美しく澄んだ月を詠みました。月のはるか向こうに大師の姿をながめて詠んだのでしょう。まさにお手柄というべきでしょう。

 

      参与770001-4228(本多碩峯


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