広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

川看板の標語

2019-02-27 00:33:07 | 秋田の季節・風景
最近何度か取り上げている、川岸に立てられる川の名前を記した「河川名看板」。
国土交通省が直接管理する一級河川本流では、ある程度の統一が図られてはいるものの、地域や時期による違いも多い。※この記事など参照

今まで何度か、雄物川の左岸秋田大橋下流側に立つ看板の写真を載せていた。
霧がかかっているわけでなく、対岸が橋桁に隠れて見えないだけです
建設省時代から立つもので、本来の決まりとは漢字とひらがなの向きが逆転している。

さらに特徴的なのは、看板の側面に標語が書かれていること。
現在設置される新しいものは、側面がない単に2枚背中合わせの設置。古いものでは、側面はあるが、青やグレーに塗られているだけのものもある。Googleストリートビューで確認した限り、秋田市内の雄物川で標語が書かれた看板はここだけのようだ。

今まで、その標語の文面は気に留めないでいた。どうせ県管理河川にある「川は心のふるさと」的なものだと思いこんで。
ところが、そうではなかった。
 上流側と下流側で違う標語
下流向きは「夢がありますわが街秋田 未来を託します雄物の流れに」。
どんな夢なんだろう。託された夢は2キロほどで日本海へ流れ出てしまうけど…

上流向きは「川の流れは文化の流れ 文化は人間都市秋田を育む」。
こっちは文化。略せば「川の流れは秋田を育む」ということ?
「人間都市秋田」というフレーズは、おそらく「きらめく北の人間都市あきた」からの借用。

「きらめく北の人間都市あきた」は、秋田市が一時期使っていたキャッチフレーズ。
平成に入ってすぐ頃に使い始めたようで、1991(平成3)年度に策定された「第7次秋田市総合計画」が初出かもしれない。以後、少なくとも2001年頃までは秋田市の広報などでよく使われた。最近は…【2021年11月9日追記・1991~2001年は、石川錬治郎氏が市長だった期間と一致する。】
【27日追記】秋田市の15分間の広報番組を、AKTでは「きらめく北の街から」という番組名で放送していた時期もあった(少なくとも1998~2001年度)。なお、「花時計からのたより」は5分間で別内容。

どちらの標語も「わが街秋田」「人間都市秋田」としていることからすれば、雄物川流域の全市町村ではなく、秋田市だけを指しているのだろうか。
「人間都市秋田」があることからすれば、平成初期以降の作・設置と考えられる。キャッチフレーズに「です/ます」を使うのは、ちょっと昭和っぽい雰囲気もする。
誰が作った標語なんだろう。建設省の人かな。
川の看板の側面に、少し昔の秋田の名残りがあった。


さて、先日、本荘に行った時、子吉川左岸の由利橋上流(ポンパル付近)にも、標語入り看板があった。
その時は、当たり障りのない標語に感じ、撮影しないでしまっていたのだけど、こうなったら気になる。
ストリートビューで片面だけ判読できた。
「みんなで守ろう 魚の住めるきれいな川」
これは川にありがちなオーソドックスな標語だね。でも、標語自体は他で見た覚えがないから、子吉川オリジナル?
板面の英語表記と同様、側面も文字の配置などが雄物川とは微妙に異なるから、別口で発注されたのだろう。

さらに、1つ下流の本荘大橋上流右岸にも、標語入り看板があった。
「日本海に焦がれ 夢みる子吉川の流れ」
子吉川を擬人化したロマンティックな標語。

ストリートビューでは見られない側の標語も気になるし、他の看板ではどんな標語があるのか、秋田河川国道事務所管外でも標語入りは存在するのか、気になり出した。
本荘大橋の見えなかった面を確認。さらに由利橋も確認

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