秋田駅から西へ約1キロ、南北に流れる旭川に沿って歓楽街「川反」(かわばた)がある。そこからさらに500メートルほど西が寺院の集まる「寺町」地区。現在の住居表示では大町三~六丁目と旭北寺町になる。
川反と寺町の間、特に大町五丁目付近はちょっとした商店街になっている。道幅の狭い一方通行の道もあり、歓楽街とお寺の間という微妙な空間だが、衰退化した秋田市中心市街地の中では、それなりにがんばっていると思う。寺町に近いためか、仏具店や葬儀屋もある。
後ろが川反、先が寺町
交差点の右の道路以外は一方通行で、後ろから来る秋田駅発の路線バス新屋線はこの狭い交差点を左折する。長さ10メートルの大型バスがスムーズに曲がるのには、通り慣れたプロとはいえそのハンドルさばきに感心してしまう。
右側の茶色い建物に注目
交差点角の葬儀社が隣接地に新しい施設を作った。民家のようで和食や蕎麦のお店みたいにも見えるが…
遺体安置や少人数向け葬儀のための施設のようで、台所や風呂もあるそうだ。(宿泊はできるのかな?)自宅でできない家庭のための施設だが、最近秋田市内にはほかにもこういうスタイルの施設が出現している。
町の中心部に葬儀施設があるのは、秋田では珍しいが、車のない人には便利。自宅代わりの葬儀場としては、アクセスや買い物、お坊さんの移動などにも都合がいいのかもしれない。
施設の名前は「想心記」。ここを通るたびになんて読むのか気になっていた。
当て字だろうが、もしかして「ソウシキ」? でも「ソウシキでお葬式をします」ってダジャレを言っている場合じゃない。
ネットで検索すると分かった。そのまま「そうしんき」とのこと。
でも語呂というか語感があまり良くない気がする。何と掛け言葉になっているのかも分からない。「送信機」じゃないでしょうし。響きは「聴診器」にも似てるし。
せめてふりがなは振ってほしいな。
そういえば、秋田(と言っていいのかな)の葬儀の風習で他地域の人が驚くことがある。それは「葬儀の前に火葬する」ということ。秋田市の多くの仏教徒の家庭はこの形式だと思うが、全国的にはどんな分布だろうか。北海道や東北の一部で散見される風習らしいけれど。従って、お骨になってから葬儀が行われるので、葬儀の最後に出棺というシーンは見られない。
川反と寺町の間、特に大町五丁目付近はちょっとした商店街になっている。道幅の狭い一方通行の道もあり、歓楽街とお寺の間という微妙な空間だが、衰退化した秋田市中心市街地の中では、それなりにがんばっていると思う。寺町に近いためか、仏具店や葬儀屋もある。
後ろが川反、先が寺町
交差点の右の道路以外は一方通行で、後ろから来る秋田駅発の路線バス新屋線はこの狭い交差点を左折する。長さ10メートルの大型バスがスムーズに曲がるのには、通り慣れたプロとはいえそのハンドルさばきに感心してしまう。
右側の茶色い建物に注目
交差点角の葬儀社が隣接地に新しい施設を作った。民家のようで和食や蕎麦のお店みたいにも見えるが…
遺体安置や少人数向け葬儀のための施設のようで、台所や風呂もあるそうだ。(宿泊はできるのかな?)自宅でできない家庭のための施設だが、最近秋田市内にはほかにもこういうスタイルの施設が出現している。
町の中心部に葬儀施設があるのは、秋田では珍しいが、車のない人には便利。自宅代わりの葬儀場としては、アクセスや買い物、お坊さんの移動などにも都合がいいのかもしれない。
施設の名前は「想心記」。ここを通るたびになんて読むのか気になっていた。
当て字だろうが、もしかして「ソウシキ」? でも「ソウシキでお葬式をします」ってダジャレを言っている場合じゃない。
ネットで検索すると分かった。そのまま「そうしんき」とのこと。
でも語呂というか語感があまり良くない気がする。何と掛け言葉になっているのかも分からない。「送信機」じゃないでしょうし。響きは「聴診器」にも似てるし。
せめてふりがなは振ってほしいな。
そういえば、秋田(と言っていいのかな)の葬儀の風習で他地域の人が驚くことがある。それは「葬儀の前に火葬する」ということ。秋田市の多くの仏教徒の家庭はこの形式だと思うが、全国的にはどんな分布だろうか。北海道や東北の一部で散見される風習らしいけれど。従って、お骨になってから葬儀が行われるので、葬儀の最後に出棺というシーンは見られない。
秋田市内にはベルコだのセレモだの似たような葬祭がたくさんあるけど、この半田葬儀屋もそれらに似た葬祭会館を作ったんでしょうねー。でもちょっと覚えにくい名前だけど、何か意味があるのかなぁ。。。亡くなった人を想う心の日記?とか??
カタカナ名前よりは覚えやすいけど、「想心」まではよくても「記」がよく分からん。「記憶」とか?
やっぱり「葬式」とのダジャレでしょうか?
そのためか、かなり多くの人が火葬場にも参列するため、大きな待合室がいくつも用意されていて、そこでは簡単な昼食を供することが普通です。
火葬が実質的な“お弔い”で、その後で行われるのは、“儀式”だという解釈もできると思われます。(個人的な見解)
火葬が葬儀の後で行われる地域では、火葬場へ同行するのは親族のみで、待合室がそれほど大きくはないと聞いたことがあります。
秋田でも火葬場に畳敷きの待合室があり、飲食をしますが、参列するのは親族プラスアルファ、多くてもマイクロバス1台で運べる人数程度でしょうか。
遺族にしてみれば、お骨になってしまって、哀しみが薄れ、参列者の対応に追われるのが実情ですから、お葬式が儀式という解釈、実感として納得できます。