広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

少し昔の弘前大学

2017-07-03 23:44:24 | 津軽のいろいろ
15年ほど前の弘前の写真シリーズ。※前回の記事
3回にわたる最後は、弘前大学文京町地区(文京町キャンパス)。

まず、今年の正月にも取り上げた、正門周辺。
富田大通りに面した門柱や塀は、現在は赤茶色の凹凸のある石垣(?)風デザインだが、2000年代前半までは、グレーだった。
また、正門を入って右にある、大学の本部機能を持つ「事務局庁舎」は、2016年にリニューアルされて外観が変わった。以前は緑色っぽかった。
2001年10月
以前のグレーの門は、大きな石のタイル風のものだった。
現在よりも、そして記憶にあるよりも、少し背が低い感じ。しかも門柱はなく、門というよりただの「塀」。
2005年7月。門が現在と同じになり、路面もブロック敷きに

分かりにくいが、奥の事務局は、外壁の色のほかリニューアル後に塔時計が設置された出っ張り部分がないなど形状も現在と異なり、ほぼ箱型の建物。
庁舎は昭和47(1972)年築とのこと。


正門を入って、総合教育棟(旧・教養部)と附属図書館の間を左折すると広い通路。大学会館や教育学部以外の各学部といった主要施設に面したメインストリート。
2005年7月。現在とほぼ同じ光景のはず
上の写真左側の建物は、手前から総合教育棟と棟続きで人文学部。市道をはさんで、奥に少し飛び出た2つの低い建物が理工学部、その奥の11階建てが理工学部2号館、さらに奥の低いのが農学生命科学部。
現在は、建物の外観が統一され、ブロック敷きのきれいな広々とした道。
以前を知る者がこれを見ると、全体に面影はあるけれど、かなり変わったなという感慨になる。
2003年2月。上の写真とほぼ同じアングル
2003年時点では、奥の方の2学部は、既に建物の外観が改修され、新校舎と統一。
一方、手前はごく一部は新しくなっているが、大部分は未改修。

そして、現状しか知らない人は驚くと思うが、通路に自転車がずらりと並んでいる。現在、こんなことをしたら、不法駐輪として撤去されることだろう。
校舎側に屋根付き駐輪場があるように、当時はこれで問題なかった。右の屋根のない部分にも置かれているし、中央部の斜線の白線が引かれている場所に置くこともできた。
この時は雪が残っているから台数は少ないほうで、春~秋の一般教養の講義がある日は、びっしりと自転車が並んでいたものだ。
この後、学生は登録してシールを貼った自転車でないと学内へ乗り入れできなくなり、駐輪場は新たに整備された反対の富田大通り側に変更された。
【4日追記】以前の光景は雑然としているが、今はきれいになりすぎてよそよそしいようにも感じる。以前のほうが活気がある大学らしい光景だったと思う。(クルマはともかく、ここに自転車を入れても入れなくても、安全上は大して変わらない気がするけど…)

また、奥右の学生会館(食堂側)前の針葉樹がなくなり、大学生協によるコンビニが建てられた。

上2枚の間の途中経過。
2004年8月
通路はブロック敷きに。人文学部は改修済み、総合教育棟は工事中。
上の写真で工事中の出っ張っている部分が、総合教育棟の正面玄関。2階部分は部屋になっているように見えるけど、教室にしては小さい。何だったんだろう?
正面から。上の階の壁面も未改修
上の写真で見えている窓は、廊下側のはず。アルミサッシではなく、鉄枠だったようだ。開閉するとゴロゴロと重いんだよね。(もちろん改修後はアルミサッシに変わった)

この面は、たしか「305」「405」とかその辺の部屋番号の中規模の講義室だったはず。一部階では教官(1997年までは教養部所属の教官がいた)の研究室がこの側にもあったか?
正門すぐの201や301よりは小さく、階段状でない平らな部屋で、固定式の座席。室内の什器や備品にはいろいろと手が入っていたようだが、201・301とは共通性がなく、時期は別か。どちらが先かは分からない。
【5日補足】階段教室に比べて、部屋の面積も、机の配置もきゅうくつで詰めこまれているように感じられて、あまり好きな講義室ではなかった。

これらの部屋はワイヤレスマイクは非対応(隣接しているので混線しそう)で、レクチャーアンプが設置されていたか。
そして特徴的な設備が、パイオニア製の大画面のプロジェクションテレビと、ソニー製の8ミリビデオとVHSの「ダブルビデオ」デッキ。201・301にはなかった。
※プロジェクションテレビ(リアプロジェクションテレビ)は、大きさのわりには当時としては薄く、画面が平らなテレビ。複数のメーカーが発売していて、末期の「ニュースセンター9時」や以前の「世界ふしぎ発見!」のスタジオに置かれていたのが、たぶんそれ。この記事後半に実物の写真あり。
※8ミリビデオは家庭用ビデオカメラなどで使われていた小型のビデオテープ。8ミリフィルムとは別。「Hi8」は8ミリビデオを高画質化した規格。

現在、ソニーのホームページの取扱説明書ダウンロードでは、「ダブルビデオ」としては「ビデオカセットレコーダーWV-BW1」というのがいちばん古く、1995年11月10日発売の機種。教養部では、少なくとも1995年春の時点で設置されていたはずだから、さらに前の機種が存在するのだろうか??
このダブルビデオデッキ、一般的な教室に置くには不向きな機種に思えてならなかった。
WV-BW1取扱説明書より
「再生」ボタンは1つで、8ミリかVHSか再生するデッキを選択するボタンがある。テープが入っていないほうのデッキを誤って選択しても、自動切り替えはできないようで、正しく選択ボタンを押さないと「再生」しただけでは再生されない場合がある(消去防止ツメが折れたVHSテープを入れた時は自動で切り替わるそうだ)。

講義室のデッキでは、仕様なのか、あるいはコンセントが常時接続ではなく、都度入切していて起動のたびに初期状態に戻るせいか、電源を入れるといつも8ミリを再生する状態になっていた。
VHSを見るには、「VHS」選択ボタンを押して切り替えてから「再生」しないといけない。

そのことを知らない(画面や本体の表示に気づかない)先生が多く、見せようと持ってきたVHSのテープを入れて、「再生」ボタンだけ押してしまって、「カセットがありません。入れてから行なってください」とエラーになり、「あれ? テープを入れて再生ボタンを押してるのに??」と困惑する先生に何人もお目にかかった。(テープじゃなく「カセット」とか「行ってください」というソニー独特? の画面表示を覚えてしまうほど、戸惑う先生が多かった)

当時の映像記録媒体はVHSが圧倒的優勢。授業で使うビデオを8ミリで持ってくる教官などいただろうか。少なくとも僕は遭遇しなかった。
現場の実情を考慮せず、使いもしない過剰装備の機器を導入したことになる。導入してしまったとしても、事務局がこのことを把握していれば、説明書きを貼るとかフォローすることもできたわけだから、教官と事務局の意思疎通が取れていなかったのだろう。今は知らないけど当時の国立大学は、地方自治体などよりもずっと硬直化したお役所だった。【5日補足・会計検査院や何らかの監査の対象になれば、導入の経緯や活用方法について、指摘を受けるかもしれない】
話がそれました。

2004年夏。正面玄関からのぞくと、内部はきれいになくなって大がかりな工事
2004年度末までには、工事は完了したようだ。


もっとさかのぼって2000年3月。
できたばかり【4日補足・といっても丸1年経過した頃】の理工学部2号館の11階から、買ったばかりの100万画素のデジタルカメラで撮影した写真。
【4日追記】この高さから弘前の街を眺める機会はなかなかないが、改めて見ると、弘前もけっこう建物が密集していると感じた。
※コメント欄にて、2013年に同じ場所から撮影した写真をご提供いただきました。工事がほぼ終わった様子を、広角で分かりやすく見られます。
今までの写真の逆側から
右側が手前から改修中の理工学部、市道、人文学部~総合教育棟。その奥右方向が正門。
各校舎。中央右奥にイトーヨーカドーがかすかに
改修前は建物の形状も色もまちまちで、同じ学部でも新旧つぎはぎだったのが分かる。右手前のドームは理工学部の天体観測施設。【4日補足】ドームのある校舎は5階建てで、11階建ての理学部2号館ができる以前は、そこが弘大でいちばん高い建物だったはず。見た感じ外観の造りは周りより新しそう。昭和50年代築ってところかな?(周りの他の建物は40年代っぽい)
今もそれぞれの建物の形状はそのままだが、色が統一されて、だいぶ落ち着いた。
また、中央奥には、
緑色のドーム屋根?!
手前は総合教育棟の人文学部寄りで、教官の研究室があった辺り。その奥に体育館のようなカマボコ屋根があった。
位置からすると、201・301、そして最大の401講義室の上。401は天井が高いため、こういう構造なんだろうか。下からは見えないし、今回写真で初めて気づいた。

カマボコ屋根といえば、少し左へ目を転じれば、
赤いカマボコ屋根の第一体育館。右は教育学部
現在は、校舎群と同じ色への塗替えと耐震補強らしきつっかえ棒が入れられた第一体育館。その改修前の姿も写っていた。


15年経てばいろいろ変わり、何気なく撮影した写真が記録と思い出になるものです。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする