クラスメートが二十数人だった田舎の小学校から、クラス50人13クラスのマンモス中学に入学、ピカピカ一年生の話を思い出しながら、カワユイ恋の物語を書きます。
昨年の秋、私は所用で街を歩いていました。ママチャリの前後に小学校低学年の子を乗せた中年の女性がいました。母親にしては老けていました。若いお婆さんに違いないと思いました。かなりの速度で、ズンズン近づいてきます。顔に見覚えがありました。すれ違いざまに彼女は、『さもありなん』『知ってるよ』『今日は』『お久しぶり』すべての挨拶言葉をまとめたような言葉
『うん!。』と発して遠ざかっていきました。彼女はサッチャンでした。若かりし頃の懐かしくって、少し恥ずかしい思い出がよみがえってきました。
中学時代って当番をしましたよね。朝の会の司会、先生の板書を消し、黒板消しのチョークをポンポンして、先生のお手伝い、給食当番の監視など等、仕事はたくさんありました。それを男女二人が日替わりで当番を勤めました。男女の出席番号1番同士が当番になりました。私の相手はサッチャンでした。サッチャンは知恵遅れでした。彼女が自分からおしゃべりするのは誰も聞いたことがありませんでした。ですから、喋らなければならない当番の仕事はオイラがしなければなりませんでした。サッチャンはクラスのいじめの対象でした。いじめといっても今のような陰湿ないじめでは無く、言葉のいじめでした。「ボケとかバカ」とか言われていました。
おおよそ月一回で当番がまわってきました。司会や当番日誌はオイラがやりました。その他、力仕事の水汲みがありました。校舎は木造でしたので、教室の前後に防火用水を兼ねて、二つのバケツを汲み置きしなければなりませんでした。先生によっては、教卓を雑巾で拭く先生もいたので、日に二回ほど、水を換えねばなりませんでした。そんなときサッチャンは、猛ダッシュで水汲みに行きました。それも両手にバケツを二つも持ってでした。教室に戻るとサッチャンのスカートはビショビショに濡れてしまっていました。
放課後に当番日誌を書くのでした。サッチャンが大きな目を見開いて、オイラが書くのを見ていました。「サッチャン書く?。」って聞いたら、「小さな字が書けん。」と言いました。初めて聞いたサッチャンの声でした。男子のような声でした。「書いても良いよ。」と言ったら、サッチャンは、欠席の欄に0を大きく書きました。翌日当番日誌を盗み見したら、0に花丸がありました。先生はとってもやさしい、若いきれいな女先生でした。
運動会が終わった頃、男子から当番の相手に対して不平が出ました。困った先生は「男子の1番と女子の最後の子が当番をすることにしましょう。」と決めました。男子はだれと当番ができるか暗算しました。クラスに人気のある女子が5、6人もいました。オイラはサッチャンと組まなくても良いことで嬉しくなりました。放課後はその話で持ちきりでした。ところがクラスは50人男子25人同じ数の女子でした。私とサッチャンは、丁度真ん中の13番でした。男子生徒の意地悪な笑い声と、申し訳なさそうな先生の顔を思い出します。
それからも水汲みはサッチャンの仕事でした。あまりにスカートを濡らしてしまうので、一度バケツを一つ持ちましたが、サッチャンは「ううん。」って言いながら、すごい力でオイラからバケツを奪い取りました。ある日サッチャンとオオノさんが二人でバケツを持って教室に帰ってきました。オオノさんは呉服屋の子で、頭が良い子でオイラが密かに好きだった子でした。サッチャンはオオノさんの言うことは素直に聞きました。オオノさんは放課後も当番の仕事を見ていてくれました。サッチャンは欠席人数が思い出して書けるようになりました。オイラはオオノさんとお喋りしたり、勉強したりできるようになり、当番の日が待ち遠しくなりました。それからのサッチャンはオオノさんの近くで過ごすようになりました。クラスの多くの子達はサッチャンを避けるので、オイラはオオノさんにとっても近づきやすく、いつでも話しかけられようになりました。
当時の体育の授業は男女が分かれました。女子は柔軟体操をしていました。サッチャンはオオノさんと組んでいました。背中合せで互いの背中に相手を乗せて背骨を伸ばす運動をしていました。何気なくサッチャンとオオノさんを見ました。当時の子達は今ほど発育はよくなく、幼児体形が多かったように思います。特にサッチャンは発育が遅れていました。反面オオノさんは背が高く髪を長く伸ばし、胸も大きくとっても目立つ存在でした。二人の腕が真っ直ぐ伸びたとき、サッチャンのツルンとした腋が白いのに反して、オオノさん腋は大人の腋でした。見てはいけないものを見た罪悪感に駆られ、ドキドキしてしまいました。それからのオイラはオオノさんがすごく年上の存在になってしまいました。結局オイラのはかない恋は進展せず、オオノさんは県内トップの高校に進学しました。サッチャンは豆腐屋さんに就職しました。
そのサッチャンに街で会いました。
昨年の秋、私は所用で街を歩いていました。ママチャリの前後に小学校低学年の子を乗せた中年の女性がいました。母親にしては老けていました。若いお婆さんに違いないと思いました。かなりの速度で、ズンズン近づいてきます。顔に見覚えがありました。すれ違いざまに彼女は、『さもありなん』『知ってるよ』『今日は』『お久しぶり』すべての挨拶言葉をまとめたような言葉
『うん!。』と発して遠ざかっていきました。彼女はサッチャンでした。若かりし頃の懐かしくって、少し恥ずかしい思い出がよみがえってきました。
中学時代って当番をしましたよね。朝の会の司会、先生の板書を消し、黒板消しのチョークをポンポンして、先生のお手伝い、給食当番の監視など等、仕事はたくさんありました。それを男女二人が日替わりで当番を勤めました。男女の出席番号1番同士が当番になりました。私の相手はサッチャンでした。サッチャンは知恵遅れでした。彼女が自分からおしゃべりするのは誰も聞いたことがありませんでした。ですから、喋らなければならない当番の仕事はオイラがしなければなりませんでした。サッチャンはクラスのいじめの対象でした。いじめといっても今のような陰湿ないじめでは無く、言葉のいじめでした。「ボケとかバカ」とか言われていました。
おおよそ月一回で当番がまわってきました。司会や当番日誌はオイラがやりました。その他、力仕事の水汲みがありました。校舎は木造でしたので、教室の前後に防火用水を兼ねて、二つのバケツを汲み置きしなければなりませんでした。先生によっては、教卓を雑巾で拭く先生もいたので、日に二回ほど、水を換えねばなりませんでした。そんなときサッチャンは、猛ダッシュで水汲みに行きました。それも両手にバケツを二つも持ってでした。教室に戻るとサッチャンのスカートはビショビショに濡れてしまっていました。
放課後に当番日誌を書くのでした。サッチャンが大きな目を見開いて、オイラが書くのを見ていました。「サッチャン書く?。」って聞いたら、「小さな字が書けん。」と言いました。初めて聞いたサッチャンの声でした。男子のような声でした。「書いても良いよ。」と言ったら、サッチャンは、欠席の欄に0を大きく書きました。翌日当番日誌を盗み見したら、0に花丸がありました。先生はとってもやさしい、若いきれいな女先生でした。
運動会が終わった頃、男子から当番の相手に対して不平が出ました。困った先生は「男子の1番と女子の最後の子が当番をすることにしましょう。」と決めました。男子はだれと当番ができるか暗算しました。クラスに人気のある女子が5、6人もいました。オイラはサッチャンと組まなくても良いことで嬉しくなりました。放課後はその話で持ちきりでした。ところがクラスは50人男子25人同じ数の女子でした。私とサッチャンは、丁度真ん中の13番でした。男子生徒の意地悪な笑い声と、申し訳なさそうな先生の顔を思い出します。
それからも水汲みはサッチャンの仕事でした。あまりにスカートを濡らしてしまうので、一度バケツを一つ持ちましたが、サッチャンは「ううん。」って言いながら、すごい力でオイラからバケツを奪い取りました。ある日サッチャンとオオノさんが二人でバケツを持って教室に帰ってきました。オオノさんは呉服屋の子で、頭が良い子でオイラが密かに好きだった子でした。サッチャンはオオノさんの言うことは素直に聞きました。オオノさんは放課後も当番の仕事を見ていてくれました。サッチャンは欠席人数が思い出して書けるようになりました。オイラはオオノさんとお喋りしたり、勉強したりできるようになり、当番の日が待ち遠しくなりました。それからのサッチャンはオオノさんの近くで過ごすようになりました。クラスの多くの子達はサッチャンを避けるので、オイラはオオノさんにとっても近づきやすく、いつでも話しかけられようになりました。
当時の体育の授業は男女が分かれました。女子は柔軟体操をしていました。サッチャンはオオノさんと組んでいました。背中合せで互いの背中に相手を乗せて背骨を伸ばす運動をしていました。何気なくサッチャンとオオノさんを見ました。当時の子達は今ほど発育はよくなく、幼児体形が多かったように思います。特にサッチャンは発育が遅れていました。反面オオノさんは背が高く髪を長く伸ばし、胸も大きくとっても目立つ存在でした。二人の腕が真っ直ぐ伸びたとき、サッチャンのツルンとした腋が白いのに反して、オオノさん腋は大人の腋でした。見てはいけないものを見た罪悪感に駆られ、ドキドキしてしまいました。それからのオイラはオオノさんがすごく年上の存在になってしまいました。結局オイラのはかない恋は進展せず、オオノさんは県内トップの高校に進学しました。サッチャンは豆腐屋さんに就職しました。
そのサッチャンに街で会いました。