田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

あれから20年、そして1年

2015年01月17日 | 日記
 昨日姉から電話があった。母の命日を明日に控え、姉が一年前の婆さんの話をした。今日(17日)は母の命日でもあるが、阪神淡路大震災の日でもある。

 
 20年前の今日、まだ公営アパートに居住していた。明け方、長い揺れで目を覚ました。揺れの長さが恐怖感を増大させた。キャスター付きの家具を手で押え、隣で寝ている妻に声をかけた。妻は返事はするものの起きなかった。その程度の地震で、私が特に恐怖を感じたのかもしれない。

 
 共同住宅だと隣家の物音は振動で伝わる。地震で多くの人々が目覚めたことが、耳では聞こえぬザワメキや雰囲気で感ずることができた。子供たちは一旦目覚めたのであろうか、再び寝入ったのか、布団の中だった。母は少し怯えたような顔をしていたが、「大きかったなぁ」と私の顔を見て安心したようだった。寝室に戻りTVのスイッチを入れた。目に飛び込んだ最初の画像がNHKの各地の震度だった。日本全土が魚のうろこのように赤、橙で埋め尽くされていた。あらためて地震の大きさを感じたのであった。

 
 実況だった思うが、高速道路の倒壊現場のヘリコプターの映像を見て、体中の力が抜けるのを感じた。きっと腰が抜けるとはあのようなことを言うのであろう。技術屋の端くれとして、絶対に起こるはずの無い壊れ方を見たのである。それも連続して長く倒壊している。人や機械や爆薬の力を使ってもできそうもない壊れ方だった。夢を見ているようであった。

 
 朝食を済ませ顧客宅へ行った。顧客の現場はなんの被害も無かった。顧客の次女が勤務先で被災したそうだったが、地震直後は携帯電話がつながり、停電で情報が分からぬ次女に、TVで知った情報を携帯の電池が続く限り伝えたそうだ。

 
 それからの私は、学んできた技術を疑い、一切の仕事をする意欲を失った。20年間学んだ知識はなんだったのかと自問自答する日々を送った。事務所に流れる、NHKFM放送の安否情報、増え続ける死亡者の数がますます意欲を失わせた。恥ずかしながら建設的思考に切り替えられたのは数年後であった。
---------------------------------------------------------------

 本日、妻とお墓参りに行ってきました。簡単に掃除し、お花を供えました。孫誕生の報告、そして本日をもって喪明けをすると伝えてきました。「うん、それで良い」と、母と父はきっと言うに違いありません。

 
 掃除をしていたら、我が家の墓の基壇に10円が供えてありました。落ちているのではなく、何となくお供え(賽銭?に)見えます。これを持ち帰っては守銭奴になってしまうので、墓地公園の入り口にあるお寺、お宮にお参りしました。本日を喪明け宣言しましたので、これが初詣かな?と思いながら、先ほどの10円と、ポケットマネーの幾ばくを供えながら参ってきました。少しばかり良い気分でした。

 
 帰り道、スーパーで買い物とお昼ご飯(ヤキソバ定食650円)お腹いっぱいで上機嫌、灯油18Lが1360円とお安く、上機嫌で帰宅したオイラと妻でした。おしまい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿