木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

母衣

2009年03月28日 | 戦国時代
母衣。
難しい漢字だ。
これで、「ほろ」と読む。

小型の辞書にも載っていた。
『昔、よろいの上からかぶって矢を防いだ、布製の袋のようなもの』
(岩波国語辞典 第三版)

これを名古屋市の中村公園内にある「秀吉清正記念館」にて発見。
その説明は下記である。

『赤母衣・・・母衣はもとは、武者が合戦のときに背負って、飛んでくる矢を防ぐための道具だった。戦国時代には中に竹かごのような骨組を入れ、いつでも風でふくらんでいるような形になった。実用よりも戦場で目立ち、自分の手柄を主君に認めさせるためのアイテムと化したのである。安土~桃山時代』

とある。
織田信長は、身辺に赤母衣隊と黒母衣隊という精鋭部隊を置いたといい、イメージはなかなかにカッコがいい。
説明だけだと、よく分からないのだが、西洋のマントのようなものかと想像する。
しかし、実物を見て、びっくり。
張子の巨大な壷、といった風情である。

使用方法がよく分からないが、これを背負うのだろうか。
そういえば、上のほうに背負い紐のようなものがついている。
中は空洞だから軽いとはいえ、このようなものを背負って戦う姿は……あまり、勇ましそうではない。

幕末には、西洋の新式鉄砲が多く輸入された。早撃ちが可能で、射程距離も長いものだ。
その時に、旧式の装備しか持たない藩は、この母衣で対抗したらどうだったのだろう。中には、砂でも入れて、この母衣を押し立てて進んでいく。敵が撃ってきたら、この母衣の影に隠れて、弾込めの間に、前進。撃ってきたら、また隠れる。そうしているうちに敵の陣地までたどり着く仕組み。砂を十分に湿らせておけば、大砲にだって耐えられるかも知れない。
でも・・・・・・その前に、持ち運べないか。



赤母衣

↓ よろしかったら、クリックお願いします。