木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

ほっとくれもち、って何?

2009年03月18日 | 昭和のはなし
ある人が、「今は百年に一度の経済不況だ何だ、と言っているが、甚だおかしい。戦時中は、こんなものじゃなかった」と語ったことがあったが、今では太平洋戦争もはるか昔の話になってしまった。
知多半島の「武豊町歴史民族資料館」へ行くと往時を偲ばせる展示物があり、その頃の食べ物の作り方などを書いた紙が置いてある。
面白いところで昔の手作りおやつというコーナーがあった。
この地方だけのものなのか、名前も全く耳にしたことがないようなものである。
数点、ご紹介します。

①ほっとくれもち・・・米の粉を熱湯で練って握り拳大にし、せいろにもち米を敷き、砂糖を混ぜて、よく臼でついて、棒状にして切り、メリケン粉をまぶす。
②おへげ・・・ついた餅に好みによって塩、砂糖、ごまを混ぜ、四角い箱に入れて固め、薄く切る。
③ぼろ・・・・餅をつき、そこに擦った里芋を入れ、よくつき、平たくし、硬くし、四角く切る。
④竹皮の梅干・・・梅干しやしそを竹皮に入れ、先から吸う。
⑤とうまめ・・・・そらまめを茹で、干し、かちかちにする。
(同資料館備え付けのワークシートから抜粋)

などである。
食べ方も面白い。①のほっとくれは、懐に入れ、遊んでいるうちに暖かくなったものを食べる。⑤のとうまめは、海水浴で水着の中に入れ、ふやけたのを食べる、などとある。

戦争中、捕虜にきんぴらゴボウを食べさせたら、食の違いから、根っこを食べさせられたといって、捕虜虐待の疑いを掛けられたらしいが、当時の日本人は、ろくなものを口にしていなかった。
きんぴらゴボウも食べることができず、サツマイモの茎をきんぴらにしたこともある。ご飯も白米100%のものは、食卓に上らず、麦、大豆、さつまいも、大根などを入れた。芋ばかりのすいとんも、よく食べたと言う。そこには、庶民の工夫があった。
戦争はもちろん「悪」であるが、豊かになった現代の食事情が必ずしも幸福につながっていないような気がしてならない。


戦争当時の回覧板。門灯や店灯をつけないようにとか、夜11時以後は室内の電気も消すようになどの注意が書いてある。

武豊町歴史民族資料館

(2014.3.31 リンク見直し)

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