木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

小説の領域

2009年03月17日 | 日常雑感
井上ひさし氏がこんなことを言っていた。
「小説家とは『小家』にして『珍説』を述ぶるもの、とは中国のどなたかが下した定義だそうであるが、これはまことに巧みなものの言い方だ。わずか20字のうちに、小説家という存在の奇妙さ、彼の義務と守備範囲、彼が旨とすべき職業上の倫理などがきちんといいつくされている」(岩波講座 日本歴史 月報22.1977年2月)
僕も井上氏の意見に全く賛成である。
井上氏は、続けて、徳川家康は替玉であった、大石内蔵助が討ったのは偽の吉良上野介であったとか、「東海道膝栗毛」にはゴーストライターがいたとか、由井正雪や西郷隆盛は逃げのびて長生きしたなどの「珍説」を披露したうえで、「歴史家が読まれたら笑い死なさるに違いない」としている。
ただ、これらの珍説は、珍説だけあって、調べていくうちに、すぐに雲散霧消してしまうという。
その中で、どうにも消えないものもあるらしい。
井上氏は、そのうちの一つに「孝明天皇暗殺説」を上げている。
言論統制の厳しかった明治・大正・昭和の官憲がこの風説を野放しにしていた。
天皇が天然痘で死んだのでは庶民と同じであり、神格化しづらいと考えた岩倉具視らが、逆に天皇暗殺説をでっち上げたのではないか、と井上氏は推理した。
すると、調べてもすぐに消えない珍説は、世論を操作しようとする施政者の影がちらつくことになる。
逆に、調べるとすぐに消えてしまう珍説は、英雄の死を悼む心優しいものが感じられる。
「小説珍説のものとしては、目の前にあるその珍説が前者であるのか後者なのか、それを見分けるたしかな眼力をまず養わなければならない」
と井上氏は結んだ。
わずかの文字数の中に、小説を読むような随筆は見事である。

以下は、個人的な主観です。興味のない方は読み飛ばしてください。

小説家は、学者ではない。
歴史を書く際であれば、想像力という助走を得て、飛び石のように点在している石の上を跳躍していくのが小説家であると思う。
その際、置き石の位置を変えるのは反則だ。
置き石というのは、既成事実と伝えられているもの。もし、この石の位置を替えるなら、どうして替え得たかを示さなくてはならない。これが井上氏の言っている「彼の義務」である。出典などを書くのは、「旨とするべき職業上の倫理」というものであろう。
一方では、この置き石の位置替えというのは、魅力的でもある。
西郷隆盛は西南の役では、死んでいなかった、の類である。
ただ、そんな主張をしているうちに、自説のみが正しいと言い出したら、もはや「小説家」ではない。正当性を主張したいがために、こじつけをさも事実のようにねじ込んでしまうと、嘘と本当がごっちゃになって、全部が嘘になってしまう。
小説家は、こんな考えもありますよ、と提示してみせるのが、本分であり、歴史的な発見を世に提示するのは、小説家の本分ではないうと思う。
この置き石の位置替えを行って、研究者から追求されていた作家がいた。
「小説が史実と違うなどという主張はとんちんかんだ」みないなことを言っていたが、小説の領域というものが分かっていないのかも知れない。

と、偉そうな話で済みません。自戒を込めたつぶやきでした。

↓ よろしかったら、クリックをお願いします。