木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

長久手城趾

2009年03月10日 | 城趾
小牧・長久手の戦いは有名である。
再築された小牧城は、小牧に向かう高速道路からも見え、それなりに知名度がある。
しかし、長久手城は存在すら知られていないような城になってしまっていた。
城主は、加藤太郎右衛門景常。
長久手の戦いの際、池田恒興の軍に攻められ全滅した岩崎城主丹羽氏次の姉婿に当たる。
岩崎城が攻められた時、氏次は留守にしていて、城を守っていたのは氏次の弟である氏重と景常であった。
この戦いで丹羽氏一族とともに、景常も滅ぼされたため、長久手城も廃城となる。
はるかに200年以上も経ってから、文化六年(1809年)に、尾張藩士がこの地に観音堂を建てて、供養した。
今では、住宅地の中にぽつんとした広場に観音堂があるだけで、城趾を偲ばせるものは何も残っていない。
ただ、この城趾が位置する場所は、長久手町城屋敷というから、地名に僅かに痕跡を留めていた。


奥に見えるのが観音堂。手前は整地してあるものの、何もない。

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