Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

Klavierkonzerto

2007-04-01 | Media
・ベートーヴェン:交響曲第9番(L.バーンスタイン+VPO,DG)★★★★★
・シューベルト:ピアノ即興曲第90番+第142番(A.ブレンデル,PHILIPS)これは美しいです。★★★★★
・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲全集(R.ブフビンター+ウィーン交響楽団,ORF)2003年の Wiener Festwochen のライブ録音,丸一日かけてベートヴェンのピアノコンチェルト全曲を演奏。★★★★☆
ノラ・ジョーンズノット・トゥー・レイト(ブルーノート/EMI)★★★★☆
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番+2台のピアノのための協奏曲(エミール・ギレリス+エレナ・ギレリス,K.ベーム+VPO,DG)
★★★★☆

ランドスケープ研究 Vol.70 No.4

2007-04-01 | Media
特集記事(近代ランドスケープ遺産の価値とその保全)のなかで、東大の小野さんが「「遺産」という他から傑出した価値が想定されるものに対し、「公園」という生きつづける場所の意味ということを考えると、遺産という概念はもはや無効なのではないか、しかし一方で遺産としかいいようのない公園もある、・・・」と迷いを吐露している(近代の公園の文化的価値とその保全の意義)。全く同感である。おそらく遺産と資産の両立が求められているのだと思う。

ほかにも武内先生へのインタビュー記事「国土形成計画の策定に向けた提言:生きた総合指標としてのランドスケープ」も必読。 EUのランドスケープ条約の全文が掲載されている。この記事の中で、武内先生は、美しいものをつくることが目的なのではなく人間と自然の良好なかかわりの形成と維持が重要であり、その結果として人々が美しい環境だと感じることが重要である、・・・「循環」と「共生」が課題であり、「美」のために何かをするのは本末転倒である、という意味のことを述べている。また、企画責任者の横張先生もUNESCOEU(のとりくみ)においては、審美的、美の対象としてランドスケープが語られることがほとんどない、と指摘している。

全くそのとおりであるが、ひとと自然の関係が良好になれば、その結果として必ず「美的」なランドスケープが現出するかどうかは保証の限りではない、という点に我々は留意すべきである。しかるに欧州のランドスケープは政策レベルにおいて美の対象として語られていないにもかかわらず、(少なくとも僕には)美しくみえるのはなぜか。このへんをちゃんと考えていく必要がある。国土のランドスケープ・プランニングは、メタ・デザイン論として語られるべき余地を十分に残していると個人的には思っている。プランナーや行政官は、それが「目的」ではないにせよ、求める空間像(←「美」というよりも)=ひとと自然の関わりの空間的イメージというものを明確に持っていなければならない。こう思うのは、「醜い循環や共生」が巷間(日本)には溢れているし、循環や共生はときに「美しくない開発」の「方便」になることだってあるからだ。