Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

羊が人間を喰(くら)う

2005-06-04 | Japan
かつてトマス・モアは、エンクロージャー(囲い込み)を称してそう言った(『ユートピア』)。彼がこう呼んだ、いわゆる第1次エンクロージャーは、15世紀半ばから16世紀にかけて行われている。マニュファクチュアが発達し、羊毛価格の高騰がみられた時期である。少数の地主や領主が牧羊や集約的な農業を行うため土地を囲い込み、そこから閉め出された多くの小作人達は浮浪者として路頭に迷うことになった。その後、17世紀半ばから19世紀半ばにかけて、農業経営合理化と農地個人主義の確立のために再びエンクロージャー(第2次)が今度は議会承認の下に実施された。再び土地を追われた農民達は今度は、工場賃労働者として都市に流入し産業革命を支えた、と一般には説明されるが、この見解は必ずしも正しくないようである。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C140C100.HTM

しかしいずれにせよ、富を得たのは、一部の地主階級と農業資本家達であった。英国の、あの田園風景はひとまずはこのような「歴史」によって規定されている。

戦後の日本(というか占領軍)は「民主化政策」の一環として、ほぼこれと逆のことをやった。すなわち、戦前日本資本主義を支えた大地主(正確には寄生地主制)を解体し小作人に農地を分け与えた(正確には安価で売却した=自作農創設/農地改革)。このときまで日本の農耕地はその45%が地主の所有にあった。
http://www.tabiken.com/history/doc/E/E171R200.HTM

GHQは、戦後経済危機の打開、政治情勢の安定化をはかるとともに、共産主義化の温床と見なされた前近代的な農村や労働のあり方を解体した。この、細分化された農地は、その後さらに(農地)転用や相続により極限まで分筆されていき、今のグチャグチャの日本の風景の「起点」になったといえる。面白いのは、この、占領軍のイニシャティブによる、いわゆる第2次農地改革の原案を提案したのはほかならぬ英国である。このことと、英国の「あの風景」、大地主としての特権階級の存続を思う時、非常に複雑な思いが僕はする。

「民主化」の名の下に、我々は「風景」を犠牲にしたといえるかもしれない。戦争が引き金になっていることを思えば、「戦争の代償」として風景を喪失したといえるかもしれない。まあ、もし農地改革が行われなかったら、日本の風景はもっとましなものになっていたかどうかはよくわからないけれど、風景論という視点から農地改革を評価してみること(実はあまり行われていない仕事である)に今日的な意義があるとすれば、それは、「制度」が風景(ランドスケープ)をつくりうるという事実をもののみごとに証明してみせてくれることだ(結果は悪いランドスケープであったが)。僕が英国のエンクロージャーに注目する理由もここにある。まさに制度設計はグラウンドデザインそのものなのである。