Sketch of the Day

This is Takeshi Kinoshita's weblog.

42nd IFLA @ Scotland

2005-07-07 | Great Britain

Friday, June 24, 2005
午前中、同僚と打合せをして雑事を住ませてから昼頃自宅に戻り成田へ。妻は韓国で開催されるシンポジウムに出席するため息子を連れて釜山に向かった。妻子を見送ってからフライトまでの空いた時間を仕事(プレゼンの準備)に充てた(悲)。待合スペースはAC電源(のそばの席)が取り合いだ。用を足すちょっと僅かの間に他の人にとられてしまった(笑)。みんな忙しいのね。

Saturday, June 25, 2005
早朝4時(現地時間)にパリに到着、乗り換えに約3時間あったので、まだ人影まばらなドゴール空港のPCスペースでまた仕事。結構はかどった。朝8時過ぎ、1年ぶりのエディンバラに到着。涼しい! シャトルバスで中心街へ。勝手わかった街は気楽である。それでもやはり懐かしい。終点で路線バスに乗り換えて予約してあるB&B(Ashden House)のあるメイフィールド(Mayfield)へ。ここも懐かしいところで僕が3年前にはじめてスコットランドにやってきて旅装を解いたのがやはりこの地区のB&Bだった。

荷物を預けて、街に戻る。今日の目的は書店での資料収集。なんとエディンバラ大学御用達の街で一古い書店ジェイムズ・スィン(James Thin)が違う本屋ブラックウェル(Blackwell's)に変わっていた。ショック。変わったのは残念だけど、地誌・町史のコーナーの充実ぶりはあいかわらず。むしろ増えた感じだ。帰りに買う本を物色して別の書店へ。今度は大型チェーンのウォーターストーン(Waterstone)。昼、マークス・アンド・スペンサー(Marks & Spencer)でサンドイッチとLIST(エディンバラ/グラスゴーの情報誌)を買って、プリンスィズ・ストリート・ガーデンズ(Prince's St. Gardens)へ。土曜のお昼とあってものすごい人出。

ところで、今年のエディンバラは大騒ぎである。もうすぐ、フェスティバルやその前夜祭フリンジのシーズンが始まるということもあるが、今年はそれに加えてG8サミット(パースシャーのグレンイーグルズ)が来月開催されるのに合わせて、様々なイベント、Make Poverty History(アフリカ救済)やLive 8(ロックアーティストのボブ・ゲルドフが主催)等、対G8の政治的集会が開催されることになっている。その余波に街は既に包まれ始めている。3秒間に一人の幼児が亡くなっているという世界の実態を改善することに貢献できたのだと、後生に誇れるような偉大な世代に我々はならなくてはならないというのが、彼らのスローガン。くだんのLISTもめずらしくそういった政治的なメッセージを強調している。もちろん、アフリカの困窮はかつてそこを植民地化した自分達(英国をはじめとする列強諸国)がことの発端なんだから、他国の政治やシステムを問題視したり、助成の手をさしのべる前に自ら反省しろという冷めた論調もあり、世論は決して一枚岩ではない。そうこうしているうちに、プリンスィズ・ストリートを関連のパレードがやってきた。

昼飯の後、ウェイバリー駅(Waverley Station)のネットカフェに行くが、なんとここも無くなってコンビニに替わっていた。15時過ぎ、ローヤルマイル(Royal Mile)経由で先の書店(Blackwell's)に引き返し、『MAKING EUROPEAN SPACE』という本を買い、ついでに行政コーナーでスコットランド自治政府(Scottish Executive)のフリーの資料をいくつか手に入れ帰路につく。BBに戻る。シャワーを浴びてから、チャイニーズのテイクアウェイに行く予定が、寝不足後の強行軍がたたってすっかり寝込んでしまった。目覚めたのはのは23時過ぎ(まだ薄明るい)。食べるものはあったけど眠気が勝った。

Sunday, June 26, 2005
朝食時、たまたま泊まりあわせた日本人と会い歴史、庭園談義に花が咲く。メドウ(Meadow Park)経由でローリストン・プレイス(Lauriston Place)へ。王立病院(Royal Infirmary)が郊外に移転したのを機に、その跡地と建物が複合ビルに修復されることを知る。エディンバラでできた唯一にして最高の友達 ボビー(Greyfriars Bobby)に挨拶し、キャンドル・メーカー・ロウ(Candle Maker Row)を下ってグラスマーケット(Grassmarket)へ。さらに、ヴィクトリアン・ストリート(Victorian St.)からキャッスル・ヒル(Castle Hill)に上がり、ラムゼイ・ガーデンズ(Ramsay Garden)を通ってマウンド(The Mound)に出る。ウェスト・プリンスィズ・ストリート・・ガーデンズ(West Prince's St. Gardens)で一休みし、シャーロット・スクエア(Charlotte Square)へ。ナショナル・トラスト・フォー・スコットランド(National Trust for Scotland)が管理するジョージアン・ハウス(Georgian House)を見学。関連資料を数冊購入。

ローズ・ストリート(Rose Street)のネットカフェ「EasyInternetCafe」でメイルのチェック(30分1ポンド)。マウンドに引き返し、そこから42番バスでジョージ4世橋(George 4th Bridge)の懐かしのイタリアン・レストランへ。日替わりスープとカプチーノで遅めの昼食。見知った店子さんはいなくなっていた。昼食後、チェンバー・ストリート(Chambers St.)経由でサウス・ブリッジ(South Bridge)に出、ニコルソン・ストリート(Nicolson St.)のブラックウェルへ。チェックしておいた『Landscape and Western Art』を購入。最寄りのバス停から8番バスに乗りメイフィールドのB&Bに戻り、プレゼンの準備。

Monday, June 27, 2005
会議初日。都心を迂回する45番バスで会場のヘリオット・ワット大学リッカールトンキャンパス(Heriot-Watt Univ., Riccarton)に向かう。9時スタートなので、朝食もとれずに、8時のバスに乗る。久しぶりに忙しそうな英国の朝の風景に触れて身が引き締まる思い。近所の雑貨屋で「Scotsman」を買い小脇に抱えてバスに乗る(←悪い癖)。ついでに「Scots Magazine」もゲット(←さらに悪い癖)。名門パブリック・スクール「George Heriot's School」のあるローリストン・プレイスでは、親の運転する高級車に乗って登校の子ども達が続々と降り立つ(エディンバラ中心街の文教地区で有名高校、大学等がひしめいている。どこの国も文教地区というのは皆同じような雰囲気をもっている。おしなべて、高台で、見るからに環境や治安が良さそうである)。

45番バスは乗って正解。クレイグロックハート(Craiglockhart)、ジュニパーグリーン(Junipergreen)等々、絵に描いたようなパストラルな集落をバスは通り過ぎてゆく。朝の素晴らしいショートトリップだった。9時ちょっと前に会場に到着、この日のテーマは「Urban Growth and Decline」。会議の進行が実にいい加減。というのは日本の見方で、押さえるところは押さえ、余計な神経は使わずリラックスしながら大きな問題なく議事が進行するという感じだ。会場の大学で、兵庫県大の一ノ瀬さん、北京林業大のミスター劉、そして、3年前にお世話になったキャサリンと再会。曰く「プログラムに(あなたの)名前があったので来ると思ってたわ」。家族共々みんな元気とのこと。

会議について。あらためて「公園(の再生)」が着目されていること。一ノ瀬さんの発表会場が変更になったことが関係者に全く知らされないまま、人影まばらな会場で彼を含む2名の発表が行われた(チェアマンもいない)。機械係のオッサンが「質問はありますか?」と、急遽、司会の代役(笑えたぞ)。さすがに事務局側は謝って、明日、発表の場を設けさせていただきます、と。それにしても、ずさんな進行管理だ。

会議終了後、エディンバラ植物園(Royal Botanic Garden Edinburgh)に場所を移して(バスで送迎)、公式レセプション。20ポンド(約4千円)とられたが、出たのはグラスワインと簡単なつまみだけ。おまけに7時について8時に終わりだと。おいおいそりゃないだろ。レセプション会場でシェフィールド大学(Univ. of Sheffield、www.shef.ac.uk/landscape)とキングストン大学(Kingston Univ., www.kingston.ac.uk/landscape)の卒業制作の作品集をもらう。内容はともかく、アピアランスはすばらしい。

一ノ瀬さんと連れだってバスで中心街へ。ローズ・ストリートのとあるパブに入り、エールで乾杯。ジャケットポテトとサーモンで食事。(不味くはないが美味くない) 時すでに22時。まだぜんぜん明るいのだが、バスでそれぞれの宿に帰還。睡魔に襲われ、バス停を3駅ほど乗り過ごす。歩いてとぼとぼ帰る。宿に戻り、シャワーを浴び、明日のプレゼンの準備をと思うも、眠気に勝てず就寝。

Tuesday, June 28, 2005
5時起床。発表の準備。今日も朝食抜きで会場へ。会議のテーマは「Rural Growth and Decline」。9時開場。「cabe space」の活動について報告があった。また、SNH(Scottish Natural Heritage)の職員が、スコットランドのランドスケープの特徴について、僕の発表の前に報告したのだが、あとで関係の書物をみると「Landscape Character Assessment」のプロジェクトに関わった重要人物であることが判明。く~、もっといろいろ聞いておけばよかった。メイルでも出してみよう。12時ちょっと前から約20分間、僕のプレゼンテーション。昨年関わった佐倉市の「市民文化資産条例」について紹介、質疑応答を行った。あるおっさんが、よく意味が理解できない、へんな質問(おそらく経済活動と文化的バックグラウンドの違い、ルーラルランドスケープの保全の両立についてどう思うかみたいな質問だったと思う)をして困った。

ランチを食べて午後は一ノ瀬さんと中心街に出た。それぞれ目的があったので、夕方落ち合う約束をして別れた。僕はコックバーン・ストリート(Cockburn St.)にある市役所の開発課へ。「Edinburgh City Local Plan」の「Consultation Paper」、スコットランド自治政府の「Tree Preservation Orders Consultation Paper」等を手に入れたほか、Nicolson St.のBlackwell'sで『Understanding Historical Landscape』を購入。竣工間近のスコットランド議会棟(Scottish Parliament)再訪。微妙! 古地図センター(Old Map Heritage Centre)へ。地図好きには目が眩むような店。高くて手が出ないが)で一ノ瀬さんと落ち合い、ジョージ4世橋のイタリアンレストランで夕食。

Wednesday, June 29, 2005
朝6時に宿を出発。タクシーを呼んでもらい、ウェイバリー・ブリッジ(Waverley Bridge)で空港行きのシャトルバスに乗り換えエディンバラを後に。また来る日まで。それにしても今回は短かったが実り多い都営(→渡英)だった。エディンバラ空港で「Back to Nature」という見出しに引きずらて、「Newsweek」を買い機内で読んだ。人口減少により疲弊した農村地帯を森林にもどすこと、ドイツにオオカミがもどってきたこと等。

リスク回避のシステム

2005-05-26 | Great Britain
やはりベテランの言うことは違う。。。「証拠」という、写真や映像のもつ役割にはすごいものがありそうだ。頭ではわかっていても、さすがに自分で実行する(写真を撮る)となると、引いてしまうものがある、というのがおおかたの日本人のメンタリティーであろう。先日紹介したブログのお兄ちゃんはべつに異常でもなんでもないのである。さすがにCCTVが国土の隅々にまで行き渡っている国だけのことはある。リスクを最大限に回避する術を個々人が身につけ、それでも被害に遭ってしまったら、今度は徹底的に責任の所在を追求する、というわけだ。

だから、「国のシステムがリスク回避に傾注していることで、顧客サービスが考慮されない」というのは大いに頷ける。そうだよな。イギリス。っていうか、国際的に見れば、日本がむしろユニークなんだと思うけど。。私の妻は韓国人であるが、顧客サービスの行き届いた(と称して妙にビジネスライクな)日本の接客のあり様をあまり好いていない。あんなふうにマニュアル的に接してもらうなら(例えばファストフードが典型)、むしろぶっきらぼうな方がよほど人間味があっていいという。だけど、ぶっきらぼうさがたんに「やる気のなさ」ではなく、「責任回避」や「リスク回避」に起因するものになってくると、社会全体が妙にぎすぎすしてくる。とはいえ、大きく見て、いまの日本社会も間違いなく「リスク回避」のベクトル上にある、と思う。

英人だって苦労している

2005-05-24 | Great Britain
もし僕が英国でこんな目に遭ったとしたら、英国生活に慣れていない外国人(とりわけのんびりした日本人)だからこんなことになったのだ、とか考えて妙に自省しちゃうのがオチだったろう。でも、英人だって苦労しているんである。ひどい目に遭うことだってあるのだ。あたりまえだけど。でも、むしろ怖いのはこのブログ書いてるお兄ちゃんである。バス追っかけてって、証拠写真撮っちゃうんだから(結局失敗したみたいだけど。でも顔を隠すドライバーもすごいよね)。やっぱり英国って怖いよ。

ロイヤル・クレッセントのハハー

2005-04-15 | Great Britain
Royal Crescent, Architect: John Wood Jnr., Erected: 1767-75, Bath, England, UK

ロイヤル・クレッセントにハハー(Ha-ha 写真)があるということは訪れるまで知らなかった。ハハーと言えば普通はカントリーハウスでみられる仕掛けである。それがタウンハウスの古典、ロイヤル・クレッセントにつくられているのだから面白い。とはいえ、このあたりは創建当時、バースの町はずれで牧草地や入会地(Common)が広がっていた。実際、先日、ある書物(書名は忘れた)をぱらぱらと捲っていたら、ロイヤルクレッセントの古い写真が載っていて、驚いたことに、ハハーの外側に実際に羊が放牧されていた。あたりまえとは言え実用を兼ねたものであったのだ。そのような立地とこの建築の規模、それから後述する建築の性格からすれば、やはりハハーがつくられてもおかしくはないのだ。

この、ハハーがある芝生地は、いわゆるプライベート・ガーデン(Private Garden)でクレッセントの住人だけしか入ることができない。写真に写っている人物の立っている側は、公園(Royal Victoria Park)から地続きのクレッセント・フィールド(The Crescent Field)と呼ばれる区画で、恐らくクレッセントの地所の一部と考えられるが、このカップル達は公園のほうから歩いてきたのであろう。しかし、立ち入れるのはここまでである。このハハー、写真ではそのようには見えないが実際には人の背丈近く高低差がある。よく見ていただきたい。カップル達の影がハハーを超えていないことにお気づきであろうか。

ロイヤルクレッセントのあるバースの街は古くからの温泉地。そこに建てられたクレッセントは今で言う高級コンドミニアムで、著名人や実業家ら一級の金持ちたちをテナントにもつ別荘であった(現在は定住型のテラスハウス)。彼らがクレッセントに何を期待したかと言えば、都会では味わえない「パストラル」であったことは容易に想像がつく(イギリス人とはそういう人たちだ)。それでいて、都会的な利便性、居住性、上質な空間をも期待したところにこの物件が生まれ落ちた背景があるだろう。正真正銘のパストラルな、カントリーハウス的な風景を備えているという点で、とてもユニークなタウンハウスと言えるのではないだろうか。たんなるプライベートガーデンを内包したタウンハウスとは明らかに一線を画すものである。ハハーの存在がそのことを雄弁に物語る。

A Genealogy of Pastoralism

2005-04-13 | Great Britain
バーケンヘッドパーク Birkenhead Park(写真)はリバプール近郊の Metropolitan Borough of Wirral の住宅街の中に今もある。J.パクストン(Joseph Paxton)の設計により1847年に開園している(貴族庭園の開放ではなく行政によって整備された公園)。この公園が重要とされる理由には幾つかあるが、デザインという面からみると、イギリス風景式庭園を範とするピクチャレスクな空間様式を持っていること。何も知らない人がこの公園に放り出されて、ここは貴族のカントリーハウスですよと言われても、にわかには否定しがたい風貌をこの公園は備えている。

さらに重要な点は、かのフレデリック・L・オルムステッド(Frederic Law Olmsted)がニューヨークのセントラルパーク(1858)の設計に先立つ1850年にこの公園を訪れているということだ(http://www.wirral.gov.uk/er/birkpark.htm)。写真の風景が、セントラルパークのBethesda Fountainあたりの雰囲気と酷似しているように見えるのは僕だけであろうか。実際、セントラルパークの歩車分離された園路のサーキュレーション等は、この公園に倣ったものとも言われている。

17~18世紀にかけてイギリスの庭園で登場・発展した「風景式」は、その後18~19世紀にかけて欧米の公園に瞬く間に伝播し、大げさに言えば、やがては世界中の公園を席巻することになる。その影響力は20世紀を通して持続し、いまだに巨大な風景モデルであり続けている。

オルムステッドのバーケンヘッド訪問には後日談がある。オルムステッドはその後1898年にシカゴ郊外にリバーサイド(Riverside)という有名な郊外住宅地をつくる。そしてできたてホヤホヤのリバーサイドをなんとE.ハワード(Ebenezer Howard)が訪れていた可能性があるという(Jonathan Barnett, The Elusive City: Five Centuries of Design, Ambition and Miscalculation, 1987)。同年、ハワードは田園都市(Garden City)の構想をイギリスで発表している。これらの関連性を証明する確たる史料等が残されているわけではない。しかし、その後のパストラリズムの系譜を思い描くと両者の間に何らかの因果関係があったのではないかと想像したくなる。

つまり、オルムステッドはパストラリズムを都市~地域スケールにまで拡大してパークシステムを実現する。一方、ハワードの構想はやがてアンウィン(Raymond Unwin)に受け継がれ、レッチワース(Letchworth, 1903)やウェルウィン(Welwyne, 1919)等のガーデンシティとして実体化されていく。さらに言えば、パストラリズムの究極の展開が、ロンドンを田園でエンクローズしてしまった大ロンドン計画(Greater London Plan, Patrick Aberecrombie, 1944)のグリーンベルト(グリーンベルトも世界中に伝播している)であろう。

いいけど

2005-02-11 | Great Britain
2005.02.11
ついにやっちゃった。。。
チャールズ英皇太子再婚へ 愛人カミラさんと(河北新報社)

チャールズとカミラのツーショットにあきたらず、ダイアナとカミラのツーショットまでそろえたBBC(笑)。こういうのってすごくイギリスらしいよね。
In pictures: Charles and Camilla(BBC)

Q&Aもあるぞ。しょっぱなから「二人には結婚歴があるか?」という質問は笑えるじゃないか。それから「カミラはクイーンとは呼ばれるか?」とか。呼びたくないんだろうな、きっと。

ところで、BBC News UK版、England版、Wales版ではロイヤルウェディングの記事が掲載されているが、BBC Scotland、BBC Northern Irelandでは全く報道されていないところもこれまたUKのお国柄というほかない。

英国旅行日誌 2004/08/28(SAT)

2004-09-10 | Great Britain
スコットランド観光協会4つ星指定*1のB&Bの朝食は最高だった。4つ星ホテルに泊まったのはたぶん初めてだと思う。ホテルの名はWell View Hotel*2。教員をリタイアした夫婦が古い屋敷を買い取ってホテルにしたもの。調度品、食事、応対等々、随所にこだわりの見られる良いホテルだった。特に食事の味付けがあっさりしていておいしかった。B&Bの後者のBはもちろんBreakfastだが。B&Bと名乗っておきながら朝食をおろそかにしている宿のなんと多いことか。英国人は食事を軽んじる民族である(お茶の時間は大事にするけど)。そんななかでこのホテルのスコティッシュ・ブレックファースト*3は脂っこくなく上品な味付けで好感が持てた。このモファットの町には2年前、亡くなった義妹と夕食のために立ち寄ったことがある。その時夕食に入ったパブに昨日行ってみた。何も変わっていない店内にいると、その日のことがありありと思い出されて、今は亡き義妹がすぐそこにいるような気がした。

M6に入ってカーライル(Carlisle)のサービスエリア(英国ではたんにServiceと言う)で、スコッツマン(Scotsman)*4を買った。一面トップに、女子マラソンに続いて10,000メートルも棄権したポーラ・ラドクリフの記事が写真入りで大きく載っていた。横に積まれていた低俗なタブロイド紙では「普通の女の子に戻ったポーラ」とか、「プア・ポーラ!」とかぼろくそにこきおろされていた。いずこも同じである。M6からA65に入り、ヨークシャーデール国立公園(Yorkshire Dale National Park)の南縁に沿ってスキプトン(Skipton)を越えさらにハワース(Haworth)に出た。

ハワースはかの有名なブロンテ3姉妹の生家がある町である。『嵐が丘』の舞台といったほうがわかりやすいであろう。この町を起点にあるいは貫通して無数のパブリック・フットパス(Public Footpath)が郊外に伸びている。『嵐が丘』に限らないが、文学作品をより深く理解するには、現地を訪れることが大事だ。この町に「嵐」はやはりふさわしいワーディングなのである。でも、文学作品というのは風景をとらえる装置でもあるわけだから、世界中の人々が「嵐が丘」のイメージでのみこの町を見てしまうというのもなんだかスゴイ話である。儲かってるからいいけど。

昨日から久々のカントリーロードを走って。ちょっと目が回ってきた。だって、ほとんど造成していない地形コンシャスな道を平均60マイル(100キロ)以上のスピードでかっ飛ばしていく。信号が全くなくて空いていて、しかも2車線だから流れに合わせて走り続けるしかない。1~2時間脇目もふらずに時速100キロでジェットコースターのようにワインディングロードを走るのは慣れていない者にとって少々きつい。ホントに目が回るのだ。しかも、ジジイにプレッシャーをかけられていたりするから癪に障る。子供を乗せているので、レーシングスピリットを静め、所々に設けられている待避帯で後続車をやり過ごすよ。つきあいきれない。こっちはゆっくりとパストラルな風景を楽しみたいのだ。

ハワースを見学後、一路マンチェスターへ。留学中の日本人I氏宅で1泊させてもらうことになっていたからだ。I氏はマンチェスター大学で1年間研究員として研究中である。妻の同僚だった人物でやはり家族で在英中。ご子息ととうちの息子とも知り合い(といっても互いに4歳と3歳であるが)の間柄である。マンチェスターはでかい町だった。マンチェスターで知っていることといえば、かつて名を馳せた工業都市で英国の帝国主義と近代化を支えたこと。それから、マンチェスター・ユナイテッドくらい(←乏しい知識だ)。I氏とテスコ(TESCO)*5で中華とインディアンとイタリアンの冷凍食品のセットとアルコールを買い出しに行く。たくさん買ったので久々にレジであわてた*6。I氏宅に戻り食事。なかなかイケた。途中韓国人留学生のL氏を交え賑やかな宴は11時過ぎまで続いた。

*1 英国のB&Bは観光協会によりすべてランキング(5段階)されている。このランキングはかなり正確で、当然高いランクほどお値段もはる。あくまで宿泊施設としてのホテルの質が問われ、コストパフォーマンスの善し悪しは問われない(と思う)。例えば、同じ質で宿泊費が安くても高くても星の数は変わらない(と思う)。経験的に。。。日本でランキングをやったらホテル側から間違いなくいやがられるが、英国では星数の少ないホテルが営業危機に陥るというようなことはない。予算に応じた選択を助けるためのユーザー本意のシステムなのである。

*2 スコティッシュ・ボーダーズ(イングランドとの国境付近の行政区域でのどかな田園地帯が広がる美しく麗しい地域。毛織物の老舗「ハリス・ツイード」。その名の元となったツイード川(River Tweed)はフライフィッシングの聖地)の保養地モファット(Moffat)のタウンセンターからクルマで1~2分の小高い丘の中腹にあるホテル。見晴らし良好。フロントヤード、駐車場あり。アドレスは、Ballplay Road, Moffat, dumfriesshire, DG10 9JU。お勧め!

*3 スコティッシュ・ブレックファーストは、トーストにコーヒーもしくは紅茶(いずれもおかわり自由)のほかに、かりかりベーコン、ソーセージ(こいつがうまい)、ビーンズ、マッシュルーム、ベイクド・トマト、ベイクド・ポテト等がワンディッシュに盛られる。たまにハギスのスライスがついたりすることもある。ボリュームたっぷりだけれど、野菜が少ないので、お昼はサラダとかフルーツがいいだろう。朝食の量が多いのでお昼はその程度でも十分だ。ところで、同じメニューがイングランドではイングリッシュ・ブレックファーストと呼ばれ、ウェールズではウェルッシュ・ブレックファーストと呼ばれるからややこしい。特にスコットランドで、間違って「イングリッシュ・ブレックファーストをくれ」なんて言うと、必ず「いや、スコティッシュ・ブレックファーストだ!」と訂正される(笑)

*4 スコットランドのナショナルペーパー。このサービスエリアを過ぎるとイングランドに入るので記念に買った。2年前はブロードシート(いわゆる大判サイズ)だったが、今年、イングランドのデイリーテレグラフ紙に買収されて、タブロイド版になっていた。ちょっと残念。スコッツも複雑な気分だろう。

*5 英国の大型スーパー・チェーン。英国の大型スーパーではほかにセインズベリー(Sainsbury's)、セイフウェイ(Safeway)等が有名。いちおう格式のランクがある。上記三者では、セインズベリー>テスコ>セイフウェイ、といったところか。街中のコンビニのような小さなスーパーでも、ほとんどクレディットカード対応である。ブリティッシュは例えばコーラ1本でもカードで精算することは決して珍しくなく、店員にいやがられることもない。完全なキャッシュレス社会である。

*6 英国のスーパーマーケットのレジでは、まずカゴに入れた商品をぜんぶベルトの上にぶちまける。するとそのベルトが動いて商品が店員さんのほうにズズズと運ばれていく。店員さんは「Hi Ya!」と言って、バーコードセンサーに商品を次々にかざしていく。ここまではまあよい。しかし、この後、日本だと値段が読み取られた商品は店員さんによって再びカゴに丁寧に入れられ(ずいぶんうまく入れるなぁ、なんて感心することもある)のだが、英国の場合はそんなことはしてくれない。値段が読み取られた商品はセンサーの先にある平たいバケットのようなスペースにポイポイとスライドされるだけである(スロープになっていて丸いもの、例えばリンゴなどはころころ転がっていく)。ボーっとしている暇はない、値段チェックの済んだ商品を急いで買い物袋に入れないと、次の客がチェックに入れず待たせることになるのだ。

英国旅行日誌 2004/08/27(FRI)

2004-09-08 | Great Britain
エディンバラ市役所(The City of Edinburgh Council)の都市開発課(City Development)に行く。英国の役所(地方自治体)は、日本のように各セクションが入ったでっかい庁舎がでんとあるわけではなく、セクション毎に街中のビルを間借りしてバラバラと散らばっていることがほとんどである。だから、目指す課ががどこにあるかをまず確認しておかなければならない。2年前の経験から都市開発課のアドレスはわかっていたけど、英国は引っ越しも激しいから安心はできなかった。しかし、幸い目指す都市開発課は2年前と同じ場所にあった。

ここに来た目的は、開発計画(Development Plan)のレポートを入手するためだ。古い19世紀のビルディングに間借りしたその事務所内に入る。いずこの役所も同じで、図筒を抱えたいかにもデザイナー、プランナーといった御仁がなにやらカウンターで順番を待っている。僕もその列に加わる。見ていると、これまた役所らしく、デザイナー氏、プランナー氏への役人達の対応はお世辞にも真摯とは言えない。やがて僕の番が来た。役人氏、こんな所に東洋人が何の用だ?と言う顔で僕を見る。

ストラクチャープランのレポート(Written Statement)を買いたいんですが、と切り出す。「買いたい」と言ったのは、2年前、「欲しい」と言ったら難しい顔をして「文書が必要だ」と言われ、「買いたい」といったらニコニコしてすぐ持ち出してきたという経験による。だから今回は迷わず「買いたい」と切り出したのだ。ところが、やっこさん(いや女性だったが)、2年前に僕が買った古いエディションを「これかしら?」と言って持ち出して来やがった。間髪を入れず「そうじゃない、新しく発行された最新のものだ!」と切り返す。するとなにやら書棚を漁って探し始めたがどうやら見あたらない様子。

その女史、同僚に援助を求めて今度はその同僚がガサゴソと書棚を探す。どうやらストックが尽きたようで、「書庫から出してくるから待て」とその同僚氏。たいして時間はかからなかったが全部で4分冊のレポートで各5ポンド(約1,000円)するという。いい商売してるじぇねーか。同僚氏「これにするか?」と、一番大事なレポートを一冊差し出してきた。僕が全部買うなんてはなから思ってないのだ。「いや全部買う」と50ポンド紙幣*2を差し出す僕。すると「釣り銭がないから、どっかでくずしてこい、これ(レポート)とっといてやるから」とぬかしやがる。反論しても埒があきそうもないので、しかたなく、近所の土産物屋でウォーカーのバターブレッドを買ってお金をくずして再びもどると、またまた長蛇の列。また並ぶのか、やだな。と思っていると、かの同僚氏、今度は違うカウンターで手招きして僕を呼んでいる。にっこりと20ポンドを受け取って、「領収書を書いてやる」となんだか嬉しそう。お金をもらうときだけニコニコしやがる。。。まったく。

たかだかレポート4冊買うのにえらい時間を食った。しゃくだから、役所にあるフリーの資料を片っ端から漁ってきた。無料とは思えない結構いい資料*3がたくさんゲットできたので、まあよしとしよう。しかしこれだけの資料が無料で公開されている(周知徹底を図るため)というのは驚くべきことだ。日本では全く考えられないことである。

午前中の市役所訪問とは正反対に、午後のスコットランド自治政府(Scottish Executive)の訪問は大失敗(収穫ゼロ)であった。スコットランド自治政府というのは国の官庁*4だ。まず、駐車場に入れない。「何の目的で来た?」「通行証は?」。「日本から研究目的できた」と僕。しばらく看守は難しい顔をして、仕方なさそうに「こいつに名前とクルマのナンバーと来庁の目的を書け!」。ようやくゲートが上がる。後ろは大渋滞。でもこういうシチュエーションでも、英国人は文句を言わず黙って待っててくれるので気が楽だ。とりあえず第一関門突破。つづいてレセプションである。怖そうなオッサンがガラス張りのドアの横に座っている。みんななんだか磁気カードのようなものをセンサーにあてがって入っていく。うひゃー、そんなの持ってないぞ。

おそるおそる受付氏に目的を告げる。「National Planning Framework for Scotlandという資料が欲しい」と僕。間髪を入れず「アポはとってあるか?」と受付氏。「いや、ない」と僕。にべもなく「それじゃダメだ」と受付氏。「日本からはるばる来たんだ。今日しか時間がないんだ」と僕。「いやダメだ」と受付氏。。。このまま引き下がるわけにはいかない。しばらく考えて、ザックから資料を取り出して。「ほらこれだ。インターネットでもちゃんと公開されてて、だれでも貰える(買える)ちゃんとした公開資料だ。この現物が欲しいんだ」と僕。受付氏、その資料を手にとってちらっと眺めてからすぐに返して、「まず、コンタクトが必要だ、それがなけりゃだめだ」。じゃ、いま開発課(Development Department)にコンタクトをとってくれ、せめて他に入手できる場所があるか聞いてくれ」と僕。「いやだめだ」と受付氏。。。こりゃだめそうだなと思って、ふーっとため息をつき、あきらめて「わかった」と僕が言うと、その受付氏「すまんな」と一言。

さすが、国の役所だ。ガードが堅い、仕方あるまいと思いつつ、役所を後にし、妻子の待つショッピングセンターへ。妻子はそこで、2年前につくったスコットランド人の友人(母子)と食事をしながら僕を待っていることになっていた。合流して、あえなく退散してきたことを告げると、最近やたらセキュリティがきつくなって、アポをとっていても、手荷物を全部調べられるとの由。テロ対策なのである。まあ、英国の国際的立場を考えれば、スコットランド自治政府といえど、セキュリティにうるさくなって当然である。アポをとっていかなかった俺が間違いだったのだ、と自分に言いきかせ、気持ちを入れ替えて、次の目的地モファット(Moffat)に向かった。途中、スコティッシュボーダーズの美しいまちピーブルズ(Peebles)で小休止。informationでこれまたしこたまフリーの資料をどっさりと仕入れる。とても、ただとは思えない資料ばかりである。庭園案内、フットパス案内、乗馬道案内、フィッシング案内等々。いずれも豪華なカラーのリーフレット。こりゃ、税金高いはずだ。。。

*1 余談だが、Developmntを我々は「開発」と訳すことが多いが、言うまでもなくこの言葉には「発展」という意味もあって、英国でDevelopment Planと言った場合むしろ後者の意味のほうが強いと思う。英国の場合、いわゆる物的な開発行為なんてのは計画全体からすれば微々たるヴォリュームで、大部分は保全系の話や経済発展、社会改善といった内容であるからだ。
*2 一般的な買い物で50ポンド(約1万円)紙幣が流通することはまれだ。差し出すとたいては偽札でないか確認される。べつに悪意はない。
*3 結局この日はストラクチャープラン(edinburgh and the lothians structure plan 2015 finalised plan, action plan, supporting statement and publicity & consultationの4冊)のほかに、Balerno, Hermiston, Colinton, Ratho, Craiglockhart Hills, Shandonの6地区の保全地区特性評価書(Conservation Area Character Appraisal)と計画憲章(Planning Charter)を6分冊(Development Control, Local Planning, Planning Enforcement, Street Naming, Tree Oritection and Access to Planning Information)を無料でゲット。実り多い市役所訪問であった。
*4 英国(UK)は現在、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドによる緩やかな連邦制をとっており、イングランドを除いてそれぞれに議会と自治政府が設置されている。法律も全く異なるし、税率もわずかであるが独自に決めてよいことになっている。イングランド議会・政府というのはなくUK政府(ブレア首相の)がこの役割を担っている。

英国旅行日誌 2004/08/26(THU)

2004-09-07 | Great Britain
2年前のホストティーチャー、キャサリン・W・トンプソン教授に会いに行く。グラスマーケットの公共駐車場に駐車して通い慣れたなつかしいキャンパスに。彼女の部屋に行ってみるが不在。今回の渡英は急に決まったこともあり、事前にアポを取っているわけではなかった。だから、エディンバラに滞在する2日間で彼女に会えなければそのときはしょうがないと諦めていた。しかし、念のためゲートに引き返してジェニターにキャサリンの出勤の有無を確認してみると、ジェニターは「(彼女は)来ているはずだ」という。念のため部屋を確認してみるとなんと彼女の部屋は変わっていた。彼女が主催するオープンスペース・リサーチセンターの専用のオフィスに移動したようだ。ジェニターはこのドアから入って階段を上がって左側の部屋だと丁寧に案内してくれた。聞いてみてよかった。行ってみると果たして彼女はいた。

ひととおりの挨拶と近況報告を交わし、持ってきた日本茶のプレゼントと、論文集、学生の作品集、職場のプロモーションCD等を手渡した。彼女はかわりに「いいものがあるわ」と言って「Open Space and Social Inclusion: Local Woodland Use in Central Scotland」と題する小冊子とCD-ROMをくれた。この冊子は、スコットランドの森林委員会(Forestry Commission)からの研究グラントを受けてまとめた調査報告。地域住民にとっての森林利用の重要性とは何か。よく利用される(されない)森林の特性の確認。住民による森林の利用形態。森林管理者にとってのデザイン及び管理のインプリケーション等々を目的に実施されたものである。

森林のデザインや管理においてもあらゆる年齢層のsocial inclusionが不可欠であるというのが豊かな森林資源(民有)を抱えるスコットランドの認識である。いわば森林のユニバーサルデザインである。こういう視点から森林のデザインや管理のあり方をもういちど捉え直してみるというのは極めて基礎的でオーソドックスなスタイルではあるが、日本でも今後求められてよい研究の領域であろう。関連して、オープンスペースへのインクルーシヴ・アクセス(Inclusive Access)の概念等々について意見交換及び今後のメール等による情報交換などを約束して部屋を後にした。2年前に世話になった秘書のリンズィー(この日は不在)へのプレゼントを託して。

その他にしたこと:
・何気なく立ち寄ったチャリティショップで古本を3冊購入(John Gagg『The Observers Series CANALS』Bloomsbury Books, 1988。Alfred Leutscher『a field guide to the British Countryside』Book Club Associates, 1981。Ian Nimmo『Edinburgh's Green Heritage: Discovering the Capital's parks, woodlands and wildlife』The City of Edinburgh Council, 1996)
・Montgomery Street Park, Holyrood Park, Leith Links等の公園を視察。
・スコットランド議会棟(エンリック・ミラーレス設計)を視察。2年前からまだ完成していない。長い工事だ。おまけにひどいファサード。やはりアポ無し突撃を試みたMRS.Cook(2年前の大家さんで偶然在宅。ラッキーだった。なつかしい)によれば、多くのスコットランド国民からひんしゅくを買っているという(金ばかりかかってできあがったものは良くない)ことだ。まあ、建築は全部できてみないとわからないが。。。
・セインズベリー(Sainsbury's)でScots Magazineを購入。

英国旅行日誌 2004/08/25(WED)

2004-09-06 | Great Britain
2年ぶりの英国旅行は出張というかたちで実現することになった。今回もたっての希望もあり妻子を同伴した。初日は、自宅を自家用車で出発し、空港近くの民間有料駐車場に駐車、送迎バスで成田空港というアプローチ。インチョン(韓国ソウル)経由のロンドン行き(大韓航空)で、ロンドンでブリティッシュ・ミッドランズ機に乗り換えてその日のうちにエディンバラまで、という旅程だ。成田空港で朝食。

インチョン空港で、腕を組んで歩く韓国人婦女子を多数目撃。何度見てもなかなか慣れない光景だが、こいつを見るとああ韓国に来たんだなといつも思う。韓国では婦女子に限らず、成人男子でも街中で仲良く腕を組んだり肩を組んだりして歩く人たちが多いが、べつにホモセクシャルやレズビアンということではない(念のため)。おお、あるじゃないか、ヨン様(の広告)*1。

シベリア上空通過。ツンドラの広大な樹林帯の中をゆるやかなうねりをみせる大河の流れ。機内のモニターに映し出される飛行機の航行軌跡が頼りない線形を描きつつ確実にグレートブリテン島に近づいている。ロンドン上空。ハイドパーク、セント・ジェームスパーク、グリーンパークの広大な緑塊とテムズの流れが視界に飛び込んできた。ヒースローに迂回するために一度郊外に出る。それにしてもこの、大地への作為の痕跡はどうだ。スプロールといえど作為に満ち満ちている。スプロールの拡がりそのものは無秩序だが、実体化された空間は実にコスモスそのものではないか。律儀だ。

ランディングしたヒースローで最初に目にしたのは、ポケモンのキャラクターを機体にペイントしたANAのBoing 747だった。のっけから、悪いものを見てしまった。気分を害された。ポケモンはいまやインターナショナルだが、いずれも渋いデザインの機体に混じってのポケモン機の光景は異色そものものである(少なくとも僕にとっては)。パブリックな空間にああいった「絵」を晒すのは、応接間にグラフィティを飾るようで、僕の好みじゃない。だから、村上隆も嫌いである(正確には、嫌いになった)。

ヒースローの乗り換えは4時間弱の待ち時間(の予定)であったが、実際にはなんと6時間以上も待たされた。その間、空港側からはエディンバラからロンドンにやってくる便が遅れているという旨の報告と、出発直前に「遅れてすまん」というアナウンスがあっただけ。にもかかわらず、みんな(最終便だったので待合いの客ほとんど英国人だったはずである)文句一ついわずだまって新聞やペーパーバックを読んだり、ベンチに寝そべったり、思い思いに時間をつぶしている。あきれた粘り強さである*2。

我々は、エディンバラ空港のHertzでレンタカーを借りる予定だったので気が気じゃなかった。営業時間は午後11時までと言われていたからだ。店を閉められちゃかなわないので、ヒースローから電話を入れ、飛行機の出発が遅れエディンバラ到着が11時過ぎになることを伝えた。久しぶりの英語も何とか通じたらしく、「便名は? 待っててやるから心配するな」という答えを聞いて一安心。続いて、今日泊まる予定になっているB&Bにも、到着が午前0時を過ぎることを報告。こちらも問題ない由。ただし、「空港からまっすぐホテルに来るのか(飯はすませたか)?」と釘を刺された。答えはむろんYESである。

エディンバラ空港到着は結局午後11時30分、レンタカーを借り、荷物を詰め込み、一路中心街に向けて出発。2年前の在英中何度か往復したことのある道だっただけに、懐かしさがこみ上げてくる。2年ぶりのエディンバラは何も、本当に何も変わっていなかった。夜だったがそのことはよくわかった。妻がインターネットで予約してあったB&Bは、2年前に我々が住んでいたブロックのすぐ近く。B&Bに駐車場がないことははじめからわかっていたが、近所の路上に無料駐車できることもわかっていたのでそれをあてにしていた。ただ、夜遅くなってしまったので駐車スペースがなくなってしまってないかが心配であった。幸い、ホテル近くのヒルサイド・クレッセント(Hillside Crescent)に空きスペースを見つけ事なきを得た。宿の主(インド系)は0時30分に到着した我々を温かく迎えてくれた。

*1  今回の旅行のためにヨン様のビデオ(SONY)を購入してしまった。
*2 このネガティブな印象はまだ日本の感覚から吹っ切れていない心情のなせるわざで、やがて旅行が進むにつれて「俺もこうでなくっちゃな」という感慨に変わることになる。

田舎医者の憂鬱(2004/07/27 13:13:59 GMT)

2004-08-07 | Great Britain
イギリスのカントリーサイドを訪れていつも思うのは、景色はそりゃ美しいけど、なんかあったとき怖ぇ~なということだ。なんかあったときというのは急病とか事故とかそういうことだ。まあイギリスに限ったことじゃないんだけれど、イギリスの医療体制というのはお寒い現状にあるからなおさらそう思うのだ。

このニュースは、スコットランドの一部の田舎のお医者さん達が、新しい医療体制の施行にともなって政府に文句をいったというお話。新しい医療体制とは、急患時の緊急連絡先をGP*からlocal health boards(地元の保健所といったところか)に変更するというもの。つまり、患者がかかりつけ医に個別に連絡を取っていたこれまでの体制を改め、保健所が集中的に緊急連絡を受けるようにする。こうすることで、(それでなくても少ない)田舎の医者の過酷なワークロードを軽減し、田園地帯で働こうとする医者の数を増やそうとするねらいがある。時間外の緊急連絡が田舎の医者を過酷な労働環境に追いやっているというわけだ。

ただ、政府に文句をいった医者達は、そのような労働環境に文句をつけたのでは全くなくて、逆に新しい医療体制の危険性を指摘したのだ。つまり、緊急連絡先を保健所にすることで、急患に当たる医者の数をたしかに減らすことができるが、それは高齢者や終末医療のような生命に係わる緊急の医療体制としてははなはだ危険であるという指摘だ。実際、身近なGPではなく、保健所経由にすることによる時間的なロスは安全なレベルにあるとは言えないという指摘もある。

これに対して、田園地帯においてより少数の医者で医療にあたる効果的な体制であるとの意見もある(主に国関連の医療サイドから)。また数年前、医療体制をGPによる個別対応からより中央制御型に変更した際に今回と同じような不安があったが、いまではより少ないGPによって効果的に医療が施せることが証明されているそうだ。さらに、今回の制度変更がむしろ田舎に医者を呼び寄せるインセンティブとなること、過酷な労働条件のもとで疲弊した田舎の医者に診てもらうことは患者にとっても望ましいとは言えない、という意見も飛び出す(厚生大臣の発言!)。まあ、長い目で見て、今回の医療体制の見直しで田舎に医者が増えればそれはそれで田舎の医療体制が整うという見方もできる(実際に増えればの話だが)。(http://news.bbc.co.uk/go/pr/fr/-/1/hi/scotland/3928175.stm)

* General Practitioner の略。最寄りのかかりつけ医、主治医のようなもの。イギリスで医療を受けようと思ったらまず最寄りのGPをみつけなければならない。そこで手に負えない医療はGPの紹介を通じて大きな病院や専門の病院へ行くことになる。