にっこりの日・・・

2008-12-31 | 社労士日記
今年も拙い当ブログをお読みいただいた皆々様


大変ありがとうございましたm(__)m


夏以降はすっかり旅行記となっており


来年はもう少し社労士的な有益な記事を増やしたい…自転車記事も(^^ゞ


と、お参り納めで誓っておきました(-.-)


そんなお参り納めは帰省がてらに鶴見神社にて


今年も多くの方々との出会いの機会に恵まれましたこと


みなさまのおかげで笑顔で年越しを迎えられましたこと


感謝いたします…ありがとうございましたm(__)m



追記
昨日までのポカポカ陽気から一転、冬型が強まって・・・でも日中は陽射しが暖かい

まぁ冬型のおかげで朝はサブイけど晴れは続く  日本海側は雪ってことだけど


今月で風間さんの連載が終わったわけですが、今年の漢字「変」になぞらえて・・・

***** 日経朝刊(11/11)「スポートピア」より ここから *****
『自分 変える勇気を』

「大学サッカー(レベル)を続けたいか、その先へ行きたいか。このままがいい者は遠慮なく手を挙げてくれ。挙手が多いようなら、おれは帰る」。母校筑波大の蹴球部監督に就いたこの春、学生たちに問いかけた。

大学サッカーをおとしめる気はなかった。大学というステージで隙の少ないチームをつくって順位を競うのであれば、それは私の任ではないと思っただけ。目の前の若者たちのなかに、サッカーを将来の糧とできる者はいないか。私の興味はそこにあった。

幸か不幸か“不信任”には至らず、半年あまりが過ぎた。当たり前だがマラドーナはいなかった。いたのはJクラブや他校の人材収集の網からこぼれ落ちた者ばかり。同じ基礎鍛錬を施すなら、もっと幼い時分にやるのが効果的に決まっているが、意外にも数人がプロから声がかかるまでに頭角を現した。横並びの列に優劣が生じ、個性が不ぞろいに分かれていく現象に「へえ、この年代でも変われるのか」とこちらが驚かされた。

「ボールを取られるのは犯罪者と同じだぞ」などなど、いくらかサッカーのことわりを説きはしたものの、規律で縛ったつもりはない。規律とは自由のなかにあるもの。あまりに自由で手掛かりの少ないピッチの上で、時分の輪郭を縁取るもの。つまり“自律”であり、これを定めた者は勝手に伸びていく。

晩稲(おくて)の若者が多い日本の場合、「自分は何者なのか」という問いにやっと向き合うのが、社会の入口が迫ってくるこの年配なのか。遅まきながら自分を変える者はいた。背伸びをしたり、個性をとがらせることにあまり熱心でないようにみえた集団の中から、ちゃんと現れた。

本当はもっといたのではないか、彼らの発する周波を私が拾えなかったのではないかと不安にもなる。若者の夢を見る力の不足を平素から案じていたが、大人のつくった社会に彼らもいる以上、この命題は私たち大人に跳ね返ってくる。

私の手を離れる選手がプロの水に合うかどうかなど、保証の限りではない。技量の限界もあろう。ただ、技量不足の者をふるいにかける自由なサーキット場であるはずのJリーグに、お節介な交通規制が多いのも好ましいことではない。チームのやり方やら、ポジション別の仕事やら。この“他律”に甘んじた選手が安全運転に慣れてしまうのはぞっとしない。

けれど、この先ばかりは大人のせいにできまい。多くの監督が前を通り過ぎ、自らも所属先を転々と変えていく。つづら折りが続くプロのコース上には、視界がぱっと開ける瞬間、見たことのない風景がどこかで必ず訪れる。すべての選手はそこで自分を変える勇気を持ってもらいたい。この世界は冒険する価値が確かにある。
(筑波大蹴球部監督 風間八宏)
***** 日経朝刊(11/11)「スポートピア」より ここまで *****


仕事に私事にいろいろと・・・変わるべきところは変わっとこ



そんな感じで、何だか毎日幸せな日~

と来年もみなさま良い年になりますように・・・自分もですな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする