壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

2008年07月04日 21時32分10秒 | Weblog
 散歩がてら久しぶりに、母校の中学校の前を通る。
 我々のころは、各学年11クラス、生徒総数1800人余、それが今では、各学年1クラス、生徒総数70人弱と聞く。廃校寸前である。
 その中学校の年1回発行の校内誌の名前が「若鮎」であった。

 鮎は、わずか1年の寿命で、別名、年魚(ねんぎょ)と呼ばれる。
 いくら“若”鮎でも、わずか1年の寿命の魚を、校内誌の名前にするとは……
 秋に川で生まれた稚魚は、海へ下り小さな動物を食べながら冬を過ごし、春になって七~八センチに成長すると、また若鮎として川へ戻ってくる。
 川に入ると珪藻などの水苔だけを食い、夏の間に三十センチ近くの大きさになり、秋に産卵をする。産卵を終えた落鮎は、その一生を終わる。
 体色は、オリーブ色でやや黄味を帯び、側方は銀白色で、鱗はきわめて小さい。
 藻を食うせいか、体全体から瓜のような匂いを発するので、香魚とも呼ばれる。


        いざのぼれ嵯峨の鮎食ひに都鳥     安原貞室

 季語は「鮎」で夏。
 「都鳥よ、嵯峨名物の鮎を食いに、都へ上って来い」の意である。
 この句には、「京にて睦まじかりつる友の、武蔵の国に年経て住みけるが、隅田川一見せんとさそひければまかりて」という詞書がついている。
 これによって、この句が、貞室が友人を訪れて江戸へ下った折、その友人に上京をすすめたものであることが分かる。
 都鳥は、ユリカモメが正しい名称で、カモメとしては小型で、首から腹にかけて白く、嘴と足が赤くてよく目立つ。

 『伊勢物語』に、在原業平が、隅田川のほとりでこの鳥を見て、「名にしおはばいざ言問はん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」と詠んだことが記されている。
 この歌以来、都鳥は隅田川の鳥として有名になった。
 江戸の友人を、この都鳥に擬していることはいうまでもない。
 都鳥は水鳥であり、川魚などを餌とするところから、鮎食いに上れといったのだが、その裏には、鮎のシーズンだから上京しないか、という勧誘の心を含ませているのである。
 隅田川の都鳥を見せてもらった返礼に、嵯峨の鮎をご馳走しようというわけだが、いかにも気の利いた表現で、貞室の才能をうかがうに足る。
 なお、都鳥は、いまでは冬とするが、この当時はまだ、都鳥にははっきり季節が定まっていなかったと思われる。


      読みさしの「仁勢物語」昼寝覚め     季 己

 ※ 「仁勢(にせ)物語」⇒仮名草子。2巻。1639年ごろ成る。作者未詳。「伊勢物語」のパロディー。