壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

美斉津匠一展

2008年07月02日 21時51分31秒 | Weblog
 夏の季語の一つに「絹糸草」がある。
 ただ、いまは詠む人がほとんどなく、最近の歳時記には、載っていないものもある。
 以前は、夏の日に、涼しさを求めて楽しむものの中に、絹糸草というのがあった。だが、絹糸草という名の植物はなく、イネ科のオオアワガエリのことである。

 明治の初めに、牧草として輸入されたイネ科の植物に、オオアワガエリ、俗にチモシーと呼ばれるものがあった。
 成長すれば、高さ1メートル以上になるが、葉の幅は細くて1センチくらいにしかならない。そこが絹糸草の狙い目なのであろう。
 浅い水盤の底に綿を敷いて、十分に水を含ませ、その上一面にチモシーの種を蒔いておくと、二十日ばかりして、高さ3センチ程の、糸のように細い若葉が生え揃う。
 その緑の新鮮さやしなやかさは、極暑の真夏といえども、そのあたりには常に涼風がただよっているかのように感じられる。
 種を蒔くとき、いろいろな図柄の形に蒔いて、その文様の緑を楽しむことが出来る。この絹糸草の緑の中に、箱庭や盆石に使われる灯篭や鷺に鶴、蓑笠をつけたお百姓姿の人形などを立てておくのも、また一興であった。

 俳句もそうであるが、日本人の趣味には、広大な自然の姿を、そのまま掌にのせて慈しむかのような、格別な味わい方がある。
 絵画の世界で、それを楽しんでおられる作家に、美斉津匠一さんがいる。
 「ミサイズ」という姓は珍しく、一度覚えたら忘れられないだろう。長野県の小諸や佐久に「美斉津」姓が、数軒かたまってあるとのこと。
 その「美斉津匠一展」が、東京・銀座の「画廊・宮坂」で開かれている。(7月6日まで)

 美斉津さんは、泥んこ遊び大好き少年がそのまま長じて、画家という創造者になったのではないかと思われる、好人物である。
 ある時は自然に没入し、またある時は自然を凝視し、感じたものに己の慈愛を込めて、線と色彩で表現している。
 独特の感性の持ち主である彼は、作品に関してはわがままで、額縁まで自分で作らなければ気がすまない、ウルトラこだわり創造人間でもある。つまり、額縁までも含めて、彼の一つの作品なのだ。
 それでいて、作品は自己主張することなく、観る者を、あたたかく、やさしく包み込んでくれる。

 色彩でいえば、赤と黄色の発色がすばらしく、白が非常によく効いている。
 「白が効果的に使えるようになれば、一流である」とは、創画会の大御所の弁である。
 赤・黄・白の三拍子揃った作品は、案内状にもなった「机の上の静物」。手馴れた作品ではあるが、いつまで眺めていても飽きない。
 「空を見上げて」も、独特の視点で描かれ、詩情あふれる作品だ。
 「ポットとカップ」は渋い作品だが、背景の色彩が何ともいえぬ奥深さがあり、いつまでも身近に置きたい作品である。
 「集合住宅」・「ポットハウス」も楽しくなる作品だ。
 今回、人物が登場したが、これもまたvery goodである。
 「初夏の風に耳を澄ませて」は、大・小二作品あるが、どちらも独自の感性で愛情深く描かれていて、おすすめである。
 個人的には、題名が“短歌”的なので、これが“俳句”的に、「耳を澄ませば」くらいにしていただけたら、言うことなしの作品だと思う。
 「祈り」シリーズの3作品も、甲乙つけがたい佳品である。題は、「祈り」だけでよく、“春”・“早春”をつけるのは、蛇足だと思う。

 このままの姿勢で、画面の単純化を心がければ、「平成のクマガイ・モリカズ」になれるのではないかと、秘かに期待している。


      あともどりせぬモリカズの蟻の列     季 己