壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

山開き

2008年07月01日 23時43分00秒 | Weblog
 きょう七月一日は、富士山の山開き、片瀬・江ノ島海岸の海開きであった。
 山開きは、夏山のシーズンの初めに、その年の登山の安全を祈願して、それぞれの山で行なわれる儀式であるが、今では入山解禁日になってしまったように思える。
 富士山は七月一日であるが、上高地のウェストン祭は六月の第一日曜日、谷川岳では七月の第一日曜日が、山開きであるとのこと。
 大峰山で行なわれる戸開けは、宗教行事ではあるが、これも一つの山開きといえよう。
 昔は、信仰の対象であった山には、なかなか入ることはできなかった。けれども夏期にかぎって開放される習慣があり、これが山開きとなったものと思われる。

 「智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」という言葉があるが、どちらかというと山のほうが好きである。特に八ヶ岳が……。
 悠揚として迫ることなく聳え立つ山。額に汗を滴らせて登ってゆく人にも、その大らかな山懐に抱かれる親しみと安らかさがなくてはならない。
 大自然の前には、まことに小さな存在であることを忘れて、自分の力を超えた無理を冒すことは、決して登山の本質ではない。「仁者は寿(いのちなが)し」という言葉もある。

 金剛杖やピッケルを頼りに、すべての雑念を忘れて、一歩一歩踏みしめて登り切った山肌に、目も覚めるばかりの美しいお花畑の彩り……
 尾根から尾根を遥かに見晴らして、思わず知らず出た「ヤッホー」の叫び声が、岩陰にいた雷鳥をキョトキョトと振り向かせて、「おや、こんなところに雷鳥が」と、親しみの感情がこみ上げる。
 そんなとき、天国の花園に足を踏み入れたのだと、しみじみとした歓びが湧いてくるものである。

 疑うことを知らず、戦うことも逃げることも知らぬ雷鳥。これこそは神々の花園に最もふさわしい番人であり、雄大な自然の神殿の使者といえよう。
 雷鳥は、日本アルプスや立山などの高山に棲み、夏、羽は褐色の細かい横斑を密生し、冬は、羽色が純白に変わる。
 イヌワシなどの猛禽類に襲われるため、霧のかかる日や雷の気配のあるときにしか姿を現さないので、雷鳥の名がある。
 子連れの雷鳥は、登山者の人気ものではあるが、なかなか見ることはできない。
 朝夕、または雷雨の前の薄暗がりに出てくる、と言われている。


      七月の本の匂ひは吾がにほひ     季 己