壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

花火

2008年07月16日 21時50分14秒 | Weblog
 七月下旬から八月上旬にかけて、各地の大きな川で大花火を打ち上げる行事を、川開きという。
 なかでも、東京両国の川開きは享保十八年(1733)からのもので、特に著名である。隅田川の両国橋上下流で、大花火を打ち上げるのだが、混乱を恐れて、昭和三十七年以降一時中断された。両岸の料理屋では桟敷を設けて人を集め、見物船などが密集して雑踏したという。
 昭和五十三年(1978)に、「第1回 隅田川花火大会」として再開された。
 今年の「第31回 隅田川花火大会」は、7月26日(土)に開催され、2万発の大花火が打ち上げられる予定である。全国の花火業者が、その技術を競い合う花火コンクールも同時に行なわれ、その壮観さは、それはそれは素晴らしい眺めである。

        一文の花火も玉屋玉屋かな     一 茶

 さすがに一茶の眼は、この小さな子どもたちの、夏の夜の楽しみを見逃してはいない。「一文(いちもん)の花火」というのは、ごくごく安い、線香花火であろうか。
 細い藺草の先に、鯰の髭ほどの黒い火薬をつけたあの線香花火が、パッパッと思わぬところまで、落葉松の葉のような火花を威勢よく吹き出している間は、それがたとい、五秒・十秒の短い間でも、花火を手に持った子どもには、心豊かで得意満面な瞬間なのである。
 線香花火は終りに近づくと、やはり打ち上げ花火と同じように、流れ星にでも似た火を、ツーイ・ツーイと尾を曳いてみせる。こんな小さな花火でも、やはり子ども心に「玉屋ーッ」と声をかけたくなるものなのだろう。
 一茶はやはり、小さな者、弱い者の味方なのだ。
 いまは、弱い者をだまして、大金を振込ませたり、高齢者の微々たる年金から、否応もなく保険料を引き落とすという、なんと酷い世の中なのであろう。
 花火のように、パッと咲いたらパッと散れ、ということなのか?

 伊坂幸太郎の人気作『ゴールデンスランバー』でも、花火は、重要な役割を果たしている。
  「街の複数箇所で、ぱしゅっと軽やかな発射音がする。ぱしゅっ、ぱしゅ
  っ、ぱしゅっと少しずつずれつつも、ほぼ同時だ。甲高い笛のように、長
  い音がし、そして暗い空に、光が高々と一五〇メートルほど昇り、迫力の
  ある大きな爆発音を発散させたかと思うと、空一面に、玉に詰められた火
  薬の星たちが巨大な花となり、飛び散る。
   直径一五〇メートルの同心円状に、光が炸裂する。
   ビルの背景に菊の形に光が広がる。こんな市街地で、花火が上がること
  はないから、建物自体が光線を発しているような奇妙な光景に見える。夜
  がさっと青褪めたかのように薄くなり、街中が急に明るくなった。花火の
  雫が長い長い余韻となって、地上に落ちてくる。炭酸がはじけるような、
  あられが降るような、心地良い響きが尾を引く。
   警察官と大男がそれをぼんやりと見上げている。樋口晴子は駆け寄り、
  上空を見上げたままの大男の股間を思い切り、蹴り上げる。」
         (伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』P478~P479)

 伊坂さんは、これを書くに当たり、仙台市の芳賀火工さんに取材していることを謝辞で述べているが、この芳賀火工さんのホームページ『煙火の花道』が美しく面白い。花火に関するデパートである。
 『ゴールデンスランバー』ともども、一読をおすすめする。

 花火⇒伊坂幸太郎とくれば、伊坂さんの父祖の地、諏訪湖を書かねばなるまい。
 その「諏訪湖祭湖上花火大会」は、8月15日(金)、午後7時から始まる予定。
 ことし第60回を迎えた「諏訪湖祭湖上花火大会」は、打上数、規模ともに全国屈指の花火大会。湖上ならではの水上スターマインや、全長2kmのナイヤガラなど、4万発余りを打ち上げる。
 四方を山に囲まれた諏訪湖から打ち上がるため、その音は山に反響し、身体の芯まで響き迫力満点。今年も二尺玉を打ち上げる予定という。
 また、夏の諏訪湖は毎日が花火で、7月25日(金)から9月5日(金)まで連夜、800発の花火が夏の夜空を彩る。
 グッズも、手拭い・巾着・リュックの3点セットがお得で、バラで買うより400円安い2500円。

 諏訪湖の花火というと、日本画家・花岡哲象先生の作品が忘れられない。
 №541「華火」(35号)、№561「華火」(30号)、№562「双華」(30号)の三作品のどれも素晴らしいのだが、一点だけといわれたら、№561の「華火」を推す。
 先立つものと飾る場所さえあれば、即、購入したい作品である。
 先生のホームページでぜひ、その素晴らしさをお確かめいただきたい。


      絨毯に乗ってまっつぐ夏の月     季 己

 ※まっつぐ=“まっすぐ”の江戸ことば。