壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

ほととぎす

2008年07月20日 21時44分32秒 | Weblog
 初春の鶯、初夏のほととぎす、仲秋の雁、いずれも、その鳴き声に特徴を持つこの三つの鳥が、昔から歌にもよく詠まれて、最も親しみ深い鳥である。
 それらに続くものは、水鶏(くいな)・千鳥・田鶴(たづ)などであろう。
 なかでも、ほととぎすは、桜・ほととぎす・月・雪と、四季を代表する風物のベスト4の中に加えられていたから、鳥の中でのナンバー1ということになる。

 漢詩に、和歌にと、ほととぎすは、好題材として頻用されてきた。
 江戸時代までは多数見られたようであるが、今では少なく、姿を見た人は稀であろう。
 鳩よりやや小さく、胸に鷹のような横斑がある。夏鳥で、暖地では四月末に渡来し、山麓などを鳴きながら、一日に一里ほどの移動をし、しだいに深山に入って行く。
 古来、ほととぎすの初音は、鶯のそれとともに、俳人の耳冥加として待たれたものである。明け方や夕方の森の中から数十声、たてつづけに鳴くのを、在職中はよく聞いたものである。昼間や夜中には、一直線に飛びながらも鳴く。
 声の質は雨蛙に似た透る高音で、よく「特許許可局」などと聞きなされる。低空を鳴きすぎるときは、そのただ一声が印象に残る。

 芭蕉は“ほととぎす”を、“時鳥・子規・杜鵑・蜀魂・杜宇・郭公”と書き、この六種の文字を折によって使い分けて書いている。字面・他句との関連などを考慮しているのであろう。「郭公」は、今では“カッコウ”に用いるので、変人は使用を避けている。
 ほととぎすは、このほか“不如帰・杜魂”などとも書く。

        時鳥啼くや湖水のさゝにごり     丈 草

 「湖水」は、丈草の住んだ琵琶湖の湖畔からの眺望である。
 「さゝにごり」は、少し濁ること。「ささ」は名詞に冠して、「わずかな」「小さい」「こまかい」の意を表す。
 単に雨期だからというだけでなく、あたかも時鳥の鋭い鳴き声に、湖水が感応したかのごとき語感がある。毎日のように湖水の表情を見守っている者の、こまやかな情感がこめられている。
 去来に「湖の水まさりけり五月雨」という佳句がある。ともに五月雨のころの雄大な湖水の趣を写しているが、丈草の句には、大景の中に繊細にして清新な感覚のはたらきが認められる。
 語順をかえて、「さゝにごる湖水に啼くや時鳥」と言い換えて比べてみると、そうした平板な説明調をとらぬ丈草の句が、独自の叙法とリズムで成功していることがよく分かる。


     万世橋ゆつくり渡る浴衣かな     季 己