きょうも山沿いを中心に、雷が暴れまわったようだ。
雷が鳴ると梅雨が明けるというが、一茶の
正直に梅雨雷の一つかな
は、このことを詠んだものであろう。「正直に」が、いかにも一茶らしく、また上手い。これで、梅雨が明けたことがわかるのだ。
明日もまた、雷が暴れるという。何もかも「偽」だらけの日本、ことしは雷も正直をやめ、世間にあわせて「戯」ならぬ「偽」に徹するのだろうか。
夏は雷のシーズンである。
厚い積乱雲の下におおわれたとき、電光がきらめき、雷鳴が殷々ととどろきわたる。大粒の雨が、今しがたまで灼熱していた屋根瓦を打つ。男性的な、夏独特のいっときである。
鬼神が太鼓を乱打しつつ、雲中を疾駆するという想像もうなづかれる。
東京・浅草、浅草寺には、その名も「雷門」という立派な門があり、いつでも観光客でごったがえしている。
門の横には、浅草名物「雷おこし」、雷門通りをはさんで斜め前には、からくり時計。毎正時に、三社祭や金龍の舞などのからくり人形が現れ、笛や太鼓の音で気分を盛り上げてくれる。
西の空は、あやしい黒雲でおおわれてきたが、雨粒はまだ落ちてこない。
狂言に、「雷」というのがある。主役のシテは雷で、脇役のアドは藪医者である。
都から東(あずま)へ下った藪医者が、果てしもない武蔵野にさしかかると、一天にわかに掻き曇り、ピカピカガラガラドンと雷が落ちて来た。
実はこの雷、しばらく病気であったのだが、久しぶりに出歩いたので、つい足元がふらつき、雲を踏み外して落ちたのであった。
雷は、「腰の骨を打って痛くてたまらないので、療治をしてくれ」と、藪医者に頼み込む。
雷の病気を中風と診断した藪医者は、雷能丹(らいのうたん)という気付け薬を飲ませ、針を打った。
まもなく、すっきりとした雷は、空へ帰ろうとする。
藪医者はあわてて「薬代を……」と請求すると、「あいにく今は持ち合わせがない。いずれ、一家眷属引き連れて御礼に参る」と言う。
「それはとんでもない迷惑千万。そのかわり、今後は患者から薬代の取りはぐれがないように、また、照り降りともに尋常に、五穀豊穣、世間の景気がよくなるようにしておくれ」と頼んで別れた、という筋書きである。
門前のからくり時計 雷激し 季 己
雷が鳴ると梅雨が明けるというが、一茶の
正直に梅雨雷の一つかな
は、このことを詠んだものであろう。「正直に」が、いかにも一茶らしく、また上手い。これで、梅雨が明けたことがわかるのだ。
明日もまた、雷が暴れるという。何もかも「偽」だらけの日本、ことしは雷も正直をやめ、世間にあわせて「戯」ならぬ「偽」に徹するのだろうか。
夏は雷のシーズンである。
厚い積乱雲の下におおわれたとき、電光がきらめき、雷鳴が殷々ととどろきわたる。大粒の雨が、今しがたまで灼熱していた屋根瓦を打つ。男性的な、夏独特のいっときである。
鬼神が太鼓を乱打しつつ、雲中を疾駆するという想像もうなづかれる。
東京・浅草、浅草寺には、その名も「雷門」という立派な門があり、いつでも観光客でごったがえしている。
門の横には、浅草名物「雷おこし」、雷門通りをはさんで斜め前には、からくり時計。毎正時に、三社祭や金龍の舞などのからくり人形が現れ、笛や太鼓の音で気分を盛り上げてくれる。
西の空は、あやしい黒雲でおおわれてきたが、雨粒はまだ落ちてこない。
狂言に、「雷」というのがある。主役のシテは雷で、脇役のアドは藪医者である。
都から東(あずま)へ下った藪医者が、果てしもない武蔵野にさしかかると、一天にわかに掻き曇り、ピカピカガラガラドンと雷が落ちて来た。
実はこの雷、しばらく病気であったのだが、久しぶりに出歩いたので、つい足元がふらつき、雲を踏み外して落ちたのであった。
雷は、「腰の骨を打って痛くてたまらないので、療治をしてくれ」と、藪医者に頼み込む。
雷の病気を中風と診断した藪医者は、雷能丹(らいのうたん)という気付け薬を飲ませ、針を打った。
まもなく、すっきりとした雷は、空へ帰ろうとする。
藪医者はあわてて「薬代を……」と請求すると、「あいにく今は持ち合わせがない。いずれ、一家眷属引き連れて御礼に参る」と言う。
「それはとんでもない迷惑千万。そのかわり、今後は患者から薬代の取りはぐれがないように、また、照り降りともに尋常に、五穀豊穣、世間の景気がよくなるようにしておくれ」と頼んで別れた、という筋書きである。
門前のからくり時計 雷激し 季 己