夏の夜の楽しみの一つに、夕涼みのひと時がある。特に、関西では、夕凪の、風ひとつない蒸し暑さが、夏の夜を、とても家の中では過ごせないものにしている。
夕すヾみ糺(ただす)の岸や崩るらむ 暁 台
京都の人々が、家の中を空にして、賀茂川の土手へ涼みに出る。その人だかりの多さを詠んだ暁台(きょうたい)の句は、決して大げさなことではない。
ただし、クーラーの普及した昨今では、こんな納涼風景を見ることはない。
けれども、自然の川風の心地よさは、また格別である。
夏の季語の一つに「川床」がある。「川床」と書いて「ゆか」と読むが、「かわゆか」とも読む。また単に「床」と書くこともある。
川床の発祥は、京都四条河原の夜涼という。
江戸時代、六月七日から十八日にかけ、茶店や酒亭が、賀茂川の河原に桟敷を設けて料理をもてなした。ちょうどこのころは祇園会の期間で、雪洞(ぼんぼり)の灯が川面に映え、賑わったという。
今は期日に制限はなく、先斗町、木屋町の料亭が、座敷から川に向けて縁を張り出し、納涼床を造る。
蒸し暑い京都ならではの風物だが、この趣向は各地に広がり、東京品川の釣宿でも、海に張り出した涼み床を見ることが出来る、と聞いてはいるが、実際に行ったことはない。
「川床(ゆか)座敷」、「貴船川床(きぶねゆか)」も季語だが、貴船川床のほうが、賀茂川の川床よりも個人的には好きだ。
「四条の河原涼みとて、夕月夜の頃より、有明け過ぐる頃まで、川中に
床を並べて、夜もすがら酒を酌み涼を追うた賀茂川べりの床涼み」
と、芭蕉もその筆に書き残している。
「夏は河原の夕涼み」と、『祇園小唄』にあるのがそれである。
大阪では、赤い灯・青い灯の道頓堀や、戎橋・心斎橋のそぞろ歩き、瀬戸内海や有明海では船を浮かべて夜釣りと洒落れるのも、釣好きにはたまらぬ夕涼みであろう。
船でおすすめは、何といっても琵琶湖の、外国船によるナイトクルージングである。
江戸の町でも、其角の句に、
千人が手を欄干や橋すヾみ
とあるように、両国橋や吾妻橋など、隅田川に架かる橋々には、大勢の涼み客が出たことであろう。
相聞の句など隅田の夕涼み 季 己
夕すヾみ糺(ただす)の岸や崩るらむ 暁 台
京都の人々が、家の中を空にして、賀茂川の土手へ涼みに出る。その人だかりの多さを詠んだ暁台(きょうたい)の句は、決して大げさなことではない。
ただし、クーラーの普及した昨今では、こんな納涼風景を見ることはない。
けれども、自然の川風の心地よさは、また格別である。
夏の季語の一つに「川床」がある。「川床」と書いて「ゆか」と読むが、「かわゆか」とも読む。また単に「床」と書くこともある。
川床の発祥は、京都四条河原の夜涼という。
江戸時代、六月七日から十八日にかけ、茶店や酒亭が、賀茂川の河原に桟敷を設けて料理をもてなした。ちょうどこのころは祇園会の期間で、雪洞(ぼんぼり)の灯が川面に映え、賑わったという。
今は期日に制限はなく、先斗町、木屋町の料亭が、座敷から川に向けて縁を張り出し、納涼床を造る。
蒸し暑い京都ならではの風物だが、この趣向は各地に広がり、東京品川の釣宿でも、海に張り出した涼み床を見ることが出来る、と聞いてはいるが、実際に行ったことはない。
「川床(ゆか)座敷」、「貴船川床(きぶねゆか)」も季語だが、貴船川床のほうが、賀茂川の川床よりも個人的には好きだ。
「四条の河原涼みとて、夕月夜の頃より、有明け過ぐる頃まで、川中に
床を並べて、夜もすがら酒を酌み涼を追うた賀茂川べりの床涼み」
と、芭蕉もその筆に書き残している。
「夏は河原の夕涼み」と、『祇園小唄』にあるのがそれである。
大阪では、赤い灯・青い灯の道頓堀や、戎橋・心斎橋のそぞろ歩き、瀬戸内海や有明海では船を浮かべて夜釣りと洒落れるのも、釣好きにはたまらぬ夕涼みであろう。
船でおすすめは、何といっても琵琶湖の、外国船によるナイトクルージングである。
江戸の町でも、其角の句に、
千人が手を欄干や橋すヾみ
とあるように、両国橋や吾妻橋など、隅田川に架かる橋々には、大勢の涼み客が出たことであろう。
相聞の句など隅田の夕涼み 季 己