遅まきながら風鈴を吊るした。それも北窓の軒先に。
かつては夏の風物詩であった風鈴は、今ではすっかり騒音あつかい。
このあたりは下町なので、風鈴の音で苦情は来ないが、それでも気を使って南に吊るさず、北に吊るしているのである。
釣鐘型の南部風鈴に、竹細工職人による竹籠をかぶせた、お気に入りの風鈴だ。本当は、姫路の伝統工芸である明珍火箸で作った風鈴が欲しいのだが、この世のものとも思えぬ音を出すものは、高価で貧乏人には手が出せない。
いろいろな材質・音質・色彩・意匠のものがあるが、やはり句ごころをかき立てるのには、昔ながらの鐘銅(銅9・錫1の合金)製の韻きを聴きたいものだ。
内に吊るされる“舌(ぜつ)”は古来、一文銭の憂世の遁れ場とされていた。
風鈴は、鎌倉・室町時代にはすでに中国から伝わっていたが、江戸時代から釣忍とともに庶民に普及したという。
昔は、風鈴売りは売り声をかけずに歩き、その音色で売るものとされていたが、今は、夜店、デパートの物産展以外では見かけなくなった。
全国のいろいろな風鈴を見たい、聞きたい方におすすめしたいのが、西新井大師の境内で開かれる「風鈴祭」だ。
ことしは、7月12日(土)から8月3日(日)まで、毎日午前10時より午後4時まで開かれ、全国各地の風鈴の展示販売がある。また、この会場でしか手に入らない「だるま風鈴」・「ぼたん風鈴」も人気があるので、ぜひ早めに行かれることをおすすめする。
江戸風鈴、南部風鈴、備長炭風鈴、小田原風鈴、明珍火箸風鈴、釣鐘型風鈴、野菜型風鈴、動物型風鈴などなど、枚挙にいとまがない。
風鈴のさわやかな音色が鳴り響く境内。
梅雨のうっとうしさを吹き飛ばしてくれる“涼の音色”に、静かに耳を傾けるのも一興。
風鈴を句にものすには、月並みに堕ちぬよう、一ひねりしなければならないが、ひねりすぎても、過ぎたるは何とかで、これまた難しい。
風鈴に一声さはるつばめかな 也 有
「一声さはる」が、作者得意のところと思われるが、変人は逆にそこがダメ、と考える。実感がなく、いかにも頭の中で作った句。
安手な団扇の絵にでもありそうな月並みな光景。
夕涼みと限らず、まだ暑い昼日中でも、ふと鳴る風鈴の音を耳にするときは、暑さもしばし忘れる心地がする。
風鈴や花にはつらき風ながら 蕪 村
これは蕪村とも思えぬ、思い過ごし。花が吹き散らされるほどの強い風には、風鈴も程よい音色を立てられるものではない。むしろ、
業苦呼起す未明の風鈴は 石田波郷
とか、
風鈴やひとりに適ふ路地暮し 菖蒲あや
のような、さり気なさが、風鈴にはふさわしいと思う。
「鈴ノ鳴ルカ、風ノ鳴ルカ、風ニアラズ、鈴ニアラズ、我ガ心ノ鳴ルノミ」と、何かに記してあったが、風鈴の音色のよさの真髄を説き得たものと思う。
いつの日にか、この“こころ”を一句にものしたいと念じているのだが、未だに詠めずにいる。おそらく、あの世に行っても詠めないのではなかろうか。
後の世の音か明珍風鈴は 季 己
かつては夏の風物詩であった風鈴は、今ではすっかり騒音あつかい。
このあたりは下町なので、風鈴の音で苦情は来ないが、それでも気を使って南に吊るさず、北に吊るしているのである。
釣鐘型の南部風鈴に、竹細工職人による竹籠をかぶせた、お気に入りの風鈴だ。本当は、姫路の伝統工芸である明珍火箸で作った風鈴が欲しいのだが、この世のものとも思えぬ音を出すものは、高価で貧乏人には手が出せない。
いろいろな材質・音質・色彩・意匠のものがあるが、やはり句ごころをかき立てるのには、昔ながらの鐘銅(銅9・錫1の合金)製の韻きを聴きたいものだ。
内に吊るされる“舌(ぜつ)”は古来、一文銭の憂世の遁れ場とされていた。
風鈴は、鎌倉・室町時代にはすでに中国から伝わっていたが、江戸時代から釣忍とともに庶民に普及したという。
昔は、風鈴売りは売り声をかけずに歩き、その音色で売るものとされていたが、今は、夜店、デパートの物産展以外では見かけなくなった。
全国のいろいろな風鈴を見たい、聞きたい方におすすめしたいのが、西新井大師の境内で開かれる「風鈴祭」だ。
ことしは、7月12日(土)から8月3日(日)まで、毎日午前10時より午後4時まで開かれ、全国各地の風鈴の展示販売がある。また、この会場でしか手に入らない「だるま風鈴」・「ぼたん風鈴」も人気があるので、ぜひ早めに行かれることをおすすめする。
江戸風鈴、南部風鈴、備長炭風鈴、小田原風鈴、明珍火箸風鈴、釣鐘型風鈴、野菜型風鈴、動物型風鈴などなど、枚挙にいとまがない。
風鈴のさわやかな音色が鳴り響く境内。
梅雨のうっとうしさを吹き飛ばしてくれる“涼の音色”に、静かに耳を傾けるのも一興。
風鈴を句にものすには、月並みに堕ちぬよう、一ひねりしなければならないが、ひねりすぎても、過ぎたるは何とかで、これまた難しい。
風鈴に一声さはるつばめかな 也 有
「一声さはる」が、作者得意のところと思われるが、変人は逆にそこがダメ、と考える。実感がなく、いかにも頭の中で作った句。
安手な団扇の絵にでもありそうな月並みな光景。
夕涼みと限らず、まだ暑い昼日中でも、ふと鳴る風鈴の音を耳にするときは、暑さもしばし忘れる心地がする。
風鈴や花にはつらき風ながら 蕪 村
これは蕪村とも思えぬ、思い過ごし。花が吹き散らされるほどの強い風には、風鈴も程よい音色を立てられるものではない。むしろ、
業苦呼起す未明の風鈴は 石田波郷
とか、
風鈴やひとりに適ふ路地暮し 菖蒲あや
のような、さり気なさが、風鈴にはふさわしいと思う。
「鈴ノ鳴ルカ、風ノ鳴ルカ、風ニアラズ、鈴ニアラズ、我ガ心ノ鳴ルノミ」と、何かに記してあったが、風鈴の音色のよさの真髄を説き得たものと思う。
いつの日にか、この“こころ”を一句にものしたいと念じているのだが、未だに詠めずにいる。おそらく、あの世に行っても詠めないのではなかろうか。
後の世の音か明珍風鈴は 季 己