今年の元日に決意した。毎日ブログを更新しようと、それも必ず最後に今日の一句を添えて。
三日坊主を脱し、三ヶ月、半年も無事クリア、おかげで今日は211日目。
これも読んでくださる方があるため。改めて感謝申し上げる。
毎日、知ったかぶりをして、エラそうに書いているが、実は、アルコール過敏症のため酒も飲めない、情けないヤツなのである。
毎晩、しらふの勢いで書いているのだ。
大伴旅人
あなみにく 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
人をよく見れば 猿にかも似る (『萬葉集』巻三)
大伴旅人の「讃酒歌十三首」が、『萬葉集』巻三にまとまって記されている。
平明な句が多く、旅人の歌の調子としては、ほかの歌に比べてだいぶ調子が違っている。無理に概念を作っているように感じられる。
「あなみにく」とは、酒を飲まないで、えらぶっている人に対して「ああ、みっともない」と言ったのである。あいつをよく見てやれ、猿に似ているぞ、と言っているのであろう。
ここにあげた一首はおそらく、大宰府あたりでの酒宴の席で披露された即興歌であろう。風刺というより諧謔味が勝っている。
いかにも興に乗じて作った歌の溌剌とした魅力があって、酒宴の席で喝采を博しただろうと思われる。竹林の七賢に共感した旅人の、エセ賢人に対する痛罵である。
だがこの連作は、一首一首として味わえばどこか物足りなく、概念的な発想が一首としての結晶度を弱めている。一首一首の完成に、さほど心血を注いだとも思えない。
人麻呂・赤人などの専門歌人に較べると、憶良・旅人などにはアマチュア歌人的なところがある。召しに応じて作るよりも、歌は時に応じ、場に応じての、個の思想・感情の吐露の具であった。こういう純粋な作歌態度が出てきたところに、彼らの新しさがあり、ことに憶良・旅人は新しい漢学の素養があり、人生的感慨をそのまま歌に詠み込むことができた。
旅人は、古来の大豪族大伴氏の“氏の上(うじのかみ)”である。だがそのころ、藤原氏や橘氏のような新勢力が台頭して来て、旧勢力を凌いで権力の座に坐った。
彼が太宰帥に任ぜられたことは、政争から遠ざかったことを意味した。彼はそこで、教養人らしく風雅に遊び、酒に憂いを遣って、大宰府のサロンの主として自適の生活を送った。そのような生活と心境とを背景にして、この讃酒歌が生まれたのである。
目覚むればペルシャ絨毯 花茣蓙に 季 己
三日坊主を脱し、三ヶ月、半年も無事クリア、おかげで今日は211日目。
これも読んでくださる方があるため。改めて感謝申し上げる。
毎日、知ったかぶりをして、エラそうに書いているが、実は、アルコール過敏症のため酒も飲めない、情けないヤツなのである。
毎晩、しらふの勢いで書いているのだ。
大伴旅人
あなみにく 賢(さか)しらをすと 酒飲まぬ
人をよく見れば 猿にかも似る (『萬葉集』巻三)
大伴旅人の「讃酒歌十三首」が、『萬葉集』巻三にまとまって記されている。
平明な句が多く、旅人の歌の調子としては、ほかの歌に比べてだいぶ調子が違っている。無理に概念を作っているように感じられる。
「あなみにく」とは、酒を飲まないで、えらぶっている人に対して「ああ、みっともない」と言ったのである。あいつをよく見てやれ、猿に似ているぞ、と言っているのであろう。
ここにあげた一首はおそらく、大宰府あたりでの酒宴の席で披露された即興歌であろう。風刺というより諧謔味が勝っている。
いかにも興に乗じて作った歌の溌剌とした魅力があって、酒宴の席で喝采を博しただろうと思われる。竹林の七賢に共感した旅人の、エセ賢人に対する痛罵である。
だがこの連作は、一首一首として味わえばどこか物足りなく、概念的な発想が一首としての結晶度を弱めている。一首一首の完成に、さほど心血を注いだとも思えない。
人麻呂・赤人などの専門歌人に較べると、憶良・旅人などにはアマチュア歌人的なところがある。召しに応じて作るよりも、歌は時に応じ、場に応じての、個の思想・感情の吐露の具であった。こういう純粋な作歌態度が出てきたところに、彼らの新しさがあり、ことに憶良・旅人は新しい漢学の素養があり、人生的感慨をそのまま歌に詠み込むことができた。
旅人は、古来の大豪族大伴氏の“氏の上(うじのかみ)”である。だがそのころ、藤原氏や橘氏のような新勢力が台頭して来て、旧勢力を凌いで権力の座に坐った。
彼が太宰帥に任ぜられたことは、政争から遠ざかったことを意味した。彼はそこで、教養人らしく風雅に遊び、酒に憂いを遣って、大宰府のサロンの主として自適の生活を送った。そのような生活と心境とを背景にして、この讃酒歌が生まれたのである。
目覚むればペルシャ絨毯 花茣蓙に 季 己